歩行者と車、女と男
<1>
私はペーパードライバーなので、道路での移動手段は徒歩か自転車である。
毎日毎日道を歩いていて、車(を運転する人)の凶暴性には怒りと恐怖を感じている。
歩いている時、
・青信号で横断歩道を渡っていたら、右左折する車が突っ込んできてどかされた
・徐行しなければいけないような狭い道で時速50kmくらいで真横を走られ死ぬ思いをした
このような経験をすることは、交通量の多い都内なら日常茶飯事である。
では、車は車相手に同じことをやっているか?
・直進する車をどかしてまで右左折する車
・狭い道で車同士ぶつかる危険を承知でスピード出してすれ違う車
いないとは言わないが、このようなことがあれば動画を撮られたちまち拡散されるほどの「危険行為」「あり得ない行為」として認識されているだろう。
しかし、おかしくないか?
車→歩行者 なら当たり前に危険行為が行われ、
車→車 ならそうそう行われない
同じ行為なのになぜ車相手にはしない?
私はこの構造は
男→女 への加害行為とよく似ていると思う。
<2>
その理由を考えてみた。
「それをすれば自分も危険だから」ではないか?
車と車が接触事故を起こしたら、自分が死ぬ可能性がある。
車に乗って歩行者を轢いても、車側が死ぬ可能性は低い。
これに尽きるのではないか。
無論、歩行者を轢いてしまったらその結果に応じてなんらかの刑事責任を問われるわけだが、轢かなければなんの責任も問われないのが現状である。
免許を持っている人ならわかると思うが、青信号を渡る歩行者をどかして右左折するのは立派な道路交通法違反である。
それにもかかわらず、殆どの場合なんの責任も問われずに日常的にその行為が行われているのである。
それは、ぶつかり男や痴漢にも言える。
ほとんどのぶつかり男や痴漢は捕まらず、たとえ女性がなんとかつかまえたとしてもほとんどが口頭注意に終わる。
ご存じの通り、ぶつかり男や痴漢の被害者のほとんどは女性である。男は被害者にならない。
それもやはり、「男相手にやったら自分が危ないから」である。
<3>
私は女性差別は女と男の身体差が0にならない限りはなくならないと思っている。その理由は前述のとおり、人間は自分より弱いものに対しては実に自己中心的で暴力的であるからだ。
もっとも、性差による身体差がなくなったとて個体差はあるわけだから、そのなかで小さいもの弱いものが被害にあう世の中は変わらないが。
<4>
ここまで大きさ強さによって加害する・される、と書いてきたが、男の加害性についてはその限りではないように思う。
無論女が小さく弱いから舐められているという節は大いにあるが。
Twitterで、前述のような車からの脅かし行為を男に話したら、「俺はそんなめにはあったことない」と言われたと報告する女性の話を見た。
その報告を見て「男にはやらないのか!」と私は驚いた。
まぁ、やらないわけではないのだろうが、女よりもやられる可能性が低いということであろう。
痴漢は性欲ではなく支配欲・加害欲よるものということはフェミニストならよくご存じだと思うが、よく考えてみれば、支配欲・加害欲のみが原因ならなにも女相手でなくてもいいわけである。
自分より小柄で非力そうな男相手でもいいはずだ。
それなのに、ほとんどの痴漢が女に対するものなのはミソジニーが染みついているからに他ならない。
「女に嫌な思いをさせてやりたい」というミソジニストの執念である。
私は女性の中では大柄で、体の体積でいったら私より小さい男なんて山ほどいる。
しかし痴漢はそれらの小さい男ではなく私を狙うのだ。
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私は車に脅かされるたび、男の女への加害を思い出しイライラしていたが、ミソジニーは体の大きさとかそんな単純な問題ではないとこの文章を書きながら気づかされた。
私を含め多くのフェミニストたちは、190cm100kgになりたい、と嘆く。
しかし190cm100kgの女がいたとして、私たちよりは男から加害される可能性は低くとも、女である以上その危険はなくなることはないのである。