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絶対に嫌いになりたくないものを、嫌いになりそうで、少しこわくなった。

絶対に嫌いになりたくないものを、嫌いになりそうで、少しこわくなった。

今日の私のハイライト。


その時、ふと私の頭に浮かんだのは、小学校から中学まで6年間続けたバスケを、中学の部活の引退後続けない選択をしたときのこと。あのとき私はバスケが大好きで、そして大好きなバスケがすこし嫌いになりそうで、嫌いになるのがこわくて、バスケをやめた。正直、バスケはそれほど上手くなかった。でもプライドばっかり高くて、誰かに負けるのが悔しかった。キャプテンと副キャプテン以外は小さい数から順番に割り当てられるユニフォームの番号が発表されるたびに、一喜一憂してた。

逃げだったなあ、と、今でも思う。バスケをやめたのは逃げだったなあ、って。もうこれ以上はできない、頑張れないと思った。でも、後悔しているか、と聞かれれば、今はまったく後悔していない。


後悔していない理由はいくつかあると思う。

まず、あのとき私は、当時の私の精一杯でバスケと向き合っていて、あれ以上はできなかったよな、と思うこと。あれ以上はできなかった、っていうのは、テクニックの話じゃなくて、あれ以上は本気になれなかったということ。結局、その時のスキルがどうこうとか、身体能力がどうこうなんて話は、もっともっと努力した人間だけが言える台詞だと思う。あのとき私は、あれ以上努力するような熱量がなかった。熱量がないんだから、あのまま続けていてもそれほど結果は変わらなかった気もする。

そして、バスケをやめた後の人生に、納得しているからだろうな、とも思う。結局、結果論。過去の見え方なんて、現在の自分の立ち方で変わるものだと思っているから。その時、その時で過去にどう意味づけをしていくかだけが問題なんだと。現在の自分が、その時の自分のあり方に納得できていれば、過去を恨むことはない。後悔するときは、つまり過去の選択を恨みたくなるときは、現在の自分が納得できないあり方であるときなんだろうと思う。もっとも、それは自分のコントロールできる範囲で人生を送ってきた幸せな環境にいる私だから言えることなのかもしれないけれど。


絶対に嫌いになりたくないものを嫌いになりそうで、こわいとき。

結局、ぜんぶ、自分の捉え方の問題になる。そう思うと、今私にできることは、悩んで悩んで、自分の頭で考えて、向き合って向き合いきって、私はこの決断に言い訳をしない、と信じて選ぶことだけなんだろうな、と思う。たとえ、選ぶものが逃げであっても、戦いつづける道であっても。何をどう考えるかは、また、別の問題。

ちなみに私は今でもバスケは嫌いではない。でも、それほど強い思い入れもない。そして、あのときバスケを続けて、バスケを嫌いになっていたって、過去の決断と、現在の自分のあり方に納得さえしていれば、嫌いになったことを気にしていなかったかもしれないとも、思う。


ふう、がんばるか。



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mariko
最後まで読んでくれてありがとうございます。いただいたサポートは、大好きな読書と映画鑑賞にあてさせてください... ついでと思ってコメントもいただけたら、見えないだろうけど満面の笑み...喜びます...!