2020年5月25日の日記

気候。

在宅勤務29日め(開始日から47日)。はじめての発令から49日がたち、最後に残った5都道県の緊急事態宣言の解除が発表された。長かったような、すぎてみればあっというまだったような。いまの生活が「日常」になってしまって、これからまた日常に戻れるんだ、という高揚感はない。

10時半~18時半で在宅勤務をして、所属団体の活動はぜんぶ中止かオンラインになって、年度末や新年度の飲み会はひとつもできなくて、ほとんどの時間をひとりきりでなんとなくすごした約2か月だった。

9時に起きて9時14分の電車にとびのって出勤(いまかんがえるとどうやっていたのか?)、週に2日は終業後に予定のある平日、基本的にぜんぶ埋まっている週末、毎日の電車移動と月に数万円の飲み代、そういう日々に戻れる気がまったくしない。

電車には4月19日以来乗っていない。たった1か月まえのことなのに、他人とからだが接する距離(平日朝晩ともにいわゆる満員電車というほどではないが、本は読めないときがある)で数十分間をすごせる自信がなくなってしまった。

まだしばらくは在宅勤務がつづきそうだけど、ずっとこのままというわけではないだろう。いまの朝課をしながら余裕をもって8時台の電車に乗ろうとしたらやっぱり8時にはすっきり起きていないといけないな。

これからいろいろなことがこれまでに近いかたちでできるようになって、所属団体の活動も再開して、またそれが「日常」になるとき、わたしは「ひとりの時間がほしい」と思うようになるだろうか。


また「がんばる」ことをしないといけない、と思ったとき、サン=テグジュペリ『夜間飛行』の一節を思いだした。

「ロビノー君、人生には解決法なんかないのだよ。人生にあるのは、前進中の力だけなんだ。その力を造り出さなければいけない。それさえあれば解決法なんか、ひとりでに見つかるのだ」*1

2015年末から翌年初に読んだときにメモしていた一節だけど、いまになって、そうだなあと響いている。
わたしはいつも走っているから、こんなに立ち止まったことがなくて、この環境に身をおいてはじめてしみじみとわかったのかもしれない。

手元の本をぱらぱらとめくっていたら次の一節が目にとまった。上とおなじ、開拓者リヴィエールのことば。

「物事の力というものは不思議なものだ、処女林を育て上げるあれと似た隠れた大きな力があって、大事業の周囲には必ず現われ、無理にもこれを助成する」
(略)
「大きな事業をするには……」
 彼はまた、自分の信念を強めるために、思うのだった、(略)
「僕は、自分がしていることがよいことかどうか知らない。僕は、人生に正確にどれほどの価値のあるものかも、正義にどれだけの価値のあるものかも、苦悩にどれだけの価値のあるものかも知らない。僕は、一人の男の喜びに正確にどれだけの価値のあるものかも知らない。わななく手の価値も、哀憐の心の価値も、優しさの価値も知らない……」
 彼は夢想した、
「人生というやつには矛盾が多いので、やれるようにしていくよりやりようのないものだ。ただ、永久に生き、創造し自分の滅びやすい肉体を……」*2

わたしのしようとしていることは「大きな事業」なんかではなくて、『夜間飛行』をひくのはおこがましいような思いもするけど、それでも(これは自分のために書かれたんだ)と感じるようなことばをみつけられるのが普遍ってことなんだろうな。


高橋源一郎の論語もひとつ読んだ。

前回くらいから知っていることばがちらほら。記事から引用。

27 子曰く、故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知れば、以て師と為るべし。

 29 子貢(しこう)、君子を問う。子曰く、先(ま)ず行え。其の言は而(しか)る後にこれに従う。後にこれに従う。

 31 子曰く、学んで思わざれば罔(くら)し。思って学ばざれば殆(あや)うし。

なんだか、自分のおこないを正当化するためにそれらしいことばを探してきてあてはめているんじゃないかと思ってしまう。

「温故知新」は高校のとき部の座右の銘(?)だったのを思いだした。なつかしい。なんの意味もわからずに掲げていたものだ。


よくtwilogでむかしの自分のつぶやきをみる。

1年まえは、村上龍『オールド・テロリスト』を読了したところだったらしい。

おどろくべきことに去年は15冊(!)しか本を読んでいなかったので、そのなかの1冊がこれほどつよく印象にのこるものだったことはある意味では幸運だと思う。2008年から記録につかっている読書メーターにのこした感想のいきおいもすごい。

1年たったいまあらたに書けることはないし、新宿(作中のある出来事の舞台になる)に密接な生活ではもういちど読もうと思うのはなかなかハードルが高いけど、まだ本棚にあるのでいつかまた読むと思う。

(わたしのせまい部屋のちいさな本棚にはかぎられた数の本しか置けないので、読みおわったものはできるなら手放すようにしている。だから「本棚にある」ことにはわたしには意味がある。)


あしたになっても急にいろいろなことが変わるわけじゃない。
でも「モラトリアムは終わった」というかんじがする。

前進していかなければならない。


食事メモ:
10時半 トースト(素)
12時半 ごはん(1/2杯)、かぼちゃのそぼろ煮(きのうののこり)、箱パルム
15時半 ピーナッツチョコレート(2袋。ほんとにたべすぎ)
19時 ごはん(1杯)、かぼちゃのそぼろ煮、箱パルム
23時半 箱パルム(たべすぎでは?)
白湯と水たくさん
日課メモ:
・床の拭き掃除
・ラジオ体操第一、第二
・スクワット 20回 3セット
ラジオ・動画:
オモコロチャンネル
匿名ラジオ
読みもの:
池澤夏樹『明るい旅情』 より「北欧の酩酊」

 高橋源一郎「一億三千万人のための『論語』教室」
──「コロナの時代」に「論語」を読むこと。6

『日本国語大辞典』をよむ(今野 真二) | 三省堂 ことばのコラム
──第7回 タヌキとサルトリイバラ

異名がたくさんあるはなし。この記事どうやって書いたんだろう……と思われるほど充実した列記。おもしろいなあ


---------- 引用箇所 ----------
*1 サン=テグジュペリ『夜間飛行』堀口大學訳、新潮文庫、p.96
*2 同、p.58-59

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