見出し画像

高橋真琴卒寿記念原画展へ行きました

うめだ阪急で開催中の卒寿記念高橋真琴展「永遠の煌めき」へ会社帰りに立ち寄りました。公式アカウントはこちら

私の中の♓月がとても満たされました。フワフワお花が散って繊細なレース、お姫様ワールド。リアルタイムでMACOTOワールドに育まれた♍冥王星世代であります。絵本やマンガ雑誌の表紙、文房具。色鉛筆のケースやシール。ノート。子供時代は真琴先生の描くお姫様世界に傾倒していました。

絵を眺めていて思ったのですが、少女漫画の初期はいろんな方が同じような絵を描いていた時代だったように思います。おそらく編集者が好きなものを書かせてくれなかった時代、いろんな漫画家さんの話にそれは出てきていて、もしかしたら、絵柄の指定などもあったのでしょうか。
それが60年代後半あたりからどんどん個性的に変わっていく。
私がリアタイでお目にかかっていたのは70年代前半です。絵がすこしずつ変化していくさまが原画展では見えるのでその違いを楽しむのもいいかも。
このあたりは、専門家の方が解説している本があるかもしれませんが。

生命の木で申し上げればお花がちりばめられた真琴先生のイラストはマルクト(私の外側の現実)です。そこからイエソド(意識下)に影響をあたえ、いろんな意識が形成されたことでしょう。

そこから10数年後、私たち世代はさらなる「可愛い」「フリルとレースの世界」に身を置きます。それが金子功の「PINKHOUSE」です。空前のDCブームの中、町にはティアードスカートの下にペチコートをのぞかせ、コサージュを胸に付けた女子があふれた時代であります。私もその一人でバイト代を全て服に費やし、PHは高いのでセールでしか買えません。似たような雰囲気のコーディネートを古着などで再現していました。(金子服の話は別でまた長々書きたいと思います)

イエソド(月)からネツアク(金星)に向かい、可愛いは正義でありました。そしてそこには「男受け」は介在しなかったんですよね、ここポイント。もちろん当時から「モテ」る服はありましたが、それは選ばなかった。

MACOTO世代はバブル女と言われ上からも下からも忌み嫌われていて、男尊女卑を受け入れていると揶揄されてもいますが。果たして本当にそうなの?
そんな人もいるけどそうでない人もいるんですよ。ここに(にやり)

ネツアク(金星)からケセド(木星)にあがっていくとそこには可能性が満ち溢れています。可愛いの可能性とは何か。男にこびへつらい可愛いねと言われるのではなく、私の可愛いは私が決めるんですよ。私が可愛いといえばそれは全て可愛いわけです。世間?知らんがなw

さらに上がればコクマー(恒星天)つまり。永遠です。一番大事なもの。
高橋真琴先生の絵には優しさと美しさ、繊細さが描かれています。
私が大事にしたいものは真琴先生の絵にすべて描かれていたんだ。
先生の描く女性の眼の中を見てください。そこには永遠の星の煌めきがあります。

原画展は18日まで。また行きたいと思っています。






いいなと思ったら応援しよう!