オリパラのゆりもどし
こんにちわ
あ、パラリンピックが終わって3ヶ月過ぎた
と気づいた私です。
オリンピックに至っては4ヶ月も経った。
気持ちはもう抜け出しました(少し前だけど)。
それにしても気持ちがそれまでの日常に戻るのに思いの外時間がかかったし大変だった。
高速でパーキングから本線に戻りたいのに全然戻れず本線と並走し続けて
「なかなか戻れない!いつ!乗れるのこの波に!」
みたいな感じでした。
知り合いのボランティア仲間の話を聞くと、すぐ切り替えできた方はできたらしい。
自分もさっさと戻りたくて、荷物を片付けるのもサクサクやったし、ボランティア終わってからユニフォームを着て集合、みたいな遊びは一度もしてない。(ミライトワとソメイティのグリーティングは行った 笑 たまたまできた)
でもなんでかって考えた時に、オリパラ期間どんな仕事してどれだけ仕事したにもよるのかな、と。
私は運良くオリンピックは競技をがっつり担当し、パラリンピックは選手村内の業務で、オリもパラも中の人をがっつりやってた
上に、ありがたいことに普段の仕事をほぼせずに(一日シフトが飛んだ日は仕事した 笑)オリパラをやってたので、もう本当一時的に転職したぐらいの感じだったのも大きかったと思います。
オリが始まる前、パラが終わったあと、それぞれ1ヶ月前と後でめちゃくちゃ悩む出来事がありました。
もうねー病んだ 笑 病んだよ。
当時はオリパラで余裕のなかった自分を責めたりした瞬間もあったけど今は
「私だけのせいじゃないし」
と開き直ってます。実際そうだと思うし 笑
時の運というか、きっとゆり戻しです。
オリパラのボランティアにはその人それぞれのオリパラがあって、無観客になったことによって活動日数が減り、その分他のボランティアたちとの交流を楽しんだ人がいたり、とにかく人それぞれで、私はもともとの役目が楽しめたり、そこでの頑張りで夢が叶ったりたので正直燃え尽きました 笑
これは日常ではないです、というのは自覚してたし、オリパラボラの人たちがよく言っていた
「終わらないで欲しい」
という気持ちはなかった。
四年でたった二週間、10日だから頑張るし、努力するわけで、これが毎日だったらヤバいっす、
という冷静さがあったけど
それでも戻るのが本当に大変だったし完全に戻るわけでもない
その時にできた仲間や経験値はこれからも続いてくし、これまでぼんやり「四年に一度」と思ってた年数はこれから一生四年に一度を楽しみにするだろうと思うし、
オリパラが自分に遺したものは罪なほど大きい。
昔オリンピックおじさんて、シルクハットにド派手な衣装で応援してたおじさんがいたけど、オリンピックおばさまになってしまおうか、と一瞬思うぐらい、オリパラは罪深く、魅力的なイベント。
私にとっては世界最高峰のイベントだと思う。
記録に嘘偽りはない。
勝負に挑む人の気持ちほど尊いものはない。
人の感動は何をも越えさせない。
これを目にしてしまった自分に
これから何を目標にしていいのかわからなくなる
そんな自分の感覚がそうそうおかしいとも思えないし
起き上がって立ち上がってまた淡々と生きるしかないんですよね。
パリを目指すのか
どうするのか
全然全然わからないけど
でも、可能な限りスポーツの国際大会には関わりたい
そんな気持ちでいます。
取り留めないですがいまの気持ちをメモしました。