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嵐山の別世界「広沢池」で平安仏教を振り返る

嵐山(嵯峨野)の地図を見ると、2つの大きな池が目に入ります。大覚寺のある大沢池と、もう一回り大きい方が広沢池です。広沢池は、嵐山の観光の中心となっている場所からそう遠くないですが、別世界のように静かで落ち着いた雰囲気の場所です。犬たちと散歩するには最高です!

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平安時代は華やかな寺院の庭だった!

広沢池は、「遍照寺」の庭の池だたっということで、別名「遍照寺池」とも呼ばれます。今でこそ遍照寺は広沢池の南にある小さなお寺ですが、創建された平安時代中期には、池の周りに多宝塔や釣殿を有し、人工で作られた観音島に金色にはキラキラ輝く十一面観音像を祀っていたりと広大で華やかな寺院だったそう。「嵯峨富士」とも呼ばれる北側の「遍照寺山」の姿を写す広沢池は、月見の景勝地としても多くの人に親しまれており、平家物語などの書物にも登場します。

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遍照寺は、空海が開いた真言宗が最初に二流に別れた際の一つ、広沢流の本寺。名門貴族出身の僧侶の「根本道場(=他派でいう「総本山」)」として栄えました。空海は中国の師匠から「遍照金剛」の名を授かっていますし、「遍照金剛」は宇宙の本体であり絶対の真理である仏様「大日如来」の別名でもあります。「遍照寺」と命名されたお寺は真言宗、ゆえに平安仏教にとって重要なお寺であると想像がつきますね!(「遍照」に「仏様の慈悲の光明で照らされている」という意味があるそうなので、寺の重要度を示すかどうかは分かりません。遍照寺ってお寺は全国にたくさんあるようですし・・・)

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ちなみに広沢流は口伝よりも儀軌(儀式の規則)を重んじる流派。もう一つの小野流は口伝・口訣を尊重し、山科区小野の牛皮山曼荼羅寺(現・隨心院)を本山に、庶民出身の僧侶が活躍します。両法流ともに後にたくさんの分派が行われていきました。

真言宗、平安仏教について復習

「真言宗」とは、弘法大師空海が中国で学び、平安時代初期に大成させた仏教の密教です。「密教」と聞くと秘密裏な儀式を行うイメージがありますが(あ、私だけ?^^;)、修行や儀式を通して、言葉だけでなく、心や身体の感覚全てを使ってへ伝えていく概念的な教えを指します。「一見すると分かりにくい→秘密の教え=密教」ということかな?

空海と同時期に中国で学んだ最澄の「天台宗」も密教ですが、真言宗が純粋な密教であるのに対して、天台宗は禅、念仏、経などの様々な宗派の考えを盛り込んだ「総合仏教」。微妙に違いますが、この二つの宗派が朝廷や貴族だけでなく民衆からも絶大な信頼と人気を集め、平安時代に日本に広まっていきます。(=平安仏教)

仏教が6世紀半ば(飛鳥時代)に伝来して以来、それは学問的で、蘇我氏や聖徳太子に代表されるように政治に利用されるものでした(=奈良仏教)。空海・最澄は、そんな奈良仏教に抵抗する形で、政治との縁を極力切ろうとしました。世俗から離れるために、空海は高野山、最澄は比叡山と、山に籠もったわけですね。だから山岳仏教とも呼ばれます。もともと自然に神々しさを感じる日本人の思想ともマッチしていたのですね。

しっとりと地元に根付く広沢池

遍照寺は、建立した寛朝の死後まもなく衰退、観音島も消失したそう。江戸後期に遍照寺が復興をはたし、明治時代中頃に地元の有志らが島を築造しました。そして、島内には他の寺院から移されたの千手観音石像が安置されています。石像なので木造よりも細かい表現ができず素朴な印象ですが、その素朴さがのどかな自然にマッチしていて個人的にはとても好きな石像でした。

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現在は毎年8月16日催されるお盆の精霊送りの行事「灯籠流し」や、12月には池で養殖している鯉を水揚げするために池の水を抜く「鯉揚げ」が行われます。観光地から離れ、普段は過去の華やかさは想像できないようなとしっとりとした空気が流れていますが、しっかり地元の方々の生活の一部として根付いているんですね。

池の一帯は景観保護地区に指定され、池百選にも選ばれているそう。私が行った時はちょうど水が抜かれた時だったので、今度は違う季節にいってみたいです。そしてその時には、今回調べて知った遍照寺にも拝観します!

*参考:LINEトラベルjpKYOTOdesignいい葬儀【仏教解説】

*上記を参考にし、自分の考察を加えて書いています。情報の正確性は保証できないことご了承ください。


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mariina
母がドイツ人の父が日本人のいわゆる「ハーフ」ですが、ハーフって言われるの嫌い。ピザじゃあるまいしw。アウトプット力・文書力向上を目指してnoteを活用します。そして記事の内容が誰かの役に立ったら嬉しいです。