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伊藤を待ちながら|2021年5月17日の日記

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引用:『ベスト・オブ・ベケット1 ゴドーを待ちながら』安堂信也・高橋康也 訳、白水社、p.100


手書きの日記を書こうと思ったけど途中でめんどうになったので、とくに意味もなくベケットを書きうつして終わりにした。

『ゴドーを待ちながら』を読んだのは3年半くらい前のことだ。内容はほとんどおぼえていなかったけど、本をひらいてぱらぱらとみていたらすこし思いだした。そういえばこんな名前だった。メインのふたり以外にも少年や金持ち?が出てくるんだったな。

ゴドーは「神」だという通説はすごく納得感があるのだけど、だからこそ疑わしいような気もする。神でなければなんだろう。幸福とか福音とか救済とか、もしくは死とか? 抽象的な概念がでてくるだけだったら、けっきょく神と同じことなのかな。


ということで、お昼休みに聞いたありスパ!

おふたりの『コントが始まる』の話、よかった。わたしは第1話をみて明確にオモコロのことを思ったので、原宿さんの言及にはかなりうなずけた。

「コント(笑い)」があたえうる影響を原宿さんは「人の心を軽くする瞬間」と表現していて、立場のちがいから選びとられたことばだと思うけど、たしかに「支え」よりしっくりくるかもなあと思った。

わたしはこれまでほとんどオタク活動をしたことがなく、はじめてハマったのが匿名ラジオとオモコロだったので、じっさいに存在していてしかも(インターネットを介して)こちらの声がとどきうるかれらにたいして、あまり大きすぎる感情を抱かないようにと気をつけている。「あなた方に支えられている」ではなく「あなた方が生みだした過去・現在のコンテンツが好きであり、もし可能であればいまより先の活動も見たいと思っている」と過不足なくいいたい。たんに「オモコロ」といえばいいところをわざわざ「オモコロのコンテンツ」ということがあるのもそういう理由である。自意識(?)が過剰ではあるな。


おすしさんに「そんなふうに誘われたらどうする」と問われた原宿さんの「震える」というこたえ、よかったな~。今回、原宿さんのことばづかいが好きだなと思うところが多かった。後半ひどくて笑っちゃったけど。



寝たのが5時まえだったのでねむい月曜の朝。仕事がたくさんあったのでそれなりに集中してとりくんだ。自分の仕事は定時ごろまでになんとか終わらせて、ほかのひとに任せていた分も回収できたのでよかった。


仕事を終えて、てきとうにごはんを食べながら『大豆田とわ子と三人の元夫』第5話をみる。

第5話の中盤、お店でとわ子と八作が会話する場面の間や表情のすべてが完璧で、ほとんど感動にちかい思いがあった。言いかけてやめる、みたいなのってドラマだとそれこそ「芝居がかった」表現になりがちな印象があるけど、そういう違和感……というか「現実」に引きもどされる瞬間がなかった。すばらしいですね。



夜、この記事を読んで、胸をうたれた。

匿名あつかいでの高額寄付ってあるにはあるんだろうし、それぞれの思いがあるにはちがいないけど、「小1から始めた貯金」は強すぎるなあ。どんな気持ちで、と想像してしまう。人生ぜんぶのったお金だ。



日記を書きながら、数か月ぶりにオールナイト虚無。

第34回、みたような気もするな……。わからん。さすが「観たあと何も残らない」を標榜するだけある。

……と思ったけど、これはおぼえていた! やっぱりみたぞこの回。

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(動画のキャプチャ)


毎日いろんなコンテンツがでてくるのでむかしのを掘っている時間がなかなかとれないけど、虚無ラジはすこしずつ追っていきたい。おもしろいからね。


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