
2025年の抱負
お母さん明日おめでとうだね!と息子に飛行機で言われたので「あけましておめでとうだね」と返したら、違うよ、誕生日おめでとうだよと言われた。おお、私の誕生日か。
まだ39歳なのか!
39歳になる感想は「まだ39歳なのかよ」。随分とたくさん生きたような気になっていたけれどまだ半分くらい。
人生は10年ごとの旅らしい
昨年末に初めてプロの方に四柱推命を見てもらい、「四柱推命は10年ごとの人生の旅、これまでの30年間運は味方してなかった」と言われた。私は運が良くて運だけで切り抜けてきたような気がしていたけれど、四柱推命的に見ると違ったらしい。確かに、充実はしていたけれどあの頃に戻れると言われてもごめんだね!と思うくらいには過去には戻りたくない。
たとえば飛行機が揺れてる時間。
パーキングエリアが見つからない車酔いの高速道路。
天候不良の中でギリギリ決行された野外キャンプ。
苦しい時間は長く感じるから「まだ39歳なのかよ」と思っているのかも。

苦しい時は目を瞑って走り抜ける
苦しい時の原体験として思い出すエピソードがある。子供の頃、毎年夏に家族で穂高登山に行っていた。ある年、山頂付近でホワイトアウトするような吹雪に巻き込まれた。姉は吹雪が止むまで岩陰でじっと待っていたが、私は「こんなところに少しも留まっていたくない!」と歩き続けることを主張し、母と先に山小屋を目指した。山小屋付近で少し吹雪がマシになり、ボワっと人の光が見えたあの光景は今でも時々思い出す。大きなストーブで手袋や靴下を乾かしていたら、姉と父が現れた。吹雪がマシになってから急いで歩いてきたらしい。
苦しい時に、状況をよく見て、待つことで体力を温存して乗り越える人もいるし。私のようにとにかく体力を削ってでも早くそこから抜けようとする人がいる。
私よりも多くの試練を受けている人もいるので、客観視はできないけれど主観としてはハードなこともあったと思う。

心にモザイクをかける
ところで今年の帰省は、姪の成長。だけではなく姪の視点におどろかされた。映画の怖いシーンの話をしている時に「そういう時は、モザイクをかける」と言っていたのにはハッとした。どうしてもたくさん情報が入ってしまう社会。
実はわたしは子どものころは感受性が豊かで、悲しみやしんどさを受け取りやすい子どもだった。パッと思い出す気持ちは、閑静な住宅街のある自宅の最寄駅で、初めてホームレスを見かけた時のやるせなさ。部落差別について学んだことを家で話したら、母から「私もお婆さんに、部落の人とは結婚するなと言われた」と聞いた時の驚きと差別主義。
経済が沈んだ中で生きる今の子どもたちの感受性は、もっと多くの衝撃に触れているんだろうなぁと思った。と同時に、姪がたとえホラーシーンの見方だとしても、心にモザイクをかけるという方法を持っていることにホッとした。
今は、私が子供の頃より経済が落ち込んでいる。可視化される生活困窮者の姿。ホームレスは都市部ならどこにだっている。パレスチナをはじめ世界中で起こっている戦争(ジェノサイド)テロなどの胸が痛むニュースも流れ込んでくる。外を歩けば選挙ポスターでいきなり卑猥なもの見せられたり、イジメっこおじさんが選挙再選したり。大人が率先して狂った世界を用意して、踊っている。
賢い顔して、臭い物に蓋をして切り抜けるのも手かもしれない。感受性の強い人は、心が傷つき身動きが取れなくなるのかもしれないし。でも前者は社会を課題解決から遠ざけ、後者は自分自身を苦しめる。モザイクかけて、受け取り方の調整をして、自分の心のサイズに合わせて受け取る力。これが割と大切な気がする。
良い大人として生きてみる
39歳は姪っ子の言葉を思い出しながら、39歳の自分の人生のテーマは「良い大人として生きてみる」かなと思う。やっていこうと思う。受け止めきれなかったことも、モザイクをうまくかけて行きさえすれば、社会の問題に向き合いながらもきっとバランスが取れるはずだ。
資本主義のど真ん中の営利活動(仕事)を通じては、付加価値を考え抜き、お金を集めることから逃げないこと。利己的な判断をしないよう律すること。
子育てでは、こどもの意見をきちんと聞くこと。受け止めること。
ボランティアでは、目の前の数人だけだったとしても、目の前の課題の解決のために労働力を提供すること。
この3点のバランスを探しながら。普通に一生懸命生きていこうと思います。
39歳の私のことも、どうかよろしくお願いします。
38歳最後の日に。