つい「〇〇は草」と言ってしまう事について真剣に考える
いきなりだけど、タイトルに語弊があった。
厳密には心の中で言っている。
私もいい大人。さすがにTPOというのは弁えている。「それは面白いですね!」と言いながらもつい、心の中で「〇〇は草」と言ってしまうのだ。
後輩や同世代と砕けた会話をしてる時、敢えて「しぬwwww」や「しんだwwww」みたいな表現も使っている。これもTPOだ。そんな時でも心の中では「〇〇は草」と唱えてしまっている。
チャットなどのメッセージでは笑を使いこなしているが、内心は「〇〇は草」だ。
草の何がいいんだろう
まず、短さと音がいい。キャッチーすぎる。
だからこうしてネットスラングになっているんだろう。
あとはネットスラングっぽすぎるが故に、日常で口にしたらアウトなドキドキ感も良い。
言っちゃいけないこと、みたいな。
以前流行っていた(?)【ワロタ】はまだギリ口語でも許された感があるが、【草】の痛さたるやない。
リアルな会話で【草】と言っている人がいたら心底軽蔑の目で見てしまう。
「会話で【草】は草w」
草すぎる、草生えた、草、大草原。活用も自由自在。
大草原不可避 というように漢字だけで表すこともできて見た目もなんか良い。
そういえば最近の若者はもう草なんて使わないのか?と思い、調べると2、3年前の記事で『草はもう古い?!時代は竹』というようなものを見つけた。
「いや、竹は草」
と、こんな具合だ。
本当に笑ってる感も感じられないのがまた良い。
ワロタの方がまだ寄り添ってくれてる感がある。
【草】の醸し出す嘲笑感というか、顔は笑ってないけど文字で笑ってる、真のネットスラング感が心地良い。
たぶんだけど令和6年、【草】についてここまで考えてるのも私くらいだろう。
というか笑をどう表現しているのが最新なんだろう。
間違いなく、個人的流行語大賞があれば間違いなくノミネートだ。
みなさんの個人的流行語大賞があればぜひ教えてください。