
フジイ、白川さんを比べるの巻
1)フジイとそれ以外の人間
先日。友人とお茶を飲みなが3時間くらいある話題で盛り上がった
それが「路傍のフジイ」というマンガである。
2巻くらいまでしか読んでない感想を申し上げると
別にフジイ、フツーやん。なんでこんな「何か」あるみたいに
周りが持ち上げるん?と思ってしまう。他人の評価、世間の「常識」から外
れることはそんな難しいことなのか。
この町には2種類の人間がいる。「フジイ」とそれ以外だ。
と自らをフジイ認定した二人がのたまう。間違いないだろう(雑)
2)メンタル強め美女白川さんとフジイ
さて前回からの関心事、白川さん、である。
(リンク先の前回の記事は有料ですがSNS拡散で100円ですのでどうぞご利用くださいw)
われらがフジイと、白川さんを無理やり比べてみよう。
フジイは非正規40代、見た目地味、社内に友人らしき人なし。多趣味なようだが、どれもさほど長けているわけではない。
白川さんは25歳。正社員ぽい。かなり努力して美容にお金をかける美女。ちなみに努力とはインフルエンサーからの情報収集。モテるし、友達もそこそこいる。いつも誰かを励ましているように見える。ただ、1巻の最初のほうでは、一人でご飯を食べていて、女性の同僚からは悪口を言われているシーンなどもある。
フジイは「努力」しない。誰かに良く思われようとしたりしない。話しかけられたら、話す。悪口はわかっているのかもわからない。「天然」と評されることもある。路傍のフジイには世々の様々なことに倦み疲れた周りの人が
フジイは特に何もしていないのに、何かを投影して、勝手に癒されている風にも見える。フジイは上手なカウンセラーなのか?(違う)
3)生命の木からの解釈
【生命の木雑解釈】
生命の木、とは10のセフィロトに22のパスからなる。もともとはユダヤ教の思想を理解するための物だったが、なんにでも応用ができる。
各セフィロトは対応する天体/元素がある。今回説明に使用したのは、ホド(水星)ネツァク(金星)、ケテル(大気)である。
パスはセフィロト同士をつなぐ経路のようなもので、大アルカナ22枚と対応している。カードの表す課題をクリアして、マルクトからケテルに上がっていくことがスピリチュアリティを高めるとされる。
オレンジの線はヴェール。凡人はここから下のセフィロトをぐるぐる回っている。マルクト(現実・地球)で刺激を受け、イエソド(意識下・月)で
価値観が形成される。それにもとつぎ、感情が発動し、思考は感情ベースで「考えているようで考えてない」ものとなる。ヴェールの下ではすべてが受動態である。自発性はこのラインを超えないと獲得できない。

フジイはホド(水星)を表すセフィロトの働きが強い。
同じく水星を表すパスはビナー、ケテル間の「魔術師」である。
魔術師は「始める」という意味。フジイは多趣味であるが特に上手なわけではない。フジイはいろんなことを知りたくてやってみたいという水星つよつよマンである。不老不死になりたいのは、知りたいこととやりたいことが多すぎるからである。(不老不死はどうでもいいが知りたいことを知るためには時間が足りなさすぎるのは同意)
緑で囲んだところを見てほしい。これがフジイの位置である。
生命の木上はかなり上。愚者の次である。
対する白川さんは赤で囲んだネツァク(金星)が強つよであるが、他者評価であるため、生命の木の上にはあがれていない。
金星の対応は女帝。白川さんのめざすべき、アドバンストなマダムは女帝そのものである。白川さんに必要なレッスンは女帝を目指すべきもの。と勝手に定義づけてしまった。
ちなみに女帝は、はぐくむという意味もあり、ゆったり時間をかけて
オリジナリティをはぐくむと白川さんの金星ももっと輝くといえるのではなかろうか。
フジイが白川さんの上?はあ?という異論はごもっともだろうけれども、
フジイは現世御利益に興味がないように見えて、出世ゲームにも全く参加していないあたりですでにオレンジの線で引いたところは抜けている。
生命の木を上がったところで金持ちや社会的成功に近づくかと言えば
それは全く関係ないところがミソである。
フジイの内面はもしかしたらもっと読めばわかるのかもしれないが、現時点で外側からの評価でフジイのキャラは浮き彫りにされているだけだ。
フジイとは何か、と特徴を書き出してみても、それは別にフジイでなくても
あてはまるものばかりだった。平凡なのだ。
こうしたその辺にいそうな人が物語に出てくる場合、狂言回しになりやすいのだが、フジイはおそらく世の80パーセントの人とは考え方が合わないので、狂言回しになると、いちいちフジイの思考に疑問がわいて、ストーリー理解に支障が出るのではないかと思われる。ゆえに彼のような人物を出す場合は、彼自身に語らせず、周りが勝手に彼に投影していく話のほうが、良いのかもしれない。
4)無能の鷹との比較を少々
その点で「無能の鷹」にも似ているなと思ったりした。鷹野はぶっとんでいて周りに一切左右されない、プラスありえないくらい仕事ができないので
まさかここまでひどくないだろうとみんな「たかをくくって」しまい、勝手に期待したり、彼女の言葉を深読みする。これもルッキズムに関わってくる話でそこが面白かったりするんだけどね。
待って、え、それで「たかの」なのか、名前。いやないない。
この手の人物がネガティブに描かれないところに、現代日本の会社員がどれだけ疲れていて、癒し、というか安心して投影できる相手を求めているのか、二作品のヒットでよくわかる。(そうなのか)
ちなみに鷹野を表すセフィロトはケテル。パスは愚者である。
と勝手に解釈してみた。異論ありますよね。もちろん。
水色で囲んだところですね。
5)結論なのか?
人は鷹野にはなれないが、フジイくらいならなれそうだし、実際自分は
フジイ側なのでみんなもフジイっぽくなってみたらどうかな?
出世などは一切しませんが、好きなことが多いってことは日々を楽しくしますよ。日本はもとよりハイアマチュアの国なんです。なので別にそれで金を稼げたら嬉しいけど、稼げなくてもまあいいじゃないですか。
人の目を気にして生きるなんてくだらないことさ、と忌野清志郎はかつて歌いました。自分もそう思います。
まあ社会生活に影響ない程度にほどほどにですけど、水星だけに。
おあとがよろしいようで()