私が助産師になるまで①
はじめまして、こんにちは。Marikoです。
私は現在バンクーバーに留学していて、日本では助産師をしていました。
バンクーバーで出会った本当に素敵な人生の先輩の助言もあって、
自分の経験や思いを記録に残そうと思い、noteを始めました!
よろしくお願いします:)
About me
出身:島根県
仕事:助産師 総合病院で約5年勤務。
趣味:ハーバーリウム作り、キャンプ、料理
大好きなアーティスト:UNISON SQUARE GARDEN
なぜ助産師になろうと思ったか
きっかけは弟が産まれたこと
初めてのきっかけは8歳の頃に弟が生まれたこと。本当に生まれるまでは実感がなかったので、母の妊娠中のことは全然覚えていないし、出産にも立ち会ってはいません。でも初めて弟に会ったとき、声を聞いたとき、鳥肌が止まりませんでした。それからの毎日は今までとは全く変わって、当時は何と言い表したらよいか分からなかったけれど、一つの命が誕生すること、そして成長していくことの偉大さや尊さを毎日肌で感じていました。私も家族もとても幸せでした。
高校生の時に知った”助産師”という職業と助産師体験
将来の夢なんて特にないんだけどなー、でもそろそろ自分の進路を考えなきゃ、でも私ってどんなことに興味があるんだろう、と悩んでいた高校時代。私ってなにもやりたいことないのかも、、、そんな時に思い出したのが弟が生まれたときのこと。それから医療系の職種を調べて、初めて”助産師”という職業を知りました。それまでは病院にいるのは看護師さんかお医者さんだけだと思っていたので、えー!こんな仕事あるんだ!!と、初めて進路のことを考えてワクワクしました!そして高校生向けの助産師インターンシップに参加し、運よくその日帝王切開でのお産があり、新生児室で産まれた直後の赤ちゃんのケアを見学させていただきました。小さいのに力強く元気に泣く姿をみてこんなに赤ちゃんってこんなにすごいんだ!と感動しました。それから、弟が産まれてうれしかった時の自分を思い出し、こんな瞬間に携われる仕事って素敵だなあと思い、よし、助産師になろう!!!!と決心しました!!
看護職者としての原点
助産師国家資格取得のための条件
地元の大学の看護学科に無事進学でき、はじまった怒涛の4年間。助産師になるためには、助産課程を修了し、助産師国家試験に合格しなければなりません。その前提として看護師国家資格が必要です。看護師資格を取った後に助産学校に1年または2年間就学し、助産師になる方法もありますが、当時私の大学では大学生活4年間の中で助産課程を専攻でき、看護師資格と同時に助産師資格をとることが可能でした。加えて私の大学は保健師課程も必修でしたので、大学卒業時に看護師、助産師、保健師の国家試験を受けるというカリキュラムでした。大学2年生の終わりにある助産課程受講者の学内選考に無事受かり、私は晴れて助産学生となれました!ですが、同時に3つの国家資格を取るというのは私にとってはかなりハードでした。我ながら本当によくがんばったと思います。えらい!!自分の努力というよりも家族や先生、同期の友達の支えがなかったら、乗り越えられなかったと思います。特に同期、戦友とも呼べる君達に会えたのは私の人生の財産、本当にありがとう。
心を揺さぶられた看護学生実習
3年生になると実際に患者さんを受け持たせていただく病棟での実習があります。学生は医療行為はできませんので、できる範囲内で看護計画を立てて、看護師さんや学校の先生の指導もとで実施または見学をさせていただきます。覚悟はしていたものの、実習では何度も心が折れました。患者さんは体がきつい中、学生のために協力をしてくださっていると思うと、私は何かしなきゃ、がんばらなきゃ!と思う反面、初めて聞く疾患や複雑な病態に理解も追いつかず、毎日がいっぱいいっぱいでした。苦しみながらも病気と闘う患者さんを前に何もできない自分に嫌気がさす日も多くありました。つらかったときも多かったけど、たくさん悩んで本気で向き合ったこの実習はかけがえのない経験となりました。中でも一番心に残っている、私の看護の原点ともいえる出来事を共有させてください。
成人看護学慢性期実習で受け持たせていただいたA子さん。病気の影響による、背中や腰の痛みや貧血、治療の副作用で吐き気や気分不良がありました。はじめてお伺いしたときは、ずっとベッドに横になったままで、看護師さんや私が声をかけてもあまり反応はなく、少しそっけない印象を受けました。彼女の一番の自覚症状は腰の痛みだったので、起き上がるときお手伝いをしようと試みましたが、「大丈夫です、いいですけん」と毎回断られていました。お話をしようとしても会話は続かず、どうやって関わったらよいのか私は悩んでいました。またA子さんの病態は看護学生にとっては複雑で難しく、3週間の実習の最初の1週間は疾患と治療の理解で精いっぱいでした。ようやく病態の理解が追いついたころ、A子さんの何クール目かの投薬の日がやってきました。投薬は問題なく終了し、夕方、私がその日の実習が終わり帰ろうとしたころ、A子さんは具合が悪くなり吐きそうな様子でした。私はナースコールをし、腰をさすりながら寄り添っていました。しばらくして看護師さんが来て、対応をしてもらいましたが、その時間は忙しい時間帯でA子さんも大丈夫とおっしゃられたので、看護師さんはその後退室されました。でもA子さんはきつそうだったので、私はしばらく傍で腰をさすり続けました。A子さんに「あなたもう今日は終わりでしょ、もういいですけん」と言われ、私は迷惑かなと思いながらも「私は大丈夫です、ここにいますよ」と続けました。しばらく沈黙が続いたのち、A子さんは小声で、「ああ、そうしてもらえると楽です。」と聞こえるか聞こえないくらい小さく呟きました。ああそうか、A子さんは本当はきついのに我慢をしていたんだ、そうやっていつも一人で耐えていたのかな、と私は胸がいっぱいで泣きそうになりました。そして少しでも良くなりますようにと気持ちを込めながら静かに腰をさすり続けました。しばらくして、なかなか病棟から帰ってこない私を心配した先生が様子を見にこられ、その日の実習は終わりました。その出来事があってからか、その日以降A子さんは私に心を開いてくださっているように感じました。そして毎日、病室にお伺いしたときやリハビリの後には、なにも話すことなくただただ腰をさすること、それが私の日課になりました。それからA子さんの表情は以前よりずっと明るくなったような気がします。また腰の痛みからベッドで過ごすことが多かったA子さんですが、車いすに乗って病室の外にお散歩に行くなど、活気も出てきたように思えました。病棟の看護師さんや理学療法士さんもA子さん表情よくなったね、と話しかけてくださいました。お散歩のときに初めて見た、A子さんの愛らしい笑顔は今もはっきり覚えています。現状は変わってないけれど、確実に何かいい変化が起きているんだ、と私は思いました。
そして実習最終日、さみしい気持ちを抱えながら、最後のあいさつに伺うと、A子さんは涙を流しながら「あなたがいてくれてよかった、本当にありがとう」と言葉をかけてくださりました。そんな風に思ってくださっていたんだと私も涙が溢れました。そしてお話を終え、病室のドアから出ようとしたとき、普段は小さな声で囁くようにお話されるA子さんでしたが、私に聞こえるようもう一度「ありがとうございました!」と精いっぱい声を張り上げて言ってくださいました。思い返せば最初はケアを断られてばかりだったけれど、それでも真剣に向き合い、悩み、寄り添おうとしたことで、A子さんの力になれたことが本当にうれしかったです。人の手のぬくもりはケアするすごい力をもっており、これが看護なんだ、と思いました。学校では、手を、耳を、目を、自分の五感をフルに使って患者さんと向き合うこと、察する力や言葉の奥にある患者さんの思いに気持ちを寄せることの大切さを学びましたが、このときの実践で腑に落ちたように思います。この経験が私の看護の原点です。今でも私は勉強や仕事がつらい時に、ふと思い出されるA子さんの力強いありがとうの言葉や笑顔に励まされています。そしてもう少しやってみよう、と一歩を踏み出す勇気をもらいます。たくさんの大切なことを教えてくださったA子さんには感謝の気持ちでいっぱいです。看護職者として、この時に学んだことを胸に刻み、これからも自分を磨いていくことが私にできる恩返しだと思っています。
おわりに
乱文でしたが最後まで読んでくださってありがとうございます。学生時代の感性や経験が今の私の軸となっているので、サクッと書き上げるつもりが長くなっちゃいました!またのんびりと続きを綴ろうと思います。
今、学生の皆さん、毎日本当に大変だと思いますが、やりきってよかった、と思えるときは必ず来ると思います。それに今もそのがんばりに救われる人はたくさんいると思います、なので焦らず無理せず自分を大切に進んでいってください!応援しています。
皆様の毎日がHappyでありますように。