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幸せな違和感 〜受け入れられている。〜

人生には、忘れられない瞬間がときどき訪れる。その瞬間の感情の動きはその時にしか体験できないもので、この感覚を自分の意思だけで再現することはできない。でも、感情が高ぶったことはたしかに覚えていているし、信じられないくらい幸せに満ちた瞬間だったことも覚えている。そして間違いなく、今日はそういう時間を過ごした。


私は、この12月から5期生としてコルクラボに参加している。そこで開かれるイベントへの初参加が今日だった。

イベントは、サディ(佐渡島さん)と東畑開人さんの対談だった。傷つくって何か。許すって何か。心の治療には、自分が変わる方法と世界を変える方法がある...。対談は本当に本当に面白かったんだけど、感じたことも考えたこともあまりに多すぎるし、それらが私の頭の方々に散らばっているので、それは別の機会にしっかりまとめることとして、今回はただただ、コルクラボという場所に対して、今日のわたしが感じたことだけを書こうと思う。


「受け入れられている。」
それが、今日私が感じたことのすべてなのかもしれない。


最初の違和感は、会場に入ってすぐ。
少しだけ時間に遅れて到着した私が恐る恐る後ろの方の席に向かっていると、優しく声をかけてくれた方がいた。(緊張しすぎてどなただったか覚えてないのですごめんなさい。)
何がいつもと違ったのかはわからない。でも、あのとき、私は「初めて来た人」ではなくて、あたりまえのように「仲間」(仲間という表現が適切かわからないけれど)として受け入れられている、と感じた。
それはたしかに違和感だった。とても心地のよい違和感だったと思う。


2回目の違和感は、アイスブレイクで。
同じグループになったメンバー全員が初対面だった。アイスブレイクの内容は、自分の要素を5つ挙げる自己紹介のようなもの。その中に「普段だったら初対面では言わないようなディープなものを盛り込んでほしい」と言われた。たいてい私は、自己紹介で当たり障りのないことしか言えない。そして自分のターンが、なるだけ早くそして何の反応もされずに過ぎ去ることこそを望んでいる。でも今日はなぜか違った。自分のことを、時間が過ぎ去ることを期待せずに、話すことができたと思う。それはきっと、私の気づけないような細部まで、運営の方々がどうしたら馴染みやすいかを考えてくれているからなんだろうけれど、それに加えてなのか、そのおかげなのか、あの場の作り出す「受け入れる」という空気のようなものも関係していたんだと思う。


3回目は、対談を受けての感想を全体の前で話したとき。これが劇的だった。
マイクを受け取ったときは、ちょっと尻込みした。自己紹介ですらただ時がすぎるのを期待してしまうような私だから、大勢の前で発言するなんて普段だったら想像するだけで恐ろしい。でもなぜか、大丈夫だった。ものすごく緊張したし、考えもまとまってなかったし、言葉はつまったし、私の言いたかったことが伝わっていたかどうかはわからない。でも、なんだろう、あの安心感は。言いたいことを言っていい、私がまるごと受け入れられている感覚とでもいうんだろうか。
きっと私が普段過ごしている世界は、条件つきの承認で回っている。どんな立場か、何をするか、どんな言葉を発するか。それらが、正誤・上下・その他諸々の関係性のどこかに位置付けされて、承認されたりされなかったりする。なんというか、あの場ではそういうものを感じなかった。


そして極めつけは、最後、懇親会で。
もう、本当にみんな優しかった。
時間も短かったので何を話せたわけでもないけれど、それぞれが私にとって本当に幸せな時間だった。そしてどの人からも感じた「受け入れられている」感覚はあまりに不思議だった。


私も、受け入れられている、という感覚を他者にあげられる人になりたいから、どうしてこの場所がこんなに素敵な場所なのか、受け入れるってなんなのか、これからもっともっと知りたいし、考えていきたいと思う。

#コルクラボ

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mariko
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