私の話 12 始まりの物語
祖父の葬儀が終わり
ひと段落した3月の新月の次の日のことです。
ふと、カナダから1か月経っていたのかと
思ったその日
Eryca さんとオンラインでお話しする機会がありました。
実は年末にお話ししようと計画していたのですが
なかなか予定が合わず
その日になったのです。
コンサートに行ったり
ちょこちょこメッセージのやり取りはさせてもらっていたものの
ちゃんとお話しするのは
その日が初めてでした。
ちょっと緊張しつつ
いろんな話をする中で
カナダに行ってきましたー!
と私は話し始めていました
新月の日、亡くなった祖母と話ができたような気がしています
初めて『外に出たいと』正面から伝える事ができました
そこから、ジャケット事件が起きたりと
次の扉が開いてしまったような気がしています、と。
こんな不思議な話を
するする話した自分にも驚きましたが
全てうんうん
少し驚きながら聞いてくださったErycaさん
『実はね、まりこさんが聞いてくれているCDには物語を込めているの。LIVEの時に、朗読していたのだけど、
CDには収録してなくて
だからまりこさんは知らないはずなんだけれどね、
その話は、
村の外に出たい少年が、その事をおばあちゃんに打ち明けて
新月の夜に旅に出ると言う話なの
まりこさんの話にあまりにも似ているから
びっくりしちゃった
この話はね、私が作った物語だけれど
ネイティブ・アメリカンの人達に伝わる
『虹の戦士』と言うお話に似ているねって教えてくれたお友達がいるの
その人はまりこさんと同じようにカナダのネイティブの村に行くことになって
いまでもその人達と交流を続けている人なの
今度4月にその人が来るから
あってみない?』
是非、会ってみたいです!
その場ですぐお返事をして
その後、予定を合わせているうちに
結局お会いできるのは4月の新月の日に決まりました。
『虹の戦士』
それまで全く知らなかったお話しです。
せっかくなのでAmazonで買って読んでみました。
『虹の戦士』とはどこの部族のお話かはわからないそうです。
同じような話が多くの部族で伝えられている
その物語は
ハイダグワイでなかなか寝付けなかった夜
ぼんやりしているものを
文章にまとめたその話と
とてもよく似ていました。
ハイダグワイで書いた文章は
紛れもなく私が感じたもの、そのものです。
なんじゃこりゃ!?
正直動揺を隠せませんでしたが
同じことを感じる人が沢山いる。
今も、そして昔も。そう思うようにしています。
その話は『癒し』の話と言って良いのだと思います。
本当に大切なことは目には見えません
無くしたと、奪われたと思っているその傷を癒すのは
慰めではない
無くしたと思っているそのものを
次の若い世代、子供達が持っている
教えてないのに、分かっている子供達
それを見つけた時、初めて私たちは癒される
無くしてなどいない
奪えるものでもない
目に見えないものへ想いを寄せるその優しさは
あなたの、わたしの体に、血に、ちゃんと残っている
思い出すだけ
大丈夫、無くなるものではない
そう言う内容のお話しでした。
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