はじまり

2010年6月。

私は言いようもない、強烈なダルさと頭痛、そして胃痛に悩まされていた。

原因は分かっている。

めでたく妊娠したのだ。

結婚して既に二年が経とうとしていた。
付き合ってからも長かった私たちは、自然の流れで子供を願った。

しかし、なかなか思うようにいかない。
何ということだ。
これは、いよいよ深刻だぞ。
と、いうことで不妊治療の門を叩き、沢山の検査を受け、そして治療を受け、最終的に子宮内膜症の手術を受けた後、私のお腹に小さな命がやってきてくれたのである。

治療期間中は頭の中で理解はしていても、妊娠が一つのゴールだと思っていたし、妊娠できれば十月十日お腹にいる我が子の存在を慈しみながら穏やかな妊婦生活をするものだと疑いもしなかった。

いや本当に。

しかしである。
蓋を開けてみれば、妊娠が分かった途端、いや妊娠が分かるかどうか位のころから悪阻の波は否応なしに押し寄せてきて、ジメジメとした梅雨の陽気も相まって、あっという間に私はノックアウトされてしまった。

私の悪阻は、胃痛・頭痛・吐き気・嘔吐の合わせ技で寝ているとき以外は不調極まりなく、ということで次の産婦人科受診の際には服用できる薬が無いか先生に確認しようと指折り数えてその日を待っていた。

そして待ちに待った通院日がやってきた。
診察室に通され、先生が「体調はどうですか?」と優しく聞いてくれた瞬間に「いや先生本当辛いんですよ。よよよよ。」と泣き崩れそうになる。

胃痛がひどかったら、ブスコパン使って大丈夫ですよ。頭痛にはカロナール処方しましょうね。という先生の声が神の声に聞こえる。

ありがたや、ありがたや~と思っていると、「むぅさんそれでは心拍確認してみましょうね。」と言われ、ふと我に返った。

そうだ、今日は心拍確認というビッグイベントがあったのだ。

繰り返し読み漁った不妊治療体験記には一様に『心拍確認』は大きな関門であると記載があった。

あまりの悪阻の辛さに頭から抜けていたが、今日はその重要な日であることを思い出し俄かに緊張し始めた。

診察台にあがり、手を握りしめ、モニターを凝視する。

手慣れた様子で先生がグローブを動かし始めた。

「あ~ここにいるねぇ。大きくなっ・・・」

穏やかに話していた先生の声が止まり、私は何事かと身構えた。
一瞬で不吉な予感が脳裏に浮かびまくる。
声を出せずにいると

「むぅさん、二人いるよ。ほら」

と先生が話始めた。

二人?
え?
二人?

思考停止状態で固まっていると、先生が
「あ~一卵性だねぇ。ここに羊膜があるけど胎盤は一つっぽいなぁ」
と何やらブツブツ言っている。

「うん、二人とも心拍は正常。元気に育ってるね。はい、いいですよ。」

と言われ、あまりの展開に呆然とした私はそそくさと台から降りて着替え、診察室へと戻った。

その後先生からの話で
私のお腹には一卵性双生児がいること
MD双胎といって、一絨毛膜二羊膜双胎であること
ハイリスク妊婦になるので、この病院では産めないこと
MD双胎を診てくれる病院をいくつかピックアップするので選ぶこと
と矢継ぎ早に言われ、悪阻でほぼ思考回路が機能していなかった私は混乱した。

ハイリスク、ってなんや。

不安が雨雲のように心の中に広がっていく。

と、同時に私は動き出した二つの命にどうしようもなく感動していた。
二つの心拍の瞬きは、まさに二つの命の輝きで
私はこの輝きを目にした瞬間
この命を絶対に守るんだ
と、心に固く決意したのだ。

こんなに自分の心を揺さぶる存在がいることを
私は人生で初めて知った。

それは想像していた甘く、やわらかいものとは程遠く
力強く確かなものだった。


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