悲しみは雪の様に


この記事を読んで、失ってしまった大好きなものを思って
ただただ涙が流れた。

両親が離婚した時、私は父にラーメン屋に誘われた。
それは行きつけのラーメン屋で
とても駐車が不便だけれどなぜか父はとても気に入っていた。
雪がちらつく日、父と私は醤油ラーメンを食べた。
ラーメンを食べた父は、泣きながら
「まりも、結婚は良いものだぞ」
と誰に言うでもなく、泣いていた。
私に向けているようでいて
それは、自分自身に言い聞かせているようでもあった。

父が泣くのを見たのはそれが人生の二度目で
それくらい父は泣かない人で
私は、それだけ父は母が好きだったのだと思った。
でも、その愛情は届かなかった。
それが寂しくて私も泣いた。

「冬は嫌いだよ」と父は言った。
そうだね、悲しいことはいつも寒い日にあったね。

20年飼っていた猫が急に居なくなった日も、冬だったね。

母が変わってしまったな、と感じたのは
Twitterの使い方を教えて欲しい、と言われた時だった。
Twitterを始めてから母の交友関係は華やかになった。
それから母は何となく変わってしまった気がした。

私と違って母のTwitterプロフィールはリア充のようで
なんだか母が遠い存在に感じた。

後に、母はTwitterで出会った男と再婚していた。

私がSNSなんか教えなかったら
家族は家族のままでいてくれたのだろうか、と思った。
もしかしたら私が壊してしまったのかもしれない。
そう思って泣いた。
ただ泣くしかなかった。

戸田真琴さんの言葉は痛みに凡庸でいようとする私の心に刺さる。
どうしたって私の神経は彼女の言葉を汲み取ろうとして研ぎ澄まされ
結局傷口が開いて、血を流す。
この傷口はいつか光になるだろうか。
何本も何本も槍を受けても突っ立っている事しか出来なくなった私でも
また動くことが出来るだろうか。

誰にも受け取られない愛情なら持たない方が良いと
一人を選んで数年が過ぎた。
相変わらず私は人に嫌われる方が得意で
それでもいいやと酒を飲んで忘れる事が多くなった。
誰にも大切にされない人生をいつ終わらせられるのだろう。
自分で自分すら大切に出来ないこの人生はいつまで続くのだろう。
少しでも自分を愛そうと、やってみたいという芽を摘む事無く伸ばそうとしても
誰かの手が伸びてきて摘み取られてしまう。
そうして、ああやっぱりこれも無理なのだと振り出しに戻る。

だけどそれを「やってみなよ」と伸ばそうとしてくれるのはいつだって戸田さんの言葉で
それだけで少しでも自分の孤独に寄り添う事が出来るのだ。
「自分の好きな自分の形」がまだ輪郭すら見えていないけれど
初めて私の孤独を肯定してくれた彼女の言葉と、映画を導に
何年かかっても良いから、そんな自分を探そうと思う。

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