「宗教2世」という偏見|エッセイ
私はいわゆる、宗教2世に当たる人間だ。
この日本には数限りない宗教があるし、特に新興宗教においては、「2世問題」が世間を騒がせていることも知っている。
特に、2022年夏以降、安倍晋三元首相の銃撃事件・死去に伴い、特定の新興宗教や、「宗教2世」がにわかにスポットライトを浴びることになった。
そして、その「2世問題」で取り上げられるテーマの多くは、「逃れられずに新興宗教の家庭に生まれ育ってしまった人たちをどのように救済するか」だったように思う。
ただ、物事には必ず、異なる角度からの見方がある。
今回、私が皆さんにご紹介したいのは、「宗教2世というだけで、社会から受けてきた偏見の目」についてだ。
基本的に、普段は明るくポジティブな性格の私ではあるが、実はこの「偏見」には、数多く悩まされてきた。
そこで、エッセイという形で、拙い体験をお伝えしようと思う。
私の母は、仕切りたがりの性格だったこともあり、私の通う小学校・中学校で長らくPTAの代表を務めていた。
母は信じている宗教の話もオープンに伝えてしまう性格であったため、当然、私自身もその宗教の2世であることが、ほとんどの人に知られ渡っている状態で、学生時代を過ごしてきた。
新興宗教に対する偏見の目を持たれたくなければ、カミングアウトせずにひっそりと生きればいいじゃないか、という声もあるだろう。
でも、「大好きなものを人に薦めたい」というのは、人間共通の真理だ。
だから、私の母が、信じている宗教の新刊本が出たり、映画が公開される度に、周囲に宣伝して回る癖があったのは致し方ない事だと思う。
反面、その風当たりの直撃を受けるのが、他ならぬ学校に通っている私自身だった。
通常、保護者会の流れで、母親が信じている宗教の話をしても、保護者同士ではあからさまに否定されることはない。
ただし、子ども同士となると話は別だ。
大抵の場合、保護者会で母親もしくは父親が感じたことが、そのまま子供に伝えられる。
その結果、私がクラスメイトたちに伝えられた言葉の一例を紹介しよう。
「あの子は新興宗教の家の子だから、仲良くなり過ぎないようにって言われた」
「おうちを選べずに宗教の家に生まれちゃった可哀想な子だから、憐みをもって接してあげなさい、と言われた」
「あなたはあの子みたいに宗教の家に生まれなかっただけ幸せよね、と言われた」
「一見いい子に見えたとしても、宗教の洗脳を仕掛けてくるかもしれないから、親友にはなっちゃだめよ、と言われた」
「親から聞いたけど、やばい宗教なんだってね。で、いつサリン撒くの?」
……これらの発言は、我が子のことを心配した親の忠告から導き出された言葉なのだろうが、いささか宗教に対する拒絶反応が強すぎはしないだろうか。
大体、子ども同士が仲良くなるのに、理由など存在しない。
なのに、最初から「あの子は宗教の家の子だから」と子どもに念押しをしてしまうことこそ、「洗脳」そのものではないだろうか。
私の場合、お蔭様で、最初の方でよそよそしい対応をされることが多かった。
しかし、話していくうちに普通の友人関係は築けるものだ。
数か月も一緒に過ごしていると、同級生の方から擁護の声が上がることが多かった。
「うちの母が何も知らずに、『あの子とは仲良くするな』って言っちゃってごめんね。訂正しとくわ」
「“壺”とか売りつけられるのかと思ってたけど、とんだ偏見だったわ。普通に大人になっても仲良くしたいと思うよ」
「私は私の判断であんたと長く付き合いたいって決めたから」
そんなありがたいお言葉もいただいた。
信じている宗教を承知の上で、良き友人に恵まれたことは、本当に感謝している。
私の経験上、普段からの信頼関係を築く事で、「宗教2世」という偏見の目を取り除くことは可能だ。
そのため、「自分が宗教の家に生まれたせいで不幸だった」などと言うつもりはさらさらない。
人としての正しい生き方を「宗教」という形で教えてくれた両親には感謝しているし、彼らの人格を尊敬もしている。
ただし、「宗教2世」として、世間で見られる視点のスタートは、必ずしもウェルカムではないのは、痛いほど実感してきた。
ここに、私や、宗教2世として生まれた友人たちの葛藤が存在した。
新興宗教の2世が1番苦労するのは、おそらく恋愛・結婚問題だ。
学校のクラスメイトや友人関係で宗教について揶揄される件は、ある程度割り切りがつく。
宗教に理解があり、友人として長い信頼関係を築ける人もいる。
ただし、恋愛や結婚となってくると、話が難しくなってくる。
特に、結婚を見据えた恋愛となってくると、相手の家庭環境を受け入れられるか、という問題が常に発生する。
そのため、相手が新興宗教の2世となると、当事者、および両親を交えた話し合いになることもある。
私の友人の中にも、宗教をテーマに、交際相手と深刻な家族問題になっているケースを何件も目撃した。
数例をご紹介しよう。
たとえば、東大に進学した2世の友人Mがいた。
Mは才色兼備で優秀、おまけに物腰柔らかで温かい人格なので、入学後、すぐに彼氏ができた。
ただ、この彼氏は「将来の結婚を考えるなら、世間体もあるから、所属する宗教から抜けてくれないか」と言ってきた。
Mは泣く泣く、「会員からは名前を消してくれ、心の中では信じているから」と言って退会した。
当会の場合、すぐにメンバーから抜けることはできるので、速やかに退会処理が行われていた。
だが、彼女のことを本当に大切に想っているなら、彼女の生きる上で大切にしていたものを奪い、泣かせるようなことをするのはおかしいのではないか、とも思った。
その他の例としては、彼氏と両家を巻きこんだ話し合いになった友人・Tもいた。
Tの場合は、高校時代から大学にかけて付き合っていた彼氏がいた。
二人が本気になるにつれ、やはり彼氏側からの宗教へのクレームがやってきた。
彼にとって、優しくて可愛いTは、猛アプローチの結果、やっとのことで交際に漕ぎつけた自慢の彼女。
Tのことを「結婚したいほど大好きだ」と公言していたが、交際後に新興宗教の2世であったことを知り、それだけが受け入れられない、というのだ。
Tは退会の意志を示さず、交際の継続を望んだので、彼氏の両親、およびTの両親を交えた家族会議となった。
その結果、「Tの人柄はとても好ましいが、家庭の宗教がどうしても受け入れられない」という理由で、彼の両親により、お別れすることになった。
彼の両親の言い分としては、「仮に息子がTと結婚した場合、孫を新興宗教に入信させられるのは堪らない」とのことだった。
なぜ、Tの人柄が良いと思うのに、別れさせるのか。
その魅力的なTを培った理由は、日々の心の修行にあったとは思わないのだろうか。
そこには教団のイメージや大人の事情など、色々な要素があるのは分かっているのだが、失恋に泣き崩れるTを支える友人としては、本当に身を切られる思いだった。
その他にも、相思相愛となり、結婚の予定までは立ったが、新郎側から、「基本的にオウムと同じバックボーンだと思っているから」と言われた友人Fがいた。
彼女は婚約者に、結婚するにあたり、宗教内の友人との交流を避けるよう言われた。
Fはムキになり、同じ宗教2世の友人を片っ端から紹介した。
「ここにいる人たちが、人を殺すことを企む集団に見える?」
Fの必死の訴えの結果、彼に紹介した友人のみは、交流を続けることを承諾してもらっていた。
そんな風に言ってくる男を選ぶなよ、という外野からのため息も聞こえてきそうだが、好きになってしまったのだから仕方がない。
Fはその後、積極的に宗教を表に出さないことを条件に、彼と結婚した。
さて、ここからは勇気を出して、私の拙い恋愛体験も載せておこう。
小学校の時に仲の良かった男子がいた。
中学生になって、共通の友人を通して彼から連絡が来るようになった。
「本当はもっと仲良くなりたかったのだけど、勇気が出なくて連絡できずじまいだった」と言われた。
その理由もやはり、「私が宗教の家の子だから、仲良くなりすぎないように」と親から念押しされていたからだった。
もう少し仲良くなるとはどういうことだろう?と思いつつ、定期的に連絡が来るので、メル友のような関係になった。
ただ、2人で会おう、という話にはどうしてもならなかった。
理由はやはり、「とても好感を持っているのだけど、お前の宗教のことを考えると、彼女にしたり、その先の結婚をイメージすることができないから」とのことだった。
案の定、1年ほどでメル友関係は自然消滅した。
高校生に入り、約1か月のホームステイを経験した。
ホームステイ先には同世代の日本人が30人ほど英語を学びにきており、全国各地から来た友人ができた。
このホームステイ先では、母がPTAで君臨していなかったため、私の家の宗教の話になることはなかった。
その結果なのかもしれないが、1ヶ月の間に、3人から告白された。
1人はスペイン人、2人は日本人だった。
スペイン人の彼とは言語が上手く通じなかったため、それっきりの関係になってしまったが、日本人の2人とは、友人としてなら、ということで連絡先は交換して帰国した。
帰国後も、彼らからは定期的に連絡が来ており、会いに行きたい、という話をしてくれた。
1人はキリスト教系の高校だったため、自然と宗教の話をした方が良いかと思い、私の宗教の話をした。
1人に話したので、もう1人にも話した方が良いだろう、と思い、結局両方に宗教をカミングアウトした。
すると、キリスト教系の高校の彼からは、返事は来るものの、会おうという話は出なくなった。
もう1人の方は、完全に連絡が来なくなった。
結局、1ヶ月で築いた好印象よりも、宗教名のカミングアウトのマイナスの方が大きかった、ということだろう。
私の拙い経験ですら、そんなことがある。
真剣に交際しているカップルなら、さぞかし大変なケースもあるだろう。
私の場合、世の中そんなものだ、というのは理解していたから、宗教を理由に連絡を絶たれることに、そこまで落ち込みはしなかった。
ただ、日本という国は一体どれだけ宗教に対するイメージが悪いのだろう、と辟易した。
しかも、ほとんどの場合、教えの内容に触れたことがないのに、マスコミやネットの報道で垣間見るイメージでしか、その宗教を判断していないのだ。
もっと私そのものを見てくれる人はいないのだろうか。
社会の偏見を乗り越えてでも、私のことを理解したいと思う人はいないのだろうか。
当然ながら、悩んだことはあった。
しかし、周りが恋愛を楽しんでいる学生時代に、そんな風に思ってくれる方に出会うことは、残念ながら出来なかった。
人としての生き方を追求し、読書を好む私の宗教と、サリンを撒いて社会的事件を起こした宗教の違いが分からない、と言われることは何度もあった。
これは、教育現場でその違いをぜひとも紹介してほしい、と強く思ったものだ。
私たち宗教2世にとっては、「何かの宗教みたい」と揶揄されるのも傷つくポイントだ。
宗教とは何か得体の知れないもので、怪しいものを拝んでいる団体、というイメージが強いのかもしれない。
そこで、私は宗教2世の1人として、これだけはお伝えしたい。
新興宗教と言ってもさまざまな種類があり、すべてを一緒にすべきではない。
また、特定の新興宗教の人が問題を起こしたとしても、その宗教の中の人全員がおかしいわけではないと思う。
信じている宗教で印象を一括りにされるのは、まるで通っている学校名で全ての生徒を一括りにされるような印象だ。
人の数だけ、個性がある。
同じ学校に通っていると、全体のカラーは似てくることがあっても、一人ひとりの個性は違う。
これは宗教においても同じことだと思う。
だから、もし特定の新興宗教の信者だと分かったとしても、その人の人柄そのものを見て、付き合うかどうかを判断してほしいのだ。
幸いにして、noteという場では、最初から「教えを紹介する人」というスタンスでアカウントを開始しており、その事実を了承してくれる方とのみ、関係を築く事になる。
紹介内容は書籍の抜粋等だが、コメント欄での交流等を通して、人と人との信頼関係を築ける方も現れた。
私にとっては、その事実が何よりも嬉しい。
noteの活動を通して知り合えた人は、本当の意味で自分の大切にするものを共有できた人。
私にとっても大切な宝物だ。
このような思いを綴る機会をいただいたことにも感謝している。
何より、自分という人間を形づくり、心を磨くために実践してきた内容を、こうして皆さんの日々に役立てられることが心から嬉しい。
宗教とは本来、人の悩みを解決し、豊かな人生を歩むために必要な存在だと信じている。
相変わらず、世間で宗教をカミングアウトすると風当たりは強い。
それでも、心の教えを必要としてくれる人たちがいるならば、自分にできる一歩を進めていこうと思えるようになった。
私はこれからも、あらゆる形を通して、尊敬する両親から受け継ぎ、自分を育んでくれた教えを伝える道を歩んでいくだろう。
最後に、ここまで読んでくださった皆さんに、心からの感謝を綴っておきたい。
皆さん、出会ってくださり、本当にありがとうございます。
私の存在を受け入れ、共に切磋琢磨してくださること、とても幸せです。
これからもどうぞ、末長くよろしくお願いいたします。
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