恐山・ナラハシの「雑談テスト配信」文字起こし
※おふたりとは無関係の人間です。注意を受けたらすみやかに取り下げます。
文字起こしに際して、発語の改変はなるべく最低限のケバ取りのみにとどめていますが、文章化されることで当人の意図しないニュアンスなどが含まれる可能性があることにご留意ください。
・ ・ ・
(前略)
谷村省吾『一物理学者が観た哲学』(4:07~45:33)
恐 ナラハシさんはじゃあ、何の、お話をしたかったんでしょうか
ナ あのー、めちゃめちゃ、アイマスとは関係ないんですけどいいですか
恐 はい、もうアイマスと関係ない話しましょう
ナ はい。 (笑) まったく関係ないですけど――
恐 え、ほんとにまったく関係ないの?
ナ うん――ま、ちょっと関係あるかな、ちょっと関係あるかもしれないですね
恐 はい
ナ えー、『一物理学者が観た哲学』っていう
恐 (笑) まったく関係なくないですか
ナ (笑) いや、アイマスって哲学みたいなとこありますからね
恐 いや、昔のオタクでしょ、そういうの言うの
(中略)
ナ あの、これはですね
恐 はい
ナ 谷村省吾先生という物理学者の先生が、『〈現在〉という謎:時間の空間化批判』という、書籍を最近発行したんです、勁草書房から
恐 はい
ナ で、そこには書ききれなかったということで、100ページを超える、補足の章を新たに書き下ろしてそれをネット上に公開しているんですよ、いま
恐 そうなんですよ、これ、一部ですごい話題になってて
ナ うん
恐 もう、すごいんですよ、盛り上がり――盛り上がり方が
ナ ね
恐 ね
ナ すごいんですよ
恐 これ、すごい
ナ たぶん、一部というか、哲学とか、科学、特に自然科学界隈で、話題になっているんですよね、これが
恐 話題になってて――私もこれ、あんまよく知らないんですけど、ちょっと、前提がちょっとわかりにくいかもしれないんで、もう一回くらい言おうかな
ナ うん
恐 えっと、わりと最近出た学術書があって、その学術書のタイトルが、『〈現在〉という謎』っていうね、めちゃめちゃ分厚くて、5000円近くする、ほんと誰が買うんだっていうくらいの、マニアックな本なんですけど
ナ うん
恐 はい、5000円ぐらいするからね、すごいする
ナ いやー、まあね、するんですよね、しょうがないね、でも
恐 はい、それがまあ、哲学っていう分野の中でもわりと一定のポジションを確立してる、「時間論」みたいなものについての本でして、で、哲学的な意味での「時間とは何ぞや」みたいな本、ではあるんですけど、特色として、プロの物理学者の人を招いて、物理学的にはこうだけど、哲学的には――こんな感じだと思うんですけどどうなんですかみたいな感じで、哲学 vs. 物理学、科学、みたいな構図でバチバチやり合おうみたいな本だったらしいんですよ、読んでないんで知らないんですけど
ナ はい、私も読んでないですけど
恐 はい、ただ、そのバチバチやった結果、その物理学者代表としてお呼ばれした、この谷村省吾さんというですね、学者の方がいるんですけど、その人てきには、最後まで、すれ違いのまま終わっちまったと
ナ うん
恐 終わっちまって、しかも、まあ、本になったことについてはいいんだけど、そこではもう、書ききれないような、反論というかですね、そもそもなんですれ違っちゃったのかについて全然補完できてないよなっていう部分があって
ナ はい
恐 で、なおかつ、「そもそも、哲学者ってさぁ」
ナ うん (笑)
恐 「物理学的に見たら、アレじゃない?」っていう文句がめちゃくちゃ湧いてきちゃって、谷村さんの中で
ナ そうなんですよ
恐 はい、それで、まじめな反論と、本当はこういうことやりたかったんじゃないんですか!っていうような、こととか、あと、「そもそも哲学者って」っていう、マジの――マジの科学サイドからのダメ出しを書いてたら、100ページになったんですよ
ナ そう、すごくないですか、これ
恐 はい、これが、そうですね、その谷村さん――
ナ だってこれ一冊本になるもん、だって
恐 そう、本出せますからね
ナ (笑)
恐 それがいま無料でね、公開されてね、その谷村省吾さんの公式のページから、誰でもPDFがダウンロードして読むことができまして。で、これで、書かれてることっていうのが、まあ本読んでないとちょっとわかんない部分も多いんですけど、一番まあ重要というか読んでておもしろいのがね、第四章
ナ はい
恐 はい
ナ 谷村先生も、一章から三章の、要約というか、まとめとして四章を書いているので、まあ四章だけ読んでくれればいいよ、とも仰ってますね
恐 はい。で、私も、三章までは、本読んでる人ありきみたいなところがあったんで、読み飛ばしちゃってて四章だけ読んだんですけど、あの、めちゃめちゃおもしろいですこれ
ナ めちゃめちゃおもしろい
恐 (笑)
ナ (笑) 物理学――谷村先生は物理学、というかもう科学サイドの代表として、哲学全体に対する反論を述べてるんですけども
恐 そうですね
ナ それがね、おもしろいのよねー
恐 (笑) やっぱねー。人が――こういう言い方すると語弊がちょっとあるかもしんないけど人が切れてるところっておもしろいなっていうのがまず、野次馬根性としてあるんですけど (笑)
ナ (笑) あるあるある
恐 ただね、その――切れ方がめちゃくちゃいいんですよ
ナ しかもね―― 切れ方―― そう
恐 めちゃくちゃちゃんと切れてるから
ナ そう、ほんとに論理的に切れてる
恐 そう、論理的なんです。――あ、そうそうそう、コメントで書いてる方いますけど、四章だけで100ページの半分ぐらいある
ナ そう(笑)
恐 (笑)
ナ そうなのよ、だからほんとにね、四章読めばほんとに全部わかるの、そりゃそうだって半分書いてあるんだから
恐 (笑)
ナ めちゃめちゃおもしろい、そうですね、たとえば――よかった部分抜粋してしゃべろうかな
恐 あ、ぜひぜひ。私はね、ほんと、あらゆる分野に対して門外漢だから大したこと言えないんですけど、ナラハシさんのほうがね、心得があると思うんで
ナ いやいやいやいや、あのね、一番よかったところ、読み上げようかな
恐 はい
ナ “哲学者が、主観的意識経験は実在するか、とか、時間の経過は実在するか、とか言う場合の「実在」の定義はいかなるものか?”――っていう
哲学者が、主観的意識経験は実在するか、とか、時間の経過は実在するか、とか言う場合の「実在」の定義はいかなるものか? 前提となる定義を曖昧にしておいて議論を進めるうちに、やがてどういう定義がふさわしいか見えてくるのだろうか? 彼らの議論はそうではなかった。最後まで実在の定義は曖昧なままであった。(『一物理学者が観た哲学』p.59)
恐 (笑)
ナ 結局、そもそも、定義自体がいつも曖昧でしょっていうこと
恐 はいはいはい
ナ なんで哲学の人たちは、まずその議論をする前に、定義を曖昧にしてからお話する――たとえば形而上学っていう学問がありますけども
恐 はい
ナ 形而上の「形而上」ってどういう意味なのか、いまいちはっきりしないまま、当たり前のように形而上っていう言葉をまず最初に登場させてるけど
恐 うん
ナ まずその語の定義からはっきりさせたほうがよくない? ていうか、まず最初に、自分の使う、使おうとしているツールの定義をはっきりさせたうえで、ゴールというか、目的――何を述べようとするのか、何を導こうとするかという結論を、しっかり、定義しておかないとダメじゃない?ってことを、ま、大きく言ってるんですね
恐 そうですね、これは、もうほんとに科学的なアプローチで言ったら当ったり前の話なわけですよ
ナ そう、めちゃめちゃ当たり前の話なんですよ
恐 ね、摩擦係数とは何を指すのか、とか、そういうのを各々が自由な解釈で言ってたら、なんも進まないじゃないですか
ナ そうそうそうそう
恐 そういうのありきで、物理学ってちゃんと進歩してきたのに、哲学者は、ソクラテス以来、2000年以上経ってるのに
ナ (笑)
恐 (笑) いまだに、「形而上」の意味すら定まってないって、お前ら2000年間なにやってきたんだってっいうことをね、言ってるんですよ。いや、なんか――
ナ そう、ほんとに言ってんの
恐 いま誇張してるみたいな言い方してますけど、ほぼそれとおんなじようなこと書いてるんですよ
ナ (笑) ほんとに――
恐 (笑)
ナ ほんとにね、言ってんの。だから、えーと、ウェルディファインド(well-defined)かな
恐 はい
ナ しっかりした、定義づけられた問題設定をせよ、っていうことを、物理学者は言うんですけど
恐 はい
ナ 哲学者的にはむしろ、問題設定自体は、もともと曖昧にしておいて、で、むしろ議論を進めるうちにwell-definedにしていくことが哲学であって、もっと言えば、well-definedになってしまったら哲学の手から離れて科学のものになっちゃうでしょっていう考えを持ってるから、そもそもこう、すれ違いが大きいんですよね、ここが
恐 そうなんですよね
ナ 定義をね――ていうのも科学と哲学の最終的な、やろうとしていること、目的が全然違うっていうのが
恐 はいはいはい
ナ 恐山さんnoteに書いてましたね、ゴールとスタートの――
恐 あ、そうですね。どこだったかな、おもしろいこと書いてるところがあって――あ、そうだ、論文――このノートでいうところの、69ページのところに、こういうことが書いてあって――“私から見ると、哲学的議論の目指しているゴールが何なのかわからない”
ところが私から見ると、哲学的議論の目指しているゴールが何なのかわからない。哲学全体のゴールというような壮大な終着点でなくてよいから、今回の主テーマである「現在の哲学」が目指しているゴールが何なのかだけでも明確に定まっていれば、物理学者も議論に参加しやすかったであろうに、と思う。(同 p.69)
ナ うん (笑)
恐 (笑) 最初から、ゴールが明確に決まっていれば、物理学者も議論に参加しやすかっただろうに、と思うのに、ということで
ナ うん
恐 で、ここで、科学一般、物理学含む科学一般は、ゴールを設定して、そこに向かって、謎解きをしていくっていうのが、普通なんですけど、哲学者っていうのはどうやら、おもしろい疑問さえ持てばそれで勝ちみたいなところがあって
ナ うん
恐 その時点でめちゃくちゃすれ違ってるよねっていうことをこのへんに書いてるんですよ
ナ そうなんす、そうなんす
恐 (笑)
ナ (笑)
恐 それを、そんなようなことをね、言う人自体はけっこういるんですけど
ナ うん
恐 100ページかけて言った人はかつていなかったので、みんなめちゃくちゃおもしろがってるっていう (笑)
ナ そうそうそう。なんというかな、そうなんですよね、そういうその、視点の違いがね、かなりこう――世界の真理を明らかにしようとしているのは哲学も科学も同じはずなのに、視点が違うから、全然お互いがお互いのために学問ができてないっていうのはあるんですよねー
恐 あるんですよ
ナ ねー。――科学って、基本的に
恐 はい
ナ 間違いを許容しなきゃいけない、っていうか、科学的な定義だったり証明自体が、後から「あれ間違いでした」っていうふうに、証明され直されることが、よくあるわけです
恐 はいはいはい
ナ あるいは、そうですね、たとえば――ここで言っているのは、たとえば電磁気って学問があったときに、最初は「マクスウェルの理論」っていうふうにいわれてたんですけど、マクスウェルさんが電磁気の理論を確立した後に、後から、もう少しこういうパターンもあるよねとか、こういう情報いらないよねとか、これちょっと間違ってるから書き換えようか、っていって、最終的にマクスウェルの理論はマクスウェルの理論ではなくて、もっと普遍的な、「電磁気学」という理論に成熟していっているわけですよ
物理学の研究では、ある程度正しそうな理論体系ができあがってくると、属人的な呼び方をしなくなる。例えば、電磁気の理論は、当初は「マクスウェルの理論」と呼ばれたが、後人たちがマクスウェルの理論に手を加え、再定式化・概念整理・再編成を行ってしまったので、「マクスウェルの理論」とは言い難くなり、普遍性を帯びた「電磁気学」という理論に成熟した。(同 p.71)
恐 はいはいはい
ナ これは、もともとその一人の人が考えた理論が、少しずつ他の人たちによって修正されたり、正しく――正しさの確度がだんだん上げられていく、それが科学なわけですよね
恐 はい
ナ ところが、哲学サイドからそれを見ると、そもそも――そもそも論として、確度の増した正しい知識の蓄積を、最初からなしにしてそもそも間違ってるんじゃないのっていう、他のパターンを考えられないの、っていう最初の前提から疑うってことをよくしてしまう、みたいなんですよね
恐 そうですね
ナ 「ここまでの結果はおおむね正しいから次を進めましょう」っていうこと考えないですよね、「もっと他の昔の哲学者を超える疑問を投げかけようとしているかのようにも見える」と。ねー
恐 (笑) そうなんですよ
ナ (笑) そこのすれ違い―― よく、いろんな人からも言われ――いろんな、もう昔からこの哲学と科学の議論、というか平行線の議論は続いているんだと思うんですけど
恐 そうなんですよ
ナ 今回の、このディスカッションは、TwitterというかSNSというツールを利用してものすごくいま活発に議論が進められているのが興味深いですね
恐 そうですね、ほとんどの人のタイムラインではまったく関係のないことと思うんですけど
ナ はい
恐 いやめっちゃ、太字になってるとことかおもしろくて、いま言ったようなことで言うと、たとえば――“哲学者たちは、疑問を持つことを美徳と考えているようであり、当然と思われているような大前提ほど疑って挑戦する甲斐があると考えているようである。結果的に、彼らはいつでも前提に立ち返って、別の前提の可能性はないか探索しているように見える。先代の哲学者があれこれ論じた結果を受けて、「ここまでの結果はおおむね正しいと認めて、議論を先に進めましょう」とは考えないらしく、何度でも議論は振り出しに戻る。むしろ彼らは、先代の哲学者を超えるようなBIG QUESTIONを言いたがっているようにさえ見える”
それに対して哲学者たちは、疑問を持つことを美徳と考えているようであり、当然と思われているような大前提ほど疑って挑戦する甲斐があると考えているようである。結果的に、彼らはいつでも前提に立ち返って、別の前提の可能性はないか探索しているように見える。先代の哲学者があれこれ論じた結果を受けて、「ここまでの結果はおおむね正しいと認めて、議論を先に進めましょう」とは考えないらしく、何度でも議論は振り出しに戻る。むしろ彼らは、先代の哲学者を超えるようなBIG QUESTIONを言いたがっているようにさえ見える。哲学者たちは、さまざまな前提と疑問のコレクションには興味があるらしいが、正しい結論をストックすることには関心がないように見える。これらが哲学と科学の大きな違いになっていると私は思う。(同 p.69-70)
ナ (笑)
恐 ね、めちゃくちゃ皮肉の――(笑) 皮肉というかですね、すごいですよこれは
ナ で、これはね、たぶん学習者としても非常に大きい問題で
恐 はい
ナ 科学って、たとえば数学でも物理学でも生物学でもなんでもそうなんですけども、基本的に理論の先鋭を経ることによって体系的になっているはずなんです、学問自体が
恐 はいはいはい
ナ だからこそ、ちょっとずつちょっとずつ理解していけば、いま世界最先端のおこなわれている研究のとこへも、誰でも到達できるんですよ、学習さえ進めていけば、当然
恐 ええ、ええ
ナ で、ところが哲学って、わりとそうではなくて、哲学って体系的に学習しづらいんですよ、なぜなら、いろんな人がいろんなことを言ってて、いろんな人がいろんな定義を使って、議論進めてるから
恐 うんうんうん
ナ たとえば――ある学習者が、なんか、哲学的な疑問をひとつ持ったときに、これの答えどこかに書いてないかと思って、本をひっくり返そうとしても、何から調べていいかわかんないっていうような状態が発生するわけですね
恐 そうですね
ナ それがソクラテスが考えたことなのか、ウィトゲンシュタインが考えてたことなのか、それともまだ誰も考えてないのか、わかんない、みたいなね
恐 うんうんうん
ナ だから学習コストが非常に大きいんですよ。そうなると、結局、振り出しの議論とか、もうすでにやられた議論をしちゃいがちになっちゃうと思うんですよね
恐 そうなんですよ、だから、哲学者でも――哲学者の中でも、実際ね、哲学者サイドからの意見としてですよ、哲学者サイドの意見として、「哲学は本質的に進歩なんかしない」って言いきってる人もいるぐらいなんですよ。そもそも進歩するようなものであればそれは哲学じゃないよねっていうような。だからある意味で哲学っていうのは学問じゃないですよっていう、たまたま、偶さかのこととして、大学でそういう教科として教えられてるけど、実際はそもそも思考のプロセスというか――ものの成り立ちが、もう他の学問とは全然違うものになっちゃってるんですよっていうように言ってる人もいるんで
ナ うん
恐 この、谷村さんの言ってるようなことは、哲学の内部からの声としてもあることなんすよ
ナ ――あらゆる科学に先んじて哲学はたぶん発生していて、どうして太陽は東から昇って西に沈むのかっていう天文学がたぶん発展する前からそういう疑問はあって
恐 はいはいはい
ナ で、おそらく最初はそれ全部哲学として表されてたとは思うんですね
恐 はい
ナ 三角形の内角はなぜ全部合わせて180度になるのかとかね、たぶんそういう疑問が先んじて、数学や天文学より先にあって、で、哲学の学問から派生する形であらゆる学問が登場しはじめた、のだと思うので
恐 はいはいはい
ナ 哲学はある意味で――あらゆる学問に対する先駆者というか、鉄砲玉のような役割を果たしている、のかなとも思いますね
恐 そうですね
ナ 科学が発生する前にアリストテレスが四元素論を言ったからこそ化学が発生したかのようにね――化学(ばけがく)か
恐 そうですね
ナ うん
恐 だからねー、ほんとに、ここで指摘されてることって、めちゃめちゃ正しいというかですね、「そうだよねー」っていうこともありつつ、私なんかは、「でもね」っていうふうに言いたくなっちゃうっていうね
ナ (笑) うんうん
恐 はい、でも、もうね、なんならもう、それすら織り込み済みの挑発ですからね、この文章って
ナ うん、そうなんですよ
恐 でもねって言ってみろよっていうようなね。おい、立てよ、っていうような文章
ナ そうそう。これねー、哲学者さんがこれを読んでnoteとかに感想だったりとか反論を書いてるんですけども
恐 はい
ナ みんななんか、めちゃめちゃ、こう――体中の血管が沸騰するのを感じたとか
恐 (笑)
ナ 怒りが沸きだしてきた、みたいなことを書いてて
恐 (笑)
ナ でも、それでもやっぱり論理的に反証しようとしているのは、本当にね、素晴らしいですよね、この競り合いって
恐 素晴らしいですね
ナ ね
恐 だってね、こんな文章書いても何の得もないんですよ、ほんとに (笑)
ナ (笑) ほんとにね、そうなんだよ
恐 だって本人が、Twitter――Twitterだっけ、この反論に書いてたかちょっと忘れましたけど、そもそもこの火種になった本、『〈現在〉という謎』っていう本のギャラも、この本自体の9冊[?]による現物支給しかなかったらしいですからね
ナ あ、らしいですね、はい
恐 (笑) ほぼタダ働きみたいなもんすよ
ナ ね。私、ほんとそれはもうびっくりしました (笑)
恐 (笑) すげー、と思って。ねぇ。ガロじゃないんだから
ナ お金ないのかなぁ
恐 お金ないんでしょうねぇ。勁草書房の本、買わないもんなぁ
ナ ねー。いや、本当にこれはね、本当にびっくりでした
恐 はい、そのうえで100ページ書くからね。本当の――本当にかっこいいっていうのはこういうことなんすよね
ナ うん。あと――これを読んだ人、要は外野の人たちが、哲学者の先生を、名指しして、誰々先生、誰々先生、誰々先生、これについて感想くださいって言ってるんですよ、外野が
恐 (笑) そうなんすよ
ナ (笑) だから、ほんとにね、外野の人も含めて、どんどん――混乱の坩堝の中に、哲学者と科学者をどんどん投入して、どんどん戦わせようとしてる、蠱毒と一緒ですよ
恐 そうですね、ムシキングみたいな感じですよね
ナ (笑) ムシキングと一緒(笑)
恐 (笑)
ナ おもしろいですよね。これもね、結局、学問的にお互いがもっとお互いのためになることしようよみたいな気持ちでやってるから、ほんとに素敵なことですよね、学問ってそういうものであってほしいよね
恐 (笑) そうですね、やっぱね、でもなんかこう――読んでると、これ、ぜんぜん種本にあたる『〈現在〉という謎』を読んでないからアレなんですけど、読んでるとですね、谷村さんのやっぱ姿勢っていうのが、本当に科学者特有の考えの筋道の立て方だな、と思って
ナ うんうん
恐 感心したっていうか、なにがやっぱ一番違うかっていうとですね
ナ はい
恐 科学者っていうのは、まあ当然のことではあるんですけど、世界ってものがあると信じてるんだなっていう (笑) ――素朴な感動ですよね
ナ いや―― あ、いいですよ
恐 なんかね―― もし納得いかなければすぐ言っていただければ
ナ いやでも世界というものが、あるかどうかっていうのは別に信じてなくて、むしろ科学者って疑いを常にしていて、世界っていうものが本当にあるのかどうかわかんないから科学をやっているってスタンスのほうが正しいのかなってっていうふうに
恐 ああ、そこかもしれないです、なんていうかですね――科学をやることによって、世界があるかどうかについてわかると思っている、っていうかんじですね
ナ ああ、なるほどね、はいはい
恐 わからないとしても、科学――科学的なアプローチによってわからないような世界の事実に関して、わざわざ考える意味ってあります?っていうふうに
ナ ああ、はいはい
恐 ――姿勢としていくっていうのが、科学的な姿勢の特徴のような気がしてですね
ナ はい
恐 ほんとの客観的なことを言えばですね、こんな戦い、物理学者サイドのほうが圧倒的に有利なわけですよ
ナ (笑) それはほんとにそう思う
恐 (笑) だってめっちゃちゃんと考えてるからね、矛盾のないように、蓄積もあるし――世界っていうものは、粒子でできて、相対性理論、特殊相対性理論、あれこれあって、絶対的な時間っていうものはないんだと――ないんだとか、限定的な場合にだけあるんだ、みたいなね、そういうのちゃんと、決めれば、それはもう、それが正しいに決まってるんですけど――
ナ はい
恐 じゃあ哲学者がどこで逆転するかっていうと、でも、結局、そういう――世界に関する、客観的な諸々の事実、を集めたセットがありますよね
ナ はいはいはいはい
恐 そのセットを、認識しているのは、あなた――というか、認識しているという自分がいるだけじゃないですか、というような形で――
ナ はいはいはい、そうね
恐 哲学者はですね、相手の腰の下に手を入れてひっくり返そうとするんですね
ナ そうそう、だから、逆に言えば、スタートの時点、前提をいくつもいくつもひっくり返そうとするのは、哲学サイドとしては当然なんですよ
恐 そうなんですよね
ナ だって、そうじゃない方法で世界を明らかにしようとするなら「科学」をやるんだから
恐 そうそうそうそう。(コメントを見て)ああ、そうそう、フッサールとかね、現象学もそういう分野ですけど
ナ うん
恐 だから、人間の――人間のというか、わかんないけど、カエルでもサルがしゃべってもそうですけど――客観っていうものは世界ではめちゃめちゃ強い視点なわけだけど、私たちはそれをどっかの主観の――主観という点からそれを言わざるを得ないという部分で、典型的な言い方でいうと「でもそれ全部夢かもしんないじゃん」とか「シミュレーションかもしれないじゃん」とか、可能世界のひとつでしかないかもとか、そういう揚げ足の取り方ができちゃうようになっていって、でも物理学的な姿勢でいうとそういう「そんなこと言われたらなんも蓄積できないじゃん」っていうようなね
ナ そうですね、それもそうだし、科学者としての姿勢は、もしこれが全部世界中が――これがある意味観測者の夢であったり、あるいは――可能世界のうちのひとつである、だったとしても、じゃあ、それはそうとして、世界の真理に一個近づいていて、次は、可能世界じゃない、もっと上の、上位の世界のこと科学すればいいじゃん、僕の認識がもし間違っているのだとしたら、もっと世界全体の――もっと上のランクの科学をやればいいじゃんっていうふうにきっと思う、のかな
恐 うん
ナ だから、ほんとにちょっとでも世界がわかればいいやっていう、たぶんそういうことなんですよね、だからそれが間違って――
恐 そう――
ナ それがそもそも、認識として――
恐 それがそもそも、ですね、だからね、最初からね、哲学者サイドが、ほんとはもっと開き直るべきだと思うんですけど (笑)
ナ (笑)
恐 なんかわかんない、私なんかは正直意味がわかんないんですけど、政治哲学とか、倫理の哲学とか、科学哲学っていうのもありますけど
ナ はいはい
恐 そういう蓄積のある世界で哲学をやるっていうことが、私にはどういう意味だか全然よくわかんない
ナ ああ
恐 (笑)
ナ 哲学そのもの――哲学という学問そのものに対して疑問を呈したのってウィトゲンシュタインでしたっけ
恐 そうですね、そういうふうに言えるんじゃないですかね
ナ はい。――そうなんですよね、哲学自体の哲学、メタ哲学かな
恐 そうですね、はい
ナ ――が、恐山さんがいま抱いている疑問なのかな、メタ哲学に内包されるのかな。それでいえば私も――
恐 というか―― はい
ナ 私も思ってることがあって、哲学って――もそうだし科学もそうなんですけど、当たり前のように論理を使っているじゃないですか
恐 はいはいはい
ナ 科学は――科学ってその、必ず論理的に、検証していく作業なので、論理は、あらゆる学問に先んじてあるわけですよ、論理学は
恐 そうですね、論理学自体ができたのはその後だとしても、先んじているってことになってる、みたいなね
ナ そうそうそう、すべての土台に論理が――論理学がありますよね。それは哲学もまったく同じで、哲学のツールって言語と論理であるけれど、逆に言えば論理がないと哲学できないわけですよね。そもそも論理が正しいかどうか、論理が正しいと信じていること自体が、どうして成り立つのかっていう疑問はありますよね
恐 ああ、どうして成り立つんですかね
ナ ね。だって――たとえば「常にふたつの事象が同時に起きることはない」っていう
恐 ふたつの事象――
ナ 「排中律」か、排中律の原則があるじゃないですか、論理学には
恐 はいはい、たとえば――「リンゴがあり、かつ、ない」みたいなことは、あり得ないってことですね
ナ そうそうそう、あり得ないっていう、排中律があるじゃないですか。それ自体が、いまこうして成り立っていることって、そもそも――それを証明することって不可能じゃないですか
恐 はいはいはい
ナ だって論理を証明するためには論理を使わなきゃいけないからね
恐 はいはい
ナ 絶対に不可能なわけですよ。にもかかわらず我々はなんにも疑いなく論理を用いているけどそれっていいのかなって思う――でもそれを調べるためにも論理を使わなきゃいけないから、これって永遠に無理なのかな、だとしたら哲学がやってることって、すべてその疑問に帰結しちゃいませんか?
恐 うんうんうん
ナ わかる?
恐 わかりますよ、私は言いたいことはわかりますよ
ナ よかったよかった
恐 ――ていうのも、私はよく知らないけど分野としてありますよね、そういうことをやってるっていうのもね
ナ ね
恐 だから、でも――科学的なアプローチで見えてくるような真理とはまったく違う解決のされ方にしかならないってことですよね、そういう問題っていうのはね
ナ うん
恐 だからまあ、結局ウィトゲンシュタインの言ってることに似ちゃいます――似ちゃうっていうかほぼ同じですけど、そういう問題っていうのはほんとは問題じゃないんだと
ナ うんうん
恐 偽の問題なんだよっていう、結論があって、なんで偽の問題なのかっていうのを交通整理みたいな感じで説明するっていうのが哲学の役割なんだよっていうようなことをね
ナ ああ、言いますね
恐 まあそれはある意味、正しい、のかなー、――ああわかんなくなってきちゃった
ナ ね、そう、こういう話してるとわかんなくなってきちゃったって、とりあえずいっかってなっちゃうんですよね
恐 そう、あのね、これめちゃめちゃ説明が難しい話なんすよ
ナ ええ、そうなんですよ
恐 ちゃんと矛盾のないように説明すると、矛盾がないっていうことは、客観なんですよ。客観だから科学なんですよ。科学になったらそれってもう科学者の仕事だから、ふわふわしたことしか言えない哲学者はちょっとどいててねってことになっちゃうわけですよ (笑)
ナ (笑) なっちゃう
恐 だから、哲学者は変な言い方すると矛盾したナンセンスなことしか言っちゃいけないっていうようなね (笑)
ナ そうなんですよ
恐 むしろ変に役に立つような奴は科学のほうへ行け、あっち行けっていうようなね
ナ そうそうそうそう
恐 (笑) めちゃくちゃ詐欺的な学問なんだと思いますよ
ナ おもしろいですよね、これって。ほんとにおもしろい。つってね――
恐 だからね――よくこんなものにね、補助金が出るよねっていう話ですよ (笑)
ナ (笑) それはほんとに――でもね、すごく重要なんだと思いますよ
恐 重要なんですよ、これは、たぶんね
ナ うん。結局、先駆的な学問なわけですからね、ほんとに基礎研究中の基礎研究だと思いますよ、哲学って
恐 そうですね
ナ はい
恐 でもこれはもう、ほんとに、我々のような素人がふわっと結論を出せることではまったくないから
ナ 全然ない、ほんとに、永遠に勉強し終わらない。哲学――
恐 でもこのね、いま画像出てますけどこれ(『一物理学者が観た哲学』)は、ほんと興味なくても太字のとこを読むだけでちょっと、四章めっちゃおもしろいんでね
ナ ね、レスポンチバトルがね、おもしろい
恐 (笑) 久々に聞いたな、レスポンチバトルって
ナ (笑)
恐 聞いたっていうか、声で聞いたことなかった (笑)
ナ (笑)
恐 いやもうこんな、誰かがこの――この今回の論文指して「谷村先生がこぶしに血をにじませて書いた文、ちゃんと応えないと」っていうことをね、言ってたから
ナ (笑) うん、そう思いますね、これほんとに――物理学と――物理学と哲学の、対話というか、学術的な交流として非常に有意義なディスカッションだと思うので
恐 うん
ナ もう少しやるだろうから追っていこうかなって。ねー
恐 ねー。そうね、心の哲学、心の哲学ねー
ナ ねー
恐 心の哲学なんかがちょうどこういう科学と哲学のガチ――バチバチの中の熱いところですよね
ナ うんうんうん
恐 人間の心も結局、脳の働きでしかないっていうようなね、作用――それはもう客観的にわかってることだけど
ナ ええ
恐 でもそれだけだと何かこう、取り逃すことあるんじゃないの、みたいなね
ナ うんうんうん
恐 これはおもしろい
ナ おもしろいですね
恐 おもしろいけど、でも私は心の哲学はもう九割九分科学がどうにかできると思ってますけどね、ほんとに
ナ ああ、それはね、よく思う。哲学者のやってる哲学が、それ科学でどうにかできません?っていうものであることありますよね
恐 ありますからね
ナ それは科学者サイドでしょ、認知とか認識はもう科学者サイドでいいでしょって思ったりもしちゃうなー
恐 そうそう、ちょっとあんま――ちょっと話ずれるけど
ナ ええ
恐 私ずーっと、――私、哲学っぽい話題とかけっこう好きなんですけど
ナ はいはいはい
恐 そういう立場からすると意外に思われるかもしれないんですけど、たとえばね――なんだろう、例に出すとちょっと悪いかな、たとえば
NieR:Automata(ニーア オートマタ)ってゲームがあって
ナ はい
恐 あれとか人間によく似たアンドロイドみたいなのが、めっちゃ戦ってゴミのように死んでいくみたいな話なんすよ
ナ はい
恐 それでなんかこう――機械の体だけど心が実はあって、みたいな話とか、他にもまあ映画とかでも無数にあるじゃないですか、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』とか、心を持つロボットはいるのかみたいな
ナ ありますね。うん
恐 私はどうでもよくない?って思ってて、それ。でもああいうのってけっこう哲学的に興味深いっていうような感じでいまだにいろんなところでね、書いてあるし
ナ うん
恐 プロの人も――プロの哲学者の人も題材にしますよね、ロボットは心を持つかっていう
ナ はいはいはい
恐 でも個人的な、元も子もないこと言えば、心持ってるかのようにね、振る舞う機械を作ることは、今の技術では無理だとしても、論理的には絶対できると思うし
ナ はい
恐 できないにしても、単に人間の科学力の限界がそうだってだけの話で、心があるフリっていうのはできると思うし、しかもそれが完璧にできたのであれば、もう――心があるっていうふうに言ってしまわざるを得ないというか
ナ はい
恐 言ってしまっていいし、言わなくたっていいと思う、それは――政治だから
ナ はい、わかりますよ
恐 はい。それはだからもう、なんだろう、別のたとえで言うと、心が女性で体が男性の人が、じゃあどっちのトイレに入ったらいいの、みたいな問題と同じで、話し合いとか、そのときの政治とかが決めることだから
ナ はい
恐 最終どっちになってもいいと思ってる
ナ はい
恐 トイレでいえば三つ目のトイレを作るみたいな感じで、ロボット用の人権を作るみたいなことをしたっていいわけだしね
ナ はい
恐 そういうふうにただ、そういうふうに決まってくるだけのことに哲学が出てくる幕って別にないんじゃないかなぁってね、思っちゃうんだけど
ナ うん、思いますね。なんだろうな――どうなんですかね、その――心があるかないかっていうと、心ってそもそも――心っていうか、意識、私たちの、いまここにある、私がいまここにいて、いま見ているもの感じているものっていうものを、操作しているひとつの意識があるわけじゃないですか
恐 はい
ナ これを、心、というのであれば、なくないですか? そもそも
恐 そうなんですよ
ナ もともと人にもこれ、なくないですか? 一瞬の、瞬間的な――意識みたいなものがここにあるだけであって、それは決して連続していないし――この意識って「ない」んですよ。ないのよ、意識って
恐 (笑) いいぞー、いいぞ、夜中の配信っぽくなってきた (※25時46分)
ナ (笑) 心――とか意識とかって、ないのよ、ないの
恐 ない、ないね
ナ ないのよ
恐 いいよー、深夜のファミレスでこういう話ばっかしたいですよね
ナ (笑) Discordでね、いつもしている議論はだいたいこんな感じで。私、意識ないと思う、っつって――
恐 私は、もっとラディカルかも。あってもなくてもいいみたいな、結局なんかそれは、政治で決めることだから、政治っていうか――言葉のルールとして、好きなように、あるとかないとかは話し合いで決まってくることだから、いかに、心なんて実はないんだみたいなことを言っても、心があるとかないとかそういう語彙を使って通じる会話があるわけじゃないですか
ナ はいはいはいはい
恐 話が通じるってことはそういう意味では「ある」っていうことだから、そういう意味において、心っていうものは一般に存在するって言っちゃってぜんぜん構わない
ナ そう、いまとりあえずそうしているだけという感じですね
恐 (笑)
ナ なんなら、生とか死って「ない」とも思うしね
恐 (笑) ちょっと、エンジンかかってきましたね
ナ それはね、そうとしてね
恐 そうね
ナ ――ていう話はね、すごい楽しいですよねー
恐 楽しいですよねー。みんなはどうなんだろう、ねー
ナ 永遠に―― ねー。どうなんでしょうね
恐 映画とかでね――実はこいつはロボットだったんだ!ってなって、ガーン!ってなるけど、何にガーンってなってんのか私にはよくわかんない
ナ わかんない、うん
恐 どういうこと? 人じゃなかったら心がない、なんでそう思うのかよくわかんなくって
ナ うん
恐 たとえば、自分の親とか自分の子どもとか――と20年くらい付き合ってきて、それである日健康診断でレントゲン撮って頭の中見たら、なんか脳がなかった、ってなった場合、あなたの息子さん、脳なかったです――
ナ (笑) ないんす、意識とか心とか、ってね
恐 ――だから、頭蓋骨の中空っぽなのに、なんか普通に暮らせてました、人じゃなかったです、ってなっても
ナ 奇跡的にね
恐 あ、じゃあうちの息子って心ないんだ、とはなんないじゃないですか、別に、たぶん
ナ (笑)
恐 (笑) 心があるけどなぜか脳がないっていう不思議なことがあるな、っていうことになるだけだと思うから
ナ そうですね
恐 だからロボットもそれとおんなじで、別に電子回路でできてるからいいじゃんって思っちゃうんですよねー
ナ はい。そうなんだよな――
恐 ――もうちょっと柔らかい話しましょう、私もうわかんなくなってきちゃった
ナ そうしましょうか、じゃあどうしよう、最近起きた不思議な話でもしていいですか
恐 最近起きた不思議な話しましょう
(後略)
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このあとの話題についても起こしたかったのですが、すでに15000字を超えているため諦めます。配信をご覧ください。
・最近起きた不思議な話
・「反出生主義」ブーム
・久川凪と道満晴明、猫、INTERNETのデマ
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