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「銭湯をしたい」
あっちゃんと、奈良県吉野町にある「うちゅうねこ」さんのかき氷を食べてきた。
あっちゃんは「豆乳番茶チャイ氷」
私は「沖縄ぜんざい氷」を頼んだ。
手づくりのシロップが本当に美味しくて、ふたりで感動しながらいただいた。
二度目のうちゅうねこさんの開放的で心地良い空間で、横並びの座布団に座ると「きんさん、ぎんさんを思い出す」とあっちゃんが笑った。
銭湯をしたい
先日、ならまちの銭湯を続けるために寄付を求めている方々の記事を読んだ。
記事からは、その銭湯の魅力がゆるやかに、確かに伝わってきて、とても素敵だなと思った。
私のSNSアカウントでシェアしたところ、あっちゃんも「読んだよ」と報告してくれた。
「前に話していた心地良い空間は、銭湯かもしれないと思った。一緒に銭湯してみたいね」
あっちゃんが私に話してくれた。
驚くことに私も全く同じイメージを持っていたので、そのことを伝えた。
年齢問わず立ち寄ってもらえる、日常の一部として存在する場所をつくれたら素敵だなと私は考えていて、それに銭湯はぴったりだなと1人妄想していた。
番台に立ち、にこにこしているあっちゃんの姿が目に浮かぶ。
心地良い場所でありながら、日常的に必要とされる機能が併設されている空間がいいなと思っていた。
文房具屋さんとか、図書館とか、銭湯とか。
あっちゃんと話していると、このようなことがよくある。
同じビジョンを見ている
「今、またひとつになってるよね。大学生の時にもこんな時期があったよね。」
と、あっちゃんが言う。
私はすぐに頷く。
「ねぇ、こんなイメージの看板が可愛くない?私はこんな風に考えている」と話すと、
「分かる。私も全く同じイメージで考えてた」
となることが、本当に多い。
これってすごいことなのでは、とお互いに思い始めてきた。
「家族なら分かるよ、毎日共に生活して同じ映像を見る機会が多いよね。まりちゃんとはずっと一緒にいる訳じゃないのに、頭の中のイメージが合致するよね」
と、あっちゃんが話してくれる。
あっちゃんは、自然と相手に寄り添って、その人をまるごと受け入れてくれる天才なので、私に合わせてくれてるのかなと考えていたけれど、どうやら本当にイメージが合致しているらしい。
でも、ずっと、ではない。
大学生の時以来、15年ぶりに感じる感覚だ。
自然に交わり、またそれぞれの日常に戻り、また交わる。
その関係性や距離感が、私にとっては唯一無二で心地良い。
きっとこうして、おばあちゃんになってからも交わる時がくるのだろうなぁと思うと、じんわりと温かい気持ちになる。
一度きりの人生の中であっちゃんと出会えたことは、奇跡だ。と、心底感動した。
ご縁を感じずにはいられない。
これから
こんなことやりたいね、と話す時間が、こんなにも楽しいことだなんて。
「こんな感じ!」
と伝えたら、
「分かるよ!イメージできる!」
と応えてくれる存在がいること。
かけがえのないことだ。
ずっと身近にあった奇跡に初めて気が付いたので、記事に残しておきたくて書いた。
あっちゃん、出会ってくれてありがとう。
あっちゃんと取り留めのない話をしている時間が、本当に心地良くて幸せな時間です。
改めて、これからもどうぞよろしくね。