
大川隆法製作総指揮映画「二十歳に還りたい。」から学ぶべきポイント6選!
いつも記事を読んで下さり、本当にありがとうございます。
大川隆法製作総指揮映画「二十歳に還りたい。」が全国の映画館で公開中です!
<ストーリー>
一代で大企業を築き上げ、周囲から「経営の神様」として尊敬されていた寺沢一徳。社会的成功はしたけれど、家族には恵まれず、引退後は高齢者施設で孤独な日々を送っていた。
彼の唯一の楽しみは、時々学生ボランティアでやってくる山根明香と話すこと。
ある日、明香は自身の過去を打ち明けると、彼女は「一徳の願いが一つ叶いますように!」と神様に祈る。
そんな明香も失恋の痛みを抱えていることを知る一徳は、彼女のために何かできることはないかと、「もう一度、二十歳に還りたい」と願う。
次の瞬間、一徳は20歳の青年の姿に戻っていた。
一徳は戸惑いながらも、今度こそは後悔のない人生を生きていこうと、新しい「第二の人生」を歩みはじめる。
そういえば、おすすめする側だったのに、感想をお伝えするのを忘れてしまっていました!笑
(公開前に書いたおすすめポイントはこちらになります。↓↓)
というわけで、映画「二十歳に還りたい」から学ぶべきこと、と題して、ネタバレにならないように努めながら、内容にも迫っていきたいと思います。
※なお、愛については沢山記事で特集してきましたので、過去記事を参考にしていただきたく存じます。
今回は、今までスポットを当てていなかった部分からの学びも、取り上げてみました!
①もしも名経営者が二十歳から人生をやり直したらどうなるか?

「経営者が記憶を持ったまま二十歳にタイムバックしたら、どのような人生を生きるか?」というテーマで始まった本作。
主人公の寺沢一徳は、一代で企業を創り上げ、「経営の神様」とまで言われた方。
「経営の神様」という言葉から、どことなく松下幸之助のイメージもあるのかな、と感じました。
そして、二十歳に還った一徳の渋い事!
一徳は20代に戻っても、さすが元80代の経営者らしく、リーダー学を極めたかのような心構えを持たれていて、ご立派でした。
目的もなく留学にいく友人を諫める際に、「ご両親は?その先の人生は?」と詰め寄るシーンなどは、経験豊富な80歳ならではです。
それから、名経営者が人生をやり直したら意外にも良い俳優になるかもしれない、というのもその通りだな、と思いました。
なぜなら、経営者とは人の心を掴むことも仕事であるからです。
なるほど、経営トップを極めた方が、記憶をもったまま戻ると、こんな感じになるのね、という学びに満ちた設定だったと思います。
以前ご紹介させていただいた、「仕事への言葉」の経営者への指針をすべて兼ね備えたような、「公平無私」な一徳さんでした。
②成功者のシャドー学

一般的に、「成功者」にはシャドー(影)が付きまとうと言います。
社会的に成功した方が、実は家庭には恵まれていなかったりします。
仕事に邁進するあまり、家族に時間を費やすことができなかったり、親の活躍を見て子どもがぐれてしまったなど、問題は様々です。
ソクラテスの妻は悪妻だったとか、孔子の妻は悪妻だったとか、リンカーンの妻は悪妻だったとか……。
ゲーテが一人世に出るために、家族は全員養分となって、ゲーテのエネルギーに吸われたとか…。笑
そんな話が歴史上もちらほら出てまいりますが、仕事やミッションに情熱をかけていると、それを理解できない家族との葛藤っていつの時代も出てくるものですよね。
時代を問わず、仕事と家庭のバランスって難しいものです。
そして、皆さん気になる点の一つとしては、この作品の主人公に大川隆法先生がどのくらい自己投影されているか?
ということだと思います。
私なりの仮説ですが、ご自身も仕事一筋で生きてこられた分、家庭において十分に教育をしてあげられなかった、というお気持ちは少し持たれているのかな、という印象でした。
ただ、家族や子育てに対するお話も沢山聞かせていただいていますので、実際には沢山の愛情を注がれていたのではないかと思います。
そして、ものすごく仕事が早いというか、2017年時点では「二十歳に還りたい。」の構想があったと伺っています。
全てのことに意味がある、という考え方もあるので何とも言えませんが、現在の大川家の状況と一徳に共通点があるとしたら、「預言者の如し」、というしかありません。
大川隆法先生はいつだって、使命に生きていらっしゃったので。
ただ、基本的にはストーリーを通して、人生の意味とは何かを考えさせるきっかけを与えて下さったのだと思います。
③文学的香りの色濃い作品

本作のなかには、シェイクスピアの劇「ロミオとジュリエット」が出てきます。
また、「『一つの願い事』を叶えるために、ある条件をつけられ、もう一度人生をやり直す」、というテーマは、芥川龍之介の「杜子春」やゲーテの「ファウスト」を連想させます。
それから、経営者としての寺沢一徳は決して悪い人ではないのですが、仕事に邁進しすぎるあまり、周りを犠牲にしていた自分を変えたい、今度こそ人に愛を与える人生を生きたい、という決意しています。
このあたりは、大変恐縮ながら、「クリスマス・キャロル」に出てくるスクルージの改心のような要素も感じたりしました。
赤羽博監督が「大川総裁から『文学的余韻を残してほしい』と言われ、そこに苦心した」と仰っていましたが、実際に見事、一人ひとりに結末の意味を考えさせる、文学的余韻の残る作品になっていたと思います!
宗教は時に、「かくあるべし!」を主張しすぎて現代人に嫌われてしまいがちですが、真理を含みながらも、観る人に考えさせられる作品を作ってくださったことに、大川隆法先生の優しさを感じました。
まるで、「もしあなたが一徳だったらどうしますか?」と問われているかのような感覚でした。
④今度こそ、無償の愛に生きれるか?

もう一度、自分の人生をやり直したいと思った時。
今度こそ他の人のために、与え切りの人生を生きたいと思った時。
私たちは果たして、無償の愛に生きれるのでしょうか。
私はというと、本当に心に決めた大切な人のためならば、尽くしてしまうかもしれません。
ただ、そこに見返りを求めない無償の愛を持てるか、というと、少し自信がありません。
むしろ、好きな人に嫌われたくない、という自己保身が発生して、大切な人に対して心を鬼にして「叱る」ということができないかな、という気がしています。
でも、きっと本当の意味で相手を「人物」に育て上げるには、厳しさの中の「生かす愛」も大切ですよね。
また、たとえ年齢が若返ったとしても、同じ個性を持つ人間。
同じ間違いを繰り返さないようにするにはどうするか、ということを考えさせられました。
一徳は前の80歳までの人生で、自分の事業のためとはいえ、全てを犠牲にしてきた自覚があるからこそ、あの最後だったのかな、という気がしています。
⑤30歳までは……自制心・克己心を磨く時期!

映画の中心部分にあたるかもしれないのですが、一徳が神様から二十歳に還ることを許された時、条件がありました。
「無償の愛に生きよ」
「人を愛し、人を生かし、人を許せ」
そして、
「30歳までは、結婚を申し込んでも、申し込まれてもならない」
ということ。
この意味は一体何なのだろう、と考えたのですが、一般的に、人物として大成するまでには若い頃の修行期間がいると言われています。
大川隆法先生ご自身も、「仕事が確立して、経済的に自立するまでは、結婚はできない」、と心に決めて仕事に邁進されたそうなので、そのあたりの克己心のイメージが入っているのかもしれません。
一徳も30歳までの修行期間を与えられたことによって、自分に厳しく、自制心をもって成長していくチャンスが与えられたのかもしれません。
⑥ラストシーンについて☆究極の選択を迫られたら?

私がもし一徳と同じ立場にたったら、やはり同じ結末を迎えてしまったのではないかな、と思います。
そして、この原作を書かれている大川隆法先生なら。一体どうされたのでろう、と思いを馳せずにはいられません。
もしも神様からの啓示があったなら、神様のお命じになった通りに生きるべき、という意見もあるでしょう。
それと同時に、「かくあるべし」はあるのだけれど、やはり人の心を持った人間としては、誰かを愛さずにはいられない、という面もあると思います。
利己心を出したときに、夢から醒めると言いたいのか。
それとも、自己犠牲なのか。
このあたりは映画を観た方とぜひ語り合いたい論点ですね!
映画の最後に映し出される一徳の表情は、全てを理解しつくしたかのように、満足気に感じました。
「これで良かったんだ……。」
そう思える人生を、私も生き抜いてみようと思います。
<まとめ>

いかがでしたでしょうか?
今回は、映画を観た方にとっては、そうそう!と思える内容。
観てない方にとっては、「ふーん、ちょっと気になるような」と思える内容を目指してみました!笑
映画「二十歳に還りたい。」もしご興味のある方はぜひ、お近くの映画館にて鑑賞されることをおすすめしたいと思います!
最後までお読みくださり、誠にありがとうございました。