見出し画像

人と人との助け合い精神

「共生社会」って言葉を何度も耳にしてきて、ふと深く考えてみました。
自分はどこまで「共生社会」の一員として生きてきてるかなって。
なにも、支援者と援助を受ける人との関係ではなくて、ほんと地域の中での人付き合い、その中でのコミュニケーションや助け合いが大事なんだと思うんです。あそこの知り合いのおばーちゃん独居だったけれど、最近見てないな。顔見に行ってみようとか、朝、小学生の集団登校で出てこない子がいるから声かけてあげようとか。そんな小さなかけ言葉すら減ってきている今日この頃な感じがします。なんでしょう。余裕がないのかな?

 どんな気持ちで誰と接して、どう思うか、心地いいか、助け合う有難さとか、時々傷つくとか、合う合わないは近づいて関わってみないと分からないものです。でも、癖が強くても良さがあったり、愛嬌があって憎めなかったり、自分だって完ぺきではなくて、色々な接点を持つと辛いこともあるけれど面白かったりもします。そうやって助け、支えられ同じ社会で生活していること、そこに気づいていることが大事なんだと思うんです。

 小学生を見守ってくれているシルバーボランティアの方、駅の駐輪場で寒い中自転車の管理をしてくれている人に「ご苦労様」「ありがとうございます」って感謝すると、感謝するだけ自分が元気のおすそ分けを頂きます。

学生時代に、知的障がい者さんと月一で余暇活動を一緒に楽しむボランティアに励んでいました。社会人の大人と活気ある公務員さん、障がいのある方、たくさんのメンバーで集まってわちゃわちゃイベントを企画して、実行して、振り返って、お腹のそこから笑って。介助しているつもりが、サポートしてもらったり、助け助けられ。プライベートでもなかよくなって、
渋谷を練り歩いたり、カラオケに行ったり。好き勝手に、そんな関係を築いても誰にも怒られず。今も、交流があって連絡を取っていたりします。
今思うと、当事者の家族の休息時間を確保のための活動ということがわかりますが、当時の私は完ぺきに社会サークルの感覚で活動していました。

年齢、健康面、問わず色々な人と楽しんで生きて、社会生活を送るっていうことが本当に大事だなと思います。カテゴリーや所属しているグループだけでの生活。。それもいいですが、所属先がないと辛いですよね?
所属先がなくても、ただのあいさつや近所の声かけ一つでも暖かい関りは、自分の行動一つで作れてしまうんです。

って言いながら、大学生時代は勉強だけで、人間関係といえば
同期の子と一緒にいれば同期が後輩を可愛がってくれたり、うるさめの教授の対応をしてくれたりして、自分は人付き合いをさぼっていて、自分から
積極的に動く方ではなかったのですが、、

最近、仕事の片手間に時間に余裕があるので、久しぶりに大学教授に
「何か手伝う?なんかやろう?」って声かけてみました☆
年始に、「なんかやろう!招集かけよう」って返信が返ってきまして
なにやら新しい活動が始まりそうです☆ 

本来、地域でのコミュニケーションツールとして、自治会やお祭りがあって
繋がりを保っていたのでしょうけれど、そういう文化が減っていく分
精神的なつながりや助け合い精神は残っていくといいなと思う今日この頃です。ほんの少しの気遣いで社会がよくなるといいですよね?





いいなと思ったら応援しよう!