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《マタイ》で不思議な気持ちになったこと 他|2020年8月27日・28日・29日の日記

2020年8月27日

仕事詰人(しごとつみんちゅ)。

翌日午前納期の仕事にとりかかる。かんたんそうにみえて無尽蔵に指摘がでる案件で、読めども読めどもすすまない。泥を泳ぐ。

お昼に読んだ! 野田せいぞ!!!!!

前半「いい記事〜!」だし、後半「おもしろ〜〜〜!」だし、とてもよかった!!!

恐山の作画がいい……。キャラクター化すると映えるんだなあ。もともとキャラクターみたいなビジュアルだけど。

仕事のすすみのわるさとエアコンの不快さ(つけると寒く消すと暑い)にたえかねて15時まえにアイスとおやつを買いにでた。空が夏。

たまに30分くらいの休憩をはさみながら22時すぎまで仕事をして、散歩がてら夜ごはんを買いにいく。

帰宅後再開。けっきょく3時すぎまで仕事をしてようやくしあげた。それでも実働時間のメモをみると朝から数えて10時間半くらいだったから、集中力のつづかなさがほんとうに問題である。まともにやっていたら22時くらいには終わらせられたかもしれないのに。

自分で選んだ仕事とはいえ、これだけモチベーションの低い状態で深夜までだらだらと机に向かっているのは心身によくない。この状況で「時間がない」と言うのもうそすぎていやになる。深夜や土日に取り返せばいいやと思わず業務時間中に仕事をしよう。あたりまえのことだけど。


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2020年8月28日

前日おおめに仕事をしたぶん、あまり仕事をしなかった。最低限のことをすすめる。(日記を書いているのは土曜で、金曜時点では先に書いたような反省をぜんぜんしていない。)

来週からがんばるぞ〜

終業即動画。サムネ、何!?

ケイティ・ペリーにつづいてビリー・アイリッシュですって……。もうなにがきてもおどろかない。

しかしこの爆売れ歌手たちのリーチしていない属性としてのオモコロチャンネル視聴者、というのは的確でさすがといえばさすが。じっさいどっちも聴いたことないもんな(名前は知ってるけど略歴などは知らない)。

動画はおもしろかった!!! 白背景に恐山、あまりにも顔がまっしろで不安になる。栄養のあるものを食べてくれ。

19時から買いだし、シャワー、打ちあわせをすませて、今週もリモ飲み!

本読み回第2弾だ!!!!!!!

前回につづいてみなさんの興味の幅広さに感嘆しっぱなしだった。思いもよらぬところでつながっていくのもすごかったな。積読のはなしもおもしろかった! 今回も最高!!!!!!!!!

0時半に解散。たのしかったリモ飲みのあと、ねむいのに寝るのが惜しい気がしてしまってだらだらしていた。こういうのがよくないのよね。

むかしから趣味はと問われたらなんとなく読書とこたえるけど、このごろは「さいきん読めてないですね〜」ということがおおい。まったく読んでないってことはないんだけどな。ひとに話せるほど腹落ちしていないということなのかもしれない。


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2020年8月29日

10時打ちあわせ、12時整骨院、ごはん、13時打ちあわせのあと練習ため移動。もりだくさんの土曜日。

都営バスに乗った。移動にバスを使うことはすくない。知らない街でバスに乗るのは電車に乗るよりずっとハードルが高いのだ(まずバス停が見つけづらい)。

ふだん電車で移動していると、目的地と目的地はそれぞれ点で、電車のドアはほとんどどこでもドアのように思える。だからわたしは都内を歩くのが好きだ。街から街へ景色が移り変わっていくのを線で感じられるのがたのしい。

バスはその中間で、すこし歩くのに近い。わくわくして乗ったのだけど、窓から外を眺めていたら寝てしまった。寝すごさなくてよかった。

3月をさいごに対面練習を見あわせていた、バッハ《マタイ受難曲》練習のプレ再開としてコラールを歌った。

きょうの練習中はなにか不思議な気持ちになった。第3曲 “Herzliebster Jesu” を歌いながら、「神が実在することは自明なのに、なぜ歌う必要があるのか?」と考えたのだ。

(こういうはなしはどこから矢が飛んでくるかわからないtwitterには書かないのだけど、noteだとどうなんだろう。まあいったん書いてみよう)

わたしは特定の宗教に帰依している意識のない、この国にはよくいるタイプの若輩で、宗教音楽(キリスト教音楽)にふれるなかでキリスト教や聖書について知識としては多少知っていても信心はない。逆に無神論の支持者でもない。

学生時代の指揮者がこんなことをおっしゃっていた──ふだん神を信じていなくても、歌っているあいだだけは信じるべきじゃないか。

これまでそのことばについて考えながら、歌う内容について自分なりに理解を深めて一曲一曲にとりくんできた。

いろんな考えかたがあるから、技術が必ずしもともなっていなくても本質が伝わる演奏があるとか、技術があれば内心でなにを考えていてもいいとか、ことばが先で音が後とか、音が正確でなければとか、どれが正解というわけでもないことをうんうん考えて、そのときできることをやってきた。

そんな10年近い月日のなかで、きょうみたいなことを思ったのははじめてだ。なぜだろう。

ここまできたらおこがましさはいったん端に置いておくほかないが、“Herzliebster Jesu, ...” の音が鳴ったとき、それを発する自分の自然さ、耳に入るまわりの音のなめらかさを感じて、ごく自然に「ああもう歌う必要などない」と思った。もうわかりきっていることだから。知っているから。伝わっているから。


たぶんこれは「正しい」ことではないだろう。だからこれはただ「そう思った」というだけのはなし。なぜ「そう思った」のか掘り下げたかったけど、ぜんぜん思いあたらない。なにが起きていたんだろう。そもそも「神がいるから歌う」のだし、因果が逆転している。

古典には普遍の力がある。バッハには神がいたのだから、バッハをとおしてそれを感じたのかもしれない。

(演奏会本番やその直前の練習のように集中力の高まっているときじゃなく、つかれていてちょっとねむくて体調がよくない日にそれに遭遇するのは不可解ではある。)

各停でのんびり帰ってきて、最寄りのファミマでほかおに新聞をプリントした! うれし〜

こちらこそいつも応援させていただいてありがとうの気持ちです。

あしたもやることがたくさん。きょうははやく寝るぞ!


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メモ

概要
(8月27日)3時就寝。10時半起床。11時まえ始業。11時半お昼休み。12時半午後始業。22時半買いもの。23時すぎ仕事再開。3時すぎ終業。
(8月28日)4時就寝。10時すぎ起床。10時半始業。12時お昼休み。15時午後始業。18時半終業。買いもの。打ちあわせ。リモ飲み。
(8月29日)3時まえ就寝。10時まえ起床。10時打ちあわせ。11時半すぎ整骨院。13時打ちあわせ。移動、練習。20時帰宅。ごはん、日記。お風呂、日記。

食事
https://scrapbox.io/marimo-alt/2020年8月27日にたべたもの
https://scrapbox.io/marimo-alt/2020年8月28日にたべたもの
https://scrapbox.io/marimo-alt/2020年8月29日にたべたもの

ラジオと動画
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・イマラジオ(#116)
・匿名ラジオ

読みもの
・ジェラルド・ダレル『虫とけものと家族たち』

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