宮崎駿の『本へのとびら』を読んで
この本の第一部では、アニメーション界のトップランナーとして世界的に注目される宮崎駿が、長年親しんできた岩波少年文庫の中からお薦めの50冊を紹介しています。
これはもともと、スタジオジブリで、非売品として作成された小冊子『岩波少年文庫の50冊』(選・宮崎駿)だったそうで、おそらく評判がよいので、本になったのでしょう。
第二部では、駿さん自身の読書や、選んだ本のこと等について、そして、今の世界に対する憂いについて、インタビューを元に書かれています。
どうやら、この本達は、駿さんの近くにいる図書館好きの少年に向けて、彼が図書館に行っても見つけられない本や、教科書では出会えそうもないお話を、敢えて選んだようです。
だからなおさら、
読んでもらいたい。
気に入ってもらえるだろうか?
という熱い思いが詰まっているように感じます。
この本の中で、戦前世代の先輩達は「本なんか読むとろくな人間に成らない」と言われて育ったものだったけれど、戦争に負けたことで、大人の考え方が変わったと書かれていました。
そして、『本を読むと情操教育になる、価値観を豊かにするためには本を読まなければいけないとごく一般的に言われるようになったのは、まさに戦後だと思います。』と、続けられています。
確かにきっとそうだったのでしょう。
そう思うと、好きな本を選んで堂々と読める子ども達は本当に恵まれていて幸せですね。
そしてまた、この本の後半で、駿さんはこう語ります。
『要するに児童文学というのは、「どうにもならない。これが人間の存在だ」という、人間の存在に対する厳格で批判的な文学とちがって「生まれてきてよかったんだ」というものなんです。生きててよかったんだ、生きていいんだ、というふうなことを、子どもたちにエールとして送ろうというのが、児童文学が生まれた基本的なきっかけだと思います。』
改めて、そうなんだ。エールなんだ。と、胸に響きました。
さらに駿さんは、今の時代を敗戦ではなく「開戦」ととらえているようです。
柊戦後ほんとうの焦土になって、さまざまなものが暴力的に失われた結果、数年間、子どもたちが子どものための本なんて見れない状況だったと。そしてその焦土のあとに、石井さんたちが子どもたちのために少年文庫を立ち上げたのだと。
そして、今の時代の現状を心配しながら こう続けます。
『今はまだ、そこまでいっていない。衰えたとはいっても、印刷物もあふれているし、押しつけがましいテレビやゲーム、漫画も、子どものなかを埋め尽くしています。悲鳴のような音楽もあふれている。まだ、以前の生活を、いつまでもつづけられるかって必死でやっている最中でしょう』
『それをどんなにやっても駄目な時がくるんです。だと思います、僕は。これから惨澹たることが次々と起こって、どうしていいか分からない。まだ何も済まない。地震も済んでない。「もんじゅ」も片付いていない。原発を再稼働させようと躍起になっている。そういう国ですからね。まだ現実を見ようとしていない。それが現実だと思います。』
『少年文庫にナチス侵攻前後のオランダを描いた「あらしの前」と「あらしのあと」という連作があります。「あらしのあと」の「正常にもどるんだ」「もとにもどるんだ」っていうあの文句が本当に意味を持つのは、まだまだこれからなんですよ。時間がかかるんだと思います。』
『次の新しいファンタジーをつくるのは、僕がいま本選びで戦っている少年、彼らだと思います。
彼自身がそのままやるかどうかは別にして、彼らがいま何を感じて、これからどういうものを見ていくか。それで何かをつくるには、やっぱり10年かかる。彼らが生き延びたら、彼らの世代が次のものをつくるんです。』
この言葉でインタビューは終わっています。
彼らには是非とも生き延びて、新しい世界とファンタジーとを作ってほしいと切に思います。
実際、原発も、いじめも、経済格差も何も解決していないままなのです。
子どもたちが次の世界を築くためにも、私たちも、この現実を変えて行くために、できることを少しずつでもやっていかなくては。
そして、そのためにも、伝えていかなくてはいけないことが沢山あるのではないかと、改めて胸が痛くなりました。
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