私と父と運転:2021年9月27日(女性ドライバーの日)
私が自動車運転免許を取ったのは30歳の時だった。
社会人で働きながら夜間や土日に自動車学校に通っていた。
免許を取ろうと思ったきっかけは、当時付き合っていた人の実家が長崎県の田舎にあって、車が無いととてもではないが暮らしていけないからだった。
今はその人とは今は別れてしまったけれど、あの時に自動車運転免許を取っていて良かったと思う。
通っていた自動車学校は、大学の近くにあったので、通学しているのはもちろん大学生がメインだった。
自分よりも10歳年下の若者たちと一緒に授業を受け、授業中に教官や授業内容によっては指名されて発表がある。
指名された大学生はダルそうにしていていたり、何も答えず沈黙したりする人たちもいたけれど、教官も慣れているようでテキパキと授業が進んだ。
講習の中で一番楽しかったのは、高速道路教習だった。
初めて自動車で100キロのスピードで走ると、なんだか宙に浮いている感覚があり、高速道路を降りた時にはとても気分が高揚していたことを覚えている。
学生以外の生徒は珍しいのか、年の近い教官ともよく話をするようになった。教習所ではやはり「吊り橋効果」があるようで、大学生の女の子から告白もされるそうだ。もちろん、教官側も「若い女性の一時的な気の迷い」だとして、うまく断っている。
自動車運転免許をとってからは、日ごろは通勤も電車だったので運転する機会はほとんどなかった。
そして、お盆や年末年始に実家に帰ると、必ず父が久しぶりに運転する私の運転練習に付き合ってくれていた。
実家の前には、練習に丁度いい広場があるのでまずはそこで父の指示通りに運転をするのだけど、父の声が大きいものだからちょっとしたギャラリーができるのが少し恥ずかしかった思い出がある。
父が乗っていた実家の軽自動車は古い型でカーナビなどもついていない、いわゆる近所にちょい乗りする用の車だった。
なので、ドライブにでかけて私がちょっと脇道に入り、父も知らない道だと帰り方が分からなくなってしまう。来た道をUターンして戻るということもしばしばあった。
1、2時間のドライブをして、セブンイレブンで100円コーヒーを買って、父と2人で飲むのがいつものドライブの定番だった。
運転の緊張や疲れもあってか、いつもよりもコーヒーが香ばしく美味しく感じられた。
父は私の運転の練習に付き合うのが楽しみだったようで、私が実家に帰る日が分かると車を洗ったりしてくれていたようだ。
いつも2人でドライブをしているときには、「急ぎの用事はござんせん、ゆっくり行けばよかろうよ」と楽しそうに鼻歌交じりに言っていた。
私も大人になってから、父と2人でこうして出かけられることは、楽しみで嬉しかった。
そして、自動車運転免許があったおかげで、以前旅行に行った北海道や長野では大自然の中のドライブを満喫できたし、父の危篤の際にも、少し取り乱した様子の母の代わりに運転をして病院にかけつけることができた。
9月27日は女性ドライバーの日。1917年に栃木県の渡辺はまさんが、日本の女性としては初めて自動車の運転免許を取得した日だ。
自動車運転免許と言えば、学生時代にとるのが一般的だけど、私は便利な福岡に住んでいたので、西鉄バスと電車があれば生活に困らずとらなかった。
あとは、子どもの頃にハンドル操作を誤った父の車に轢かれそうになったことも恐怖体験としてあって、何となく「車を運転」することに対する怖さがあったのだと思う。
今では父との練習のおかげもあって、自動車を運転することは気を付けなければならないけれど、怖さは全くなくなっている。
マレーシアでは交通ルールがよく分からないので、まだ運転は試していない。
タクシーに乗っていると、道には殆ど信号がないし、基本ほとんどの車が公道でも時速80キロで平気で走ってくる。
真っすぐな信号のないマレーシアの高速道路をドライブできたら、きっととても気持ちがいいだろう。
次に日本に一時帰国したときには、また国際免許の申請をしてマレーシアでの運転に挑戦してみるのも悪くない。
新しいマレーシアでの楽しみや経験が増えるのは嬉しい。
ただし、マレーシアで運転するにあたっては、道路標識や交通ルールが日本と違うので、もちろん練習が必要だろう。
時速80キロでの運転が日常のマレーシアでは、「急ぎの用事はござんせん、ゆっくり行けばよかろうよ」と言ってはいられなさそうだ。