憧れの日本だったけれど 働いて住むのは怖い
「ずっと日本が大好きで、日本で好きな仕事をできたら幸せだと思っていたけれど、実際に機会が訪れたら怖くなっちゃったんだよ」
やどやゲストハウスのリピーターだったヨーロッパ人の男の子から「久しぶり〜!」とのやりとりから、こんなメッセージをもらった。
大学でアートを学んだ彼は、現在イギリスで仕事をしている。日本で働いて暮らしてみたいとの想いがかねてからあり、就職先を探していたら、誰もが知っている某大手の会社から採用のお知らせが来た。
普通なら、やった〜おめでとう!となるところ。
でも彼は喜んだものの、急に不安になってしまったそう。
「日本の労働時間の長さとか、外国人と日本人とのある壁、アイソレーションされる文化、そういう否定的な話をたくさん聞いて、まともな暮らしができるのかどうか心配で」
それを聞いて「大丈夫だよ」とは私は言えなかった。
日本の同調圧力高めの空気感、閉塞感、組織のあり方は、ヨーロッパのものとは全く違うし、外国の人たちが日本で暮らしていく中で苦労をしているのをたくさんみてきた。今では日本は安い国となり、出稼ぎという意味でも魅力はない。これは東南アジアの人たちからも最近聞いている話。
どこの国に行っても、結局は人生は自分の心持ち次第だから、どこでもハッピーな人はいる。でも今の日本社会の雰囲気は、どちらかというと内向きになっていると感じるし、(これは世界情勢的にどこもそうなのかもしれないけど)なかなか難しいなと思うところがあり。
もともと、とにかくやってみたら、と背中を押しがちな性格の私も、うーん、そうだよね、、となんとも不甲斐ないお答えしかできず悲しい気持ちだった。
外国人を迎える仕事を始めたのは2002年。
サブカルの聖地と言われる東京の中野というお土地柄、ゲストハウスのリピーターさんたちは、日本の文化をこよなく愛している人が多かった。小さな頃から、日本のアニメ、まんが、ゲームに親しみ、まんがを読んでたら日本語を覚えちゃったよ、とペラペラに日本語を話す人たちもたくさん。
日本で仕事を見つけて住めたらいいな!
ゲストハウスを始めた2002年頃は、純粋にそんな人たちがいっぱいいた気がする。経済的にも相対的にまだ豊かだったので、出稼ぎ場所としても90年代からこの頃まではいい場所だったように思う。そういえばイスラエルに行った時に、海辺にテントで暮らしている人と話して、90年代には東京でアクセサリー売ってたんだよ、って言ってた。あの頃の東京は面白かったよと。
そんな外国の人たちが日本を楽しんでくれていること、それが嬉しいなと思っていた。
でも現実は厳しい。
ゲストハウスの物件を探すために、当時、まだインバウンドなんて言葉は言われてなかった時代、不動産屋さんへ何軒回っても外国人向けと聞いただけで話を聞いてくれなかった。実際に運営を始めて、外国人が出入りし始めると、怪しい宗教団体かと噂をされた。
近年でも、近所で日本の酔っ払いが声を出しても何も言われないのに、外国人が彼らの言葉で声を出すとすごい剣幕でクレームを入れてくる人に悩まされたり。
もともとウチとソトの文化のあるところで、自然とそういう空気が生まれている場合が多いので、言葉で多文化共生や多様性を伝えても解決につながることは難しい気がする。
ゲストハウス時代は、毎週火曜日にワンコインディナーというイベントを開催し、誰でも予約なしで自由に参加し、ご飯を一緒に食べるという企画をしていた。今思えば、ああいう単純な時間の積み重ねが、本当の意味での多文化共生につながるひとつのきっかけなんだと思う。
話が少し逸れたけど、日本を好きでいてくれた人たちが、日本での生活を怖がるという現実。
人口減少の課題解決のために、外国人の移住を増やしたいという議論は、労働力確保など場当たり的なご都合主義が多いと、すでに多くの人たちが指摘している。これは外国人に関する問題だけでなく、日本人が時代の変化の中で、どのように多様な価値観を受け入れる社会へと意識や構造を変えていけるのか、ということともリンクしていると思う。
大きなところから考えると課題は多いけれど、まずはミクロの現場での取り組みのひとつずつが大事。日本に憧れてくれるみなさんが、日本で住んで安心して生活を営めるような状況をどう作り出すことができるのか?が大きなヒントにもなる。生活の楽しみ方、という点では、外国の方たちから学ぶ事は非常にたくさんあるはず。
日本が好きだ!
そう言ってくれる人たちが、楽しんで暮らせる場所になるといいなぁ
メッセージをもらって、そんなことを思ったのでした。
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