【広辞苑コラム】#73、応仁
この次に応仁の乱がありましたけど違う項目だったのでここまで。
後土御門天皇は、「ごつちみかど」てんのう。
応仁の時代が終わって1年半後に崩御されています。
歴史ね…苦手なんです。大抵戦ってるし、同じ名前の人多いし。
エグスプロージョンあたりが歌にしてくれないかなと思ってます。
昔叔父さんに「まりか時代ひとつ(平成)しか生きてないだろ〜、おじさんはふたつ(昭和・平成)だもんね〜」と言われて悔しい思いをしました。
最終的に、叔父さんは3つ(昭和・平成・令和)、私は2つ(平成・令和)です。
私が生きてた平成の30年も、前後と同じようにかなり大きく動いた気がします。
大きくなってから補完された情報と共にお話しすると、95年にはWindowsが日本でも発売されました。
平成半ばにくると各家庭にもノートパソコンが、というか我が家にもノートパソコンが来まして、その頃すでに夢小説や二次創作が多くあったように思えます。私もそれにやられた。
平成20年代になるとガラケーで自分でサイトを作って日記やイラストを残したりしてた気がします。
ガラケーからスマホへの変遷は画期的なようでやることは変わらないから、戻れるならガラケーに戻ってもいいなぁと思ってます。
ガラケーの頃はテキストコピーが5個くらいできたのにスマホは1つだけだからそれが一番悲しい。
今も悲しい。
応仁時代の2年間はほぼ戦いだったんだと思う。侍が戦うのは好きにすればいいけど、家で待つ家族が悲しい思いをするのはやるせないですね。
戦い、やるせない。
多様性という言葉でまたカテゴライズされるのも悲しい。私は私、君は君。金子みすずを読んで心を癒します。
知恵を持つ人は10年で変わるけど、連れていかれる人は連れて行かれるだけだから、学びは大事です。
おーわりっ!
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