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Mellowing Coke日誌、みんなの中の向井くんとまじめってこと

昨日は配信日。
ってか気づけば、82回も配信しているスタエフ!!
あともう少しで100回だー!
さらっとこんなこといってるけど、日誌は少しばかりサボった。
そんな82回「みんなの向井くん」と題して、この夏に日テレで放送されて
いたドラマ「こっちを向いてよ向井くん」と男性の内面化された家父長制に
ついてや最近のドラマの傾向について話しています。

ちょくちょく女性の内面化された家父長制はスタエフやnoteに触れていたのですが、男性側はあまりだったのでここらでいっちょ。笑
そういうワケでもなく、今回の冒頭で触れている通り、
知人のアラフォーシス男性の恋愛話から目の当たりした男性の内面化された
家父長制。
向井くんのような会社員でも自由にいきてそうなヒッピーでも
生まれた時から家父長制!

だからかなのか?女性の内面化されたものよりもなんだか根深そう・・・
というのも、女性って「フェミニズム」があるじゃないですか。
「フェミニズム」も紐解いていけば、ジェンダーなんぞ関係なく、
社会像というものに囚われずに「自分らしく生きる」といったことなの
だけど、とにかく「女性とはなにか?」「生きづらさ」を考えた時に
「フェミニズム」があってそうすると自分だけの問題じゃないとか気づく
ことができるけど、そもそも社会では圧倒的に優位である男性は「つまずき」を感じにくい。そうすると女性よりも自ずとというか混在的に
「家父長制」は根付いているのかも・・・
そういうことを「こっちを向いてよ向井くん」を見てひしひしと感じた。
そして今回の話題となった知人男性からも。
確かに、「経済力あって結婚して家庭を築いて子どもも生まれた一人前」って風潮はある。そして、男女ともに「結婚=幸せ」みたいな図をずっと社会から見せつけられてきた。でもだからといって、自分がひとりがシングル子なしで焦って、そこに同じくシングル小なしの女性(この場合は異性愛前提になってしまいますが失礼!)の同性代がいたら、相手も好きになるっていうのは単純に思い込みだし、それって「結婚」っていうステータスっていうだけで相手を見てないかい?
私は大地真央氏ばりにその知人男性に問いたいよ・・・

そこに愛はあるんか?

と。。。

向井くんも坂井戸さんに怒られていたね。
「本当に好きなのか?」って。

あとね、ほんとにスタエフ内でも話してるんですけど、この二人・・・
全然違う価値観なんです。
価値観が違うっていうのはすべての人間関係において異なるということは、前提であるとしてよ・・・本当に好きだったら、相手の価値観も尊重する
やろって思うんだけど、まったく「尊重」の「そ」の字が見えてことない。
それで向井くんの中に出てきた「美和子」っぽい、知人男性が追いかけている方(私の友達)昨日配信後にいろいろやりとりをしました。(ちなみに配信内容はおもしろかったといってくれた!)

そこでまた新たな疑問が生まれた・・・

それは、恋愛において価値観が異なったり、いわゆる恋愛セオリー?から
反すると「真面目」って片づけられてしまう
ってこと!

私たちのスタエフでは、過去に「そっち」系って話についても掘り下げたりしたことがあるのですが、恋愛における「そっち」が「真面目」ってなる
こともあるなぁっと思った。
今は「性的同意」という言葉も聞くようになって、相手の気持ちや自分の
気持ちを尊重していく流れになっているけど、少し前だと家に男女のどっちかの家に行けば、付き合う前でも男女一緒に遊んでたら、「セックス」
みたいな、一種の「流れ」になっていたし、マジョリティだったと思う。
そんな「流れ」やマジョリティに「NO!」というと「真面目だね」
でも別にそれって「真面目」っていうよりは「価値観」の違いじゃないか?
付き合う前にOKのいう人もいればそうじゃない人もいる。
ってか、「真面目」っていうことで「自分は不真面目です」って認めてるもんなんじゃ・・・?だとしたら、人間として不真面目なら真面目な人がいいと思うし、なにより「真面目」って三文字で片づけるんじゃなくて、相手の「価値観」を尊重するのが筋じゃないのか?
尊重して「寄り添う」のか、または向井くんのように「わからない」ことを「わからない」とはっきりと美和子に伝えて、「離れる」という形で
美和子を尊重するのか。
後者のような向井くんの決断だって別にいいと思う。
時に「わからない」といって白旗をあげるのも大事。
それに「真面目」というだけで、片づけれられてしまうと言われた方
としては、もやもやが残る。
もやもやが残るのはこの「真面目」っていう言葉にポジティブな気持ちが、
「そっち」と同じで込められてない。
「そっち」という場合、相手は悪意がないにしても「普通」から外れてると線引きしてる。
同様に「真面目だね」って言った場合も「一般的な恋愛セオリーに反するね」と悪意はないけど、線引きはしてると思う。それに加えて「悔しさ(相手をものにできないというか近づけないという意味で)」も含まれてる
ようなーーーー。

それにしてもなんだかなぁ
「好意」が一方的に過ぎてなんだかなんだんか。
焦る気持ちもわからなくもないけど目を向けるのは結婚とか社会が求める
ことじゃない、目の前にいる相手。

だって、結婚したいと思っても相手がいないとできないじゃん!




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