背部触覚刺激による長期利用を目的とした自発的姿勢矯正システムの構築(その2:序論)
第1章 序論
1.1 背景
現代人の労働環境においてコンピュータを使用する機会が増加している.厚生労働省が行った『平成20年技術革新と労働に関する実態調査』[1]によると,コンピュータ機器を使用している事業所の割合は97.0%と高く,コンピュータと関わりをもつ社会になっていることが分かった.このようなディスプレイを使用する作業を長時間続けることによって,目の疲れや肩の凝り,腰痛,不眠,いらいらといった心身に様々な不調をきたす健康障害を「VDT(Visual Display Terminals)症候群」という.厚生労働省が行った『平成20年技術革新と労働に関する実態調査』[1]によると,仕事によるコンピュータ作業で身体的な疲労や不調を感じている労働者の割合は68.6%となっており,労働者の半数以上がVDT症候群の症状を感じていることが分かった.身体的疲労や不調の具体的な内容として最も多いのは「目の疲れ・痛み」,次いで「首,肩のこり・痛み」,「腰の疲れ・痛み」が挙げられた(図1).
図 1.1: 身体的疲労や症状の具体的な内容 [1]
平成 14 年に厚生労働省は,VDT 症候群の対策として『VDT 作業における労働衛生管理 者のためのガイドライン』[3] を定め指導を行ったが,平成 20 年の調査ではVDT作業に関 する適正な作業姿勢や作業時間,健康への影響等についての教育を受けたことがあると答え た労働者の割合は 8.7 %と少なく,VDT 作業に置ける健康被害の関心の低さが伺える.牧ら は「大学および附属学校の教員と事務職員の VDT 作業と眼および筋骨格系自覚症状に関す る研究」[6] で猫背になりがちな作業姿勢が, 男女共通で眼の疲れや肩こりを発生させやすい ことを示し,猫背姿勢にならない職場環境の実現が重要だと述べている.橘内らは「大学生 における猫背、腰痛・肩凝りの発現率とその対策についての調査」[8] で,大学生を対象に不良姿勢を自覚する者の割合やそれに伴う有訴率,各自の対処法についてアンケートを実施し, 座る際の不良姿勢を自覚しているにもかかわらず,猫背などの生活上の癖が改善されないこ とを報告している.これらのことから,VDT 症候群はコンピュータが普及した現代における 重大な問題であり,その大きな要因となっている不良姿勢を改善することが必要であること が分かる.しかし,従来の姿勢改善器具の多くは受動的に姿勢矯正を促すものである.中橋 ら [9] は,コルセットの着用によって体幹部の筋活動が減少していたことから筋疲労を軽減で きることを報告している.しかし,石松ら [7] は健常者が筋肉を支える器具を着用すること は,通常の筋活動を妨げてしまい,器具を利用しているときは良姿勢を保つことができても, 筋力低下の原因となってしまう可能性があることを懸念している.これらのことから,根本 的な姿勢改善には外部から身体を支える受動的なものではなく,ユーザが意識して能動的に 姿勢を改善する必要があると報告している.
1.2 研究目的
本研究の目的は,姿勢改善を促す装置「美体化装置」の長期利用に向けたシステムの構築 である.従来の姿勢改善の器具とは異なり,能動的に筋肉を動かし姿勢を矯正できるものを 目指す.当研究室の先行研究として,石松ら [7] は近年増えているデスクワーク中に利用す ることを想定し,座位姿勢時に触覚刺激を与えることで自ら正しい姿勢を心がけ,その姿勢 を維持できる美体化装置を試作した.背中への触覚刺激により反射的に背中をたてるような 動作を誘発することで半無意識に姿勢を正す装置を開発し,実験により装置の有用性が示唆 された.しかし,先行研究には姿勢計測の方法が一意である点,ユーザの作業環境のロバス ト性が低い点,背中に一定の力をあたえられない点の三点の問題があった.姿勢計測の方法 については全ての被験者に対し,良姿勢の判定に同じ閾値を用いていたため,被験者によっ て精度に差があった.また姿勢検出の閾値の決定方法も実験者の経験的なものであったこと から,実際に姿勢計測が正しく行われているか他の計測方法と比較して検証し,改良する必 要があると考えた.ユーザの作業環境のロバスト性が低い点については,姿勢検出のために ユーザの身体全体を捉えるように Kinect を配置する必要があったため,ユーザや周辺の人 の行動が限られてしまう問題があった.姿勢矯正のための長期的な利用を目指すのであれば, ユーザの机の周辺で完結するシステムが望ましいと考えられる.加えて,背中に一定の力を 与えられない点については,経過時間と圧力センサーでステッピングモーターを制御してい たため,背中の立ちやすい背面上部まで届かない問題があった. そこで本研究では,姿勢検出を画像処理の代わりに座位姿勢の重心位置が計測できる SenseChair [5] を用いて実験を行い,長期利用に向けた有用性を検討する.加えて,美体化装置の触覚刺 激提示部を腰から背面上部までの各自の背中の形に合わせた触覚刺激を与えられるように改 良し,実験によりその成果を検討する.
[1] 厚生労働省:平成20年技術革新と労働に関する実態調査結果の概況 (2008) http://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/saigai/anzen/08/02.html(2016 年 12 月 閲覧)
[2] DIMSDRIVE: 「スマートフォンの使い方と姿勢」に関する意識調査 (2013) http://www.dims.ne.jp/timelyresearch/2014/140204/ (2016 年 12 月閲覧)
[3] 厚生労働省:新しい「VDT作業における労働衛生管理のためのガイドライン」の策定 について,2002 年 http://www.mhlw.go.jp/houdou/2002/04/h0405-4.html (2016 年 12 月閲覧)
[4] 厚 生 労 働 省:平 成 2 5 年 国 民 生 活 基 礎 調 査 の 概 要 ,2014 年 http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa13/dl/04.pdf(2017 年 1 月閲覧)
[5] 宮崎ほか:SenseChair による会話者間の同調傾向検出,情報処理学会 インタラクション 2015
[6] 牧祥,榊原洋子,久永直見:大学および附属学校の教員と事務職員の VDT 作業と眼お よび筋骨格系自覚症状に関する研究,労働科学 89 巻, 3 号 (102) (111) ,2013
[7] Haruna Ishimatsu and Ryoko Ueoka : BITAIKA: development of self posture adjust- ment system. In Proc. of the 5th Augmented Human International Conference(AH ’14) Posters No. 30. ACM, March 2014.
[8] 橘内ほか:大学生における猫背、腰痛・肩凝りの発現率とその対策についての調査, 北 海道大学大学院教育学研究院紀要, Vol104, pp205-211.
[9] 中橋美幸,笹川哲,諸岡晴美:コルセットが体幹部の金活動に及ぼす影響-コルセット昨 日を持つ下衣設計を目指して-. 被覆衛生学,No.32, pp.10-14,2013