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ルールなんてきっとなかった

昔の人って、何を着てたんだろう?

日本人なら「着物」が思い浮かぶと思います。それも普段着。

でも今の着物って、「よく分からない」「下手に足を踏み入れられない」なんて格式高いもの・非日常なものになっていますね。

どういう経緯でこうなったのか気になって調べている「着物初心者の呉服屋の娘」です。

前回の記事にあるように、江戸時代まではリサイクルだったりレンタルだったり、自分の家で作っていたりと、今とは程遠い「手軽なもの」だったようです。


今日は江戸時代の次、明治時代の服装について調べました٩( 'ω' )و

1633年から1853年のペリーの来航による開国までの約200年間、日本は鎖国状態にありました。

今の時代、「鎖国」の状態になってしまったらいろんなことが成り立たなくなるでしょうが、

もともと、通信や交通が今ほど発達していない江戸時代は、日本人にとってそんなに問題ではなかったのだろうと思います。ましてや、海外の文化や流行を知る術などなかったでしょう。

それが開国してから政治体制や工業、商業、文化、生活の仕方に大きな変化が!笑

それはもちろん服装も。

まずは、軍隊やいわゆる公務員の服装が洋装化していきました。

当時こういう職業に就く人は、圧倒的に男性が多かったので、女性の服装は少しずつ、和装と洋装がMIXされながら変化していったそうです。

明治33年には1万人しかいなかった”女学生”は”高貴な存在”であり、そんな彼女たちが着物に袴を穿き、髪を高く結い、革靴を履いて通学するスタイルが定着していきました。

そして、洋服についてよく知らない庶民は、その着用方法で混乱に陥ったそうです。笑


当時洋服は高かったので、一式揃えるなんてこともできない人が多かったでしょうね。

だから、いろんなアイテムを自分たちの着ている和服と組み合わせて見た。

それが、世間で流行っていった。

なるほど。

意図的に作った新しいファッションというよりは、

よく分からないし、ちょこちょこアイテムを組み合わせてたら何となく出来上がったのが和洋折衷のあのスタイルだったんですね。

和服に帽子。

女性は着物にパラソル。ハンドバック。指輪。

看護婦の制服もこの時代にできました。

鹿鳴館のバックスタイルのドレスもこの頃。


自分がこの時代にいたらどんな服装をしていたかなぁ〜?と考えてしまいます。笑


この頃はルールとは真逆の「どんどん自由にやっちゃえ」的な感じが漂っています。


ちなみにこの時代に有名な人の中に、「樋口一葉」がいますね。

五千円札でも見られる彼女の襟元は、今のようにカッチリした着こなしではないです。

和服を着ていても、そんなに堅苦しい着方のルールがあったようには思えませんね。


そして次は、たった14年間しかなかった大正時代。


今日も読んでくさり、ありがとうございました(^ ^)


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