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コロナ禍での妊娠・出産を振り返る

こんにちは。marinです🍋
今回は、2020年8月に出産した私の妊娠、出産を振り返ります。
実はnoteを始めて1番はじめに書こうと思っていた投稿でした🌱なんだか自分なりに納得のいく内容にならなくて、今に至ります。

私は息子1人をついこの間出産したばかりの新米ママですが、コロナ禍で出産をすることはやっぱりとても不安でした。自分自身のための記録としてだけでなく、出産を控える妊婦さんの背中を少しでも押すことが出来たら幸いです。

【🏷妊娠初期・中期】検診で内科の前を通るのが怖い

妊娠が発覚したのは2019年12月。
この頃はまだコロナは影も形もなく、純粋に子供ができたことを喜び、楽しみにしていました。とはいえ初期は流産の可能性も高いので安静に。

年明け頃から、暗黒のつわり期スタート。何を食べても吐く。1日3-4回吐いてた。会社で吐きながら仕事もした。「妊娠して大変だったとは思うけど、急なフレックスが多くて」と評価面談で減給を告げられた時は泣いた。(本当に)
旦那がすべての家事をやってくれて、家ではうずくまる日々。肉が食べたいとオーダーしてせっかく作ってくれたハンバーグも、2口食べて即吐いた。ひたすらグレープフルーツジュースを旦那に買ってきてもらって生き延びた。吐きすぎて息が吸えなくなって、トイレで1人で死にかけた。本当に死ぬかと思った(真面目)。

つわりがやっと落ち着いてきた頃には、もう日本でもコロナが流行しだした時期。私の通っていた総合病院では、採尿室が内科の奥にあった。
妊婦だと、通常以上にウイルスに敏感になってしまうのは普通のことだと思う。布やウレタンのマスクだと不安だから、必ず不織布のマスクをして、内科の前を通る時はマスクの端を顔に押し付けて通ってた。待合室のみんなのことをウイルス扱いしてごめんなさい。

赤ちゃんがちゃんと育ってるかな、それだけでも不安なのに、コロナの数字に振り回される毎日。ちなみに検診の付き添いも途中から禁止になって、旦那はようやく赤ちゃんの顔が見える頃に検診に行けなくなった。

【🏷妊娠後期】転院。そして増え続ける感染者。コロコロ変わる面会可否に一喜一憂

住んでいる茨城でも、クラスターがちらほら出たりして緊張感が高まる。私は里帰り出産予定(県内)。もとの病院で分娩予約をしていなかったから、32週までに必ず転院先で初診を受けなくてはいけなかった。

転院先に予約を取ろうとしたら、開口一番で「県内在住ですか?」と聞かれた。実はかなり県内の端に住んでいるので、その旨伝えると「県外に出たらその後2週間は診察出来ませんので」と言われた。
それだけでなく、万が一発熱してもその後2週間は受診出来ないとのこと。32週のリミットが怖すぎて、30週で転院先に予約をした。

普通なら、すんなり転院できるはずなのに、なんでこんなに煙たがられなきゃ行けないのかな。でも私は県内だったからきっとまだすんなり転院できた方。東京から地元に帰ろうとしてる人とかはもっと大変なんだろうなと胸が痛くなった。

転院したときに、「立ち会いも面会も出来ません。入院中の荷物の受け渡しはナースステーションで行います。」と言われた。

その後、コロナの第1波と第2波の間で茨城県は1ヶ月ほど感染者が出ない時期があった。その頃念願の、「立ち会いはダメですが、面会は本当に近しい方のみ許可します」とのこと。実母と旦那は本当に喜んでいた。

しかし。やってきてしまった第2波。再びの面会全面禁止。もう期待しないで1人で出産するしかないんだと心を決める(しかなかった)。

【🏷出産直前】都内勤務の旦那に会うのが怖い

出産を目前に控え、コロナ対策にはより一層緊張感が増していた。病院から、「万が一感染したら、入院できない可能性が高いです。コロナ受け入れをしている病院に紹介します。」。

え、それって感染病棟で出産するってことよね?赤ちゃん感染したらどうするん。垂直感染するとかしないとか、情報が錯綜しててとにかく怖かった。これまで(早く転院してまで)何回も検診に通ってきたのに、ここで感染したら水の泡。

何としてでも入院まで無事で居なくては。

無痛分娩とかでは無かったので、普通に破水か陣痛がきたら入院する予定だった。陣痛が来ても入院したら1人で頑張るしかないから、できるだけ家で耐えようと思ってた。旦那が、「立ち会いは出来ないから、陣痛きたら励ましに行く!!」と言ってくれていた。
旦那が過ごしてた我が家から、私が過ごしてた実家までは車で1時間。初産だし、そんなトントン進むはずもないから、旦那がこっちに来る時間はあるはず。

旦那が好意で「(私の)実家に行くからね」と言ってくれているのはもちろん分かっていた。入院する時に付き添いたいと思ってくれていたことももちろん嬉しかった。

でも、都内勤務の旦那が保菌者だったらどうしようという気持ちはどうしても拭えなかった。好意で言ってくれているのに旦那をウイルス扱いしてしまう自分が嫌になった。それでも、入院できない、病院に菌を持ち込む事は絶対に避けなくては。と思って旦那には「いつまでかかるか分からないから、大丈夫だよ」と断った。

【🏷いざ、出産】できるだけ自宅で。孤独な出産でも、最高の瞬間だった

陣痛が来たのは予定日の4日後。予定日前の週末も、旦那と会うのはやめておいた。そんな状況に、実母は旦那の分まで私を気遣ってくれた。本当に感謝しかない。

実は分娩には30時間かかった。陣痛がなかなか進まず、病院側も「まだまだかかるから、おうちで頑張って」と電話で何度も言われた。

2晩眠れず、やっと入院したは良いものの、助産師さんから「まだかかると思うから、何かあったら呼んでね」と言われ、助産師さんは病室(個室)から出ていってしまった。

初産なのに、コロナのせいで母親学級、両親学級は無かった。「何かあったら」の【何か】は全く想像できなかった(笑)。結局、痛い痛いと呪文のように唱えながら1人でベッドの柵を握りしめて痛みに耐えた。

その後分娩室に移動。その時点でまだ子宮口全開じゃなかったので、分娩室でも1人で放置。(決して病院の対応に不満があるわけじゃないです笑)ぜんぶコロナのせい。本当ならここで旦那が励ましてくれて、腰をさすってくれたのに。と思ったら泣けた。

でも息子が誕生した瞬間は、立ち会いの有無に関わらず尊くて、最高の瞬間だった。普通に泣けた。でも、家族3人で新しい命が産まれる瞬間を共有したかった。

生まれてすぐ、まだ分娩室に居るうちに旦那と実母にはLINEで連絡をしていた。でも直通話したくて、病室に戻って、落ち着いたら旦那に電話した。「お母さんになったよ」と伝えたけど、言葉でしかやり取りできないことが悲しかった。体は痛かったから出来たかわからないけど、ぎゅっとして欲しかったなぁ。

【🏷入院中】完全面会禁止。日に日に顔の変わる息子を旦那に会わせられない苦しさ

産後1日から母子同室スタート。誰も面会に来ないから、ある意味息子が寝ている間は私も休むことが出来た。(唯一これだけは良かったかも)

入院中は本当に毎日お顔が変わる。スマホはもちろん、一眼レフでもたくさん写真を撮って旦那や母に送った。早く会わせてあげたいと毎日思った。

オムツ替えもミルクも沐浴も、旦那は直接助産師さんから教わることが出来ない。両親学級もないから練習もしてない。私が全部助産師さんから教わって、旦那にレクチャーしないといけないんだ。と思うとプレッシャーだった。

【🏷退院】やっと家族が揃った。無事に出産できたことに感謝

産後6日目に無事退院。やっと可愛い可愛い息子を旦那や母に会わせてあげられた。
旦那はずーっと息子を眺めていた。本当なら産まれた瞬間から一緒にいられたはずなのにな。と悔しく思った。

無事に出産して退院出来たことはこれまで我慢して我慢した結果なんだと少し思えた気がして、ほっとした。入院する時、旦那に付き添ってもらわなかったこと、結局1人で陣痛に耐える時間が長くて苦しんだことも、全部この為だったんだと思えたら少し救われた気がした。

最後に

妊婦の時は、とにかくお腹の子供を守ることに必死で、ちょっぴり殺気立っていたような気がします。でもそれってきっと自然なことなんだろうなと今になっても思います。

ウイルスって目に見えないから、周りの人が信じられなくなったりとかするけど、赤ちゃんを守れるのはママだけだから、頑張るしかないですよね。

二度と無い産まれる瞬間を、家族と共有出来なかったこととか、新生児の貴重な1週間を旦那に見せられなかったこと、悔しいことばかりだけど、何より無事に出産できたことには感謝。

見てくださってる妊婦さん、妊婦さんの御家族の元にも無事に元気な赤ちゃんが産まれるように祈っています✨

そして、いつか私が2人目を授かることが出来たら、その頃は立ち会い、面会ともにできる社会になっていますように。

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