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日米の違いについて in NY《モノの値段》

NY🇺🇸と日本🇯🇵を行ったり来たりするようになって2年経つ。NYは、様々な人種が街を行き交い、活気があり、レベルの高い音楽や芸術がそこかしこに存在し、刺激に溢れる街だと、渡米する度に感じる。刺激への接点を求める人が集まってくるからか、そこかしこで新しいモノが生まれている感覚やスピード感があるし、そしてまた、人々が仕事をして稼ぎ、多くの消費をすることによって経済がクルクル勢い良く回っているということを実感させてくれる街だ。その勢いは明らかに日本とは違うと感じていた。

アメリカ🇺🇸は、お金を稼ぎ、稼いだお金を、それぞれが価値を感じるモノに投じるのは当然のことと考えられているように思う。モノの値段は、需要に応じて決まるのが当たり前のことであり、例えばスポーツ観戦やお芝居、ライブなどのチケットは、人気があるものはどんどん値段が上がる。日本のように座席の値段は3〜4種類のみで、席の場所は''運次第"というようなことはない。座席ごとに個別に値段が設定され、いい席はびっくりするような高額になる。席からのコートやステージの見え方がチケット販売サイトで見られるようになっているものもあり、買う側は、自分で価値判断をした上で購入する。例えばプロバスケットボールNBA(NYNicks)のチケットは、平均してコートサイドは10〜20万円、2階席でも1〜2万円であり、対戦相手によっても、どの時期の試合なのかによっても値段が違ってくる。ブロードウェイのミュージカルのチケットの値段も同様だ。演目の評判や各々の席の位置で値段が決まっている。評判の良いミュージカルは、チケットが取りにくく、しかも高額になる。

アメリカでは、家の値段や大学の授業料なども同じ理屈で、需要があるモノは値段がどんどん上がる。特に大学の授業料の高騰は学生に多額のローンを負わせることになっており、社会問題にもなっている。家の値段については、NYは(特別であるようだが)、賃料は古い狭い部屋でも月1000ドル〜、家族で住む部屋は少なくとも月4000ドル〜になるし、賃料は毎年上がるきまりになっているかのようだ。販売価格になると、10億を切ると「安い!」というような価格になっており、上を見ればキリがない…。こんな家を買うことができる人が沢山いるということか⁈と驚愕する。

マンハッタンの夜は、高層のアパートや歴史を感じる煉瓦作りのタウンハウスに灯りがともり、とても雰囲気が良い。カーテンを閉めない家も多く、街並みを家の灯りが彩る感じだ。私がNYに到着するのは夜が多く、その雰囲気を「すごい街だ…」と毎回思いながら家に向かうのだが、同時に頭をよぎるのは「これが資本主義の行き着く先、目指した先なのだろうか」ということだ。仕事をして稼ぎ、その稼いだお金でスポーツ観戦に興じ、レジャーを楽しみ、レストランで食事をし、高い家に住み、高い買い物を惜しみなくする…、そういう生活をするために、若者はローンを抱えてでも大学に進学し、社会に出て競争に勝とうとする…。

漠然とだが、私は日本がアメリカを10年くらい後から追いかけているような気がしていた。だが果たして、これが日本が目指すべき姿なのだろうかと単純に疑問を持つ。日本のように、モノの値段を簡単に上げることができず、何となく窮屈な思いをしている不健全さとはまた違うが、アメリカのモノの値段の上がり方や貧富の差の開き方も、ある意味不健全であるように思う。一部の人が莫大な富を稼ぎ、欲しい物を手に入れ、贅沢をして…、その先には何が見えるのだろう。アメリカは資本主義社会として何を目指しているのだろうか。ちょっと大げさになってしまうが、そんなことを考えてしまう…。


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