政治家を志す、とはいったい・・・。
人と喋りすぎて喉が枯れてしまった・・・・まだ街頭演説もしていないのに・・・。
政治家を志すとほんと、志さなければ言われるはずのなかったいろんなことを言われる。そうまでしてなぜやらなければならないんだろう、と、たぶん、本人はそこまで揺らがないけれど、周囲の家族は思わざるを得ないだろう。
本当に不思議な世界だと思う。運命に付き従うのみ、ともいえる。
政治家を志すひとはたぶん、名前を売りたい以前に本気で社会を変えたいと思っていると思う。でもそういうモチベーションって一般的ではないからあまり伝わらなくて、すぐに疑われる・・・。「旨みがなさすぎる」「片想いすぎる」などは心ある若き現職政治家の方々がこぼしておられたお言葉。ほんまそれ、(私はまだまだ、その入り口にも立ってないけど)とも思うけれど、反対に、志さなければ決して得られなかった経験、出会えなかった人たちとの出会い、見ることのできなかった景色がある。
なんといっても、いろんな人から応援していただいたり助けていただく経験の貴重さは何物にも変え難い。アーティストとして活動してきたからこれまでにもいろんな人に応援していただいたけれども、フィールドが政治となると、その幅がいっきに広がる。つらいことを言われることもあるにはあるけれど、それをはるかに上回る量、人の温かさに触れる。
感謝すればこそ反対意見を述べにくい、という経験は誰にだってあると思う。
選挙が応援し応援される「義理人情」の世界であるからこそ、いざ議会が始まってみると、庶民目線からすればまっとうな議論やまっとうな選択ができていないじゃないかと言いたくなるシーンがある。政治家が腹黒かったりずるかったりするからではなくても、ものごとにはきっと、表面には見えないいろいろな事情があると思う。茶の間からいろいろ言われながら「いやいや、色々あるんだってば・・・・」と、政治家たちは思ってると思う。
それでも、自分がもともと抱いていたはずの初心や庶民感覚を、失うのではなくむしろ研ぎ澄ませることが大事って思う。
感謝しつつ、支え合いつつ、意見すべきところはちゃんと意見する必要がある。そして意見するときほど、感謝の気持ちも忘れずに・・・と思う。
子どもの保護者会とかPTAも議会と同じだな・・・・と最近思ってる。
たまたま同じ時期に子どもを授かったというだけで、年齢も価値観も違う人同士の寄せ集めだから、めちゃめちゃ多様なわけで。お互い大人だし、忙しいし、忙しいなかで負担の大きな役を負ってくださっている方にはまずは感謝しかないから、わざわざ衝突したくなんかない。でもあるとき若いお母さんが「こんなんじゃダメ、もっと気軽に相談できる関係を作らなきゃいけない」って言ってくれたことで道がひらけた感じがした、というできごとがあった。
意見することは楯突くことじゃなくて、いっしょにより良くしていこうよという提案だと思う。いっしょにより良くしていこうよと、そして、何よりも、その提案をする場所に温かい空気が流れていることが大切だと思う。
政治がもっと、温かくクリエイティブな場所になっていきますように。