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JALパック「南イタリア満喫の旅7日間」のツアーに行ってきた(2日目後半)

これの続き

2日目

スケジュール
午後 ポンペイへ
ポンペイ遺跡観光(2時間)

ソレントへ

ポンペイへ

このツアーで一番楽しみだったポンペイへついに足を踏み入れることができた。漫画世界の歴史で腐るほどよんだポンペイの話。ようやく目にできてうれしい。
意外と近代的な入り口でびっくりする

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入り口からはいると、早速遺跡が姿を表す。
当時ここは船着き場だったそうで、大きな木のしたあたりは船が入るところだったそう。たびに疲れた商人たちが、ここへきて、そしてその隣のお風呂(奥の建物)に入ってさっぱりしてからポンペイへ入っていったとのこと。
当時の人お風呂好きすぎるでしょ・・・・・・

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よこからみるとこんなかんじ。堀になってるのがわかる。

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ポンペイ入り口へ。
入り口は2種類あって左は人間用。右は馬車用の入り口。
とても大きい。

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今回は馬車用の入り口を抜けていく。
入り口には、この大きな石がある。
これ実は馬車の規格を制限するものだったらしい。
この隙間を通るサイズの馬車だったらポンペイの中を通れますよというサイズ規格を表現しているものだ。

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図示するとこんなかんじ。この飛び石が至るところにある。
約2000年前のこの時代に馬車のサイズが規格化されてたってすごい話である。

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奥へ進むとなんと滑り止めが。この横線は石で滑らないように滑り止めの効果がある。かなり急な坂なので滑ってしまう場所もあったのだろう・・。

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いよいよポンペイ市内へ。
道には飛び石がたくさんおいてある。これも馬車のサイズ規格そして、馬糞などがすごかったため、人間用の通り道として使用されていた飛び石。

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ポンペイ市内は多くのお店がならんでいたとされる。現状2階部分はぐずれてしまっているが、石で作られた階段は僅かに残っているため、巨大都市だったのだろうということがよくわかる。

ガイドさんから、どうしてここにお店があったってわかると思いましたか?という問いを立てられた。
答えは各区画にあるこの溝。
この溝は商店の扉のスライド用の溝と考えられているとのこと。
これが並んだ通りを歩いていった。

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大通りを歩く。大通りは馬車がどちらの方向にもすすめるように二車線になっている。その証拠の写真がこちら。

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ほんとはどっちに進んでいたかわからないが、こんなかんじ。

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馬車は荷物を運ぶ大きな交通機関だったのだ。
次に紹介されたのは神殿跡。

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実はよく見ると日時計がある。左の柱は日時計とのこと。
手前の台は、生贄を捧げる台だった。(人間は捧げてないので安心してほしいとガイドさん談)

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通りを抜けるとポンペイ中心地へ。遠くに火山が見える。
あまりの広さに驚かされる。ここが火山で沈んでしまったって・・・どんだけの大災害だったのよ・・・とおもう。

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銀行跡地
多くの小銭がみつかったため、両替をしていたのではないかといわれている。交易のため多くの国から訪れる人が多かったのか、現地のお金に変えるために両替をしていた場所が存在している。

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交易の場 市場へ

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ここに円の形で置かれている台これは何だとおもいますか?という問をガイドさんからうけた。
実は、ここは大きなガラスの水槽であり、生きたまま魚などが売られていたらしい。いや2000年前ですよね?それ?????すごくない?

この広間を囲って壁に壁画が描かれている。
これは色んな国の人が来ても、指差しでものを買ったり意思をつたえるものだったらしい。頭良すぎる。2000年前の指差し単語帳である。

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道を歩いてるとまたまたガイドさんから、問をたてられた。
これは現在でも存在している職業です。なんだと思いますか?

答えは・・・・・配達!
現代のクロネコヤマトが職業として2000年前から存在していたことにびっくり。ポンペイめちゃくちゃ広いから、お店に配達をせざるをえなかったというのもまあわかる。
運んでいるのはワインをいれるツボだとおもわれる。先っぽが尖っているのは、普段は土に埋めて保存をし、発酵がいい感じになるという理由だった気がする。

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約2000年前のサウナへ

穴から蒸気がでていたらしい。

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たしか脱衣所だった気がする。穴に服をいれていたと説明を聞いた気がするちょっとうろ覚え。

当時のストーブとベンチ。
この頃から整いベンチがあるということに、サウナーとしては熱い気持ちになる。わかってる・・・2000年前の人ともサウナについて語れそう。

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ポンペイは床暖房が導入されていて、大理石づくりの床は寒いから蒸気で床を暖かくしていたとのこと。先進的すぎない???なにそれである。
ここでたっぷり汗をかいたりマッサージをしてもらったりするそうだ。そして仕上げに隣の部屋へ移動する。

浴室

サウナーとしては大事な水風呂。水風呂ではないが、水浴びとして直径2.5mはありそうな器がこれ。下に書いてある文字は当時の権力者の名前。これは俺が贈呈したんだぞ!感謝しろよなという感じらしい。ちゃんと公共施設に権力者から応援してくれてありがとな返礼があるの人間味がある。

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この部屋と同じ場所に浴槽がある。意外とせまい。大の大人だったら4,5人ははいれそうかな?というくらいの感じ。

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天井も工夫されていて、天井には模様がついている。これは蒸気が上に溜まって冷たい水が落ちてこないように、壁の側面に誘導するためのものとのこと。とても考えられている。

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さて、ひとっぷろあびたら次は何をしたいかというとやっぱり酒ですよね?
(私は酒が飲めないので飲みませんが・・・・)サウナーの間ではサウナ後のビールがたまらんという話を聞きます。
もちろん2000年前の人も例外ではなく、お風呂を出ると目の前には酒場が・・・・・・さすが。カウンターもバッチリ残っています。

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悲劇詩人の玄関先

ここは、ジョジョで出てくる犬の絵がみれます。下の文字は猛犬注意と描かれているだそうです。今と同じ感じでふふっとします。
モザイク画が残っていることが奇跡的。

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パン屋跡

当時のパンが実は残っていて成分を解析してみると今とほとんど変わらないという驚きの結果が出たそうです。

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これは石臼。穴が空いているのはそこに棒をいれて、ロバに回して粉を惹かせていたとのことでした。奴隷制度は当時残っていたようですが、そこはさすがに家畜にやってもらっていたんですね。

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ポンペイの災害

(ちょっとグロいので苦手な人は飛ばしてください)

ポンペイは火山の噴火により火砕流が発生し町ごと飲み込まれてしまった悲劇と都市といわれています。多くの人が亡くなりました。私はほぼ火砕流で飲み込まれたが原因だったのかな・・・・?と思っていましたが実は違うようです。

口と喉を押さえて亡くなった人

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実はわんこも犠牲に・・・

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死因については諸説あるようで、この記事が興味深いと思いました。

ポンペイ観光をあとにしてソレントへ移動しました。

ソレントへ

ソレントのホテル HOTEL CENTRAL SORRENTOへ
部屋がかわいい

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トイレが2種類あってビビる 左がビデ、右が普通のトイレだそうです。
(結局使い方がわからなかった)

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ソレント自由観光

ホテルをでてぶらぶらソレントをみてまわる。まだクリスマスシーズンが残っている空気感だった。

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夕食

前菜:シーチキンサラダ

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小エビのフリット

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デザート:キャラメルプリン

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でした!
濃密な二日目でした。

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