お産で死にかけた
37歳初産。2年半の不妊治療を経て待望の妊娠。前期つわりで目眩と吐き気によりぶっ倒れて3ヶ月休職、色々大変だったけどようやく出産だ〜!と思ったら、お産で死にかけました。
妊娠出産、ハードすぎ!!え、世界人口80億ってことは80億回も妊娠出産がなされてるの?こんな辛いことを?っていうか80億回もされているのにどうして苦痛が改善されてないの?
つわりの時点で「母体で人間を育てるなんて原始的過ぎる」「非人道的」「倫理に悖る」というのが妊娠の感想だったんですが、死を覚悟したお産でさらにその考えを強めました。ガンダムSEEDなら私はコーディネーターを応援するぞ。人口子宮を誕生させて全人類キラ・ヤマトになろう!!
私の出産のざっくり概要は、
①予定日超過で入院
②誘発分娩でラミリア(棒)(いてえ)挿入
③陣痛で徹夜
④朝8時に誘発剤点滴
⑤昼過ぎに無痛分娩の麻酔開始
⑥15時に児頭骨盤不均衡のため緊急カイザー(帝王切開)決定
⑦カイザーにて赤子爆誕
⑧術後出血止まらずバルーン挿入
⑨それでも止まらず、救急搬送からの子宮動脈塞栓術オペ
⑩深夜3時にICU入り
⑪止血を夕方確認。チューブだらけのまま産科に帰還
⑫翌日からリハビリ&赤子の世話開始
って感じです!
無痛分娩を選んでいたので、⑤からは下半身への脊髄麻酔はしていたのですが上半身はゴリゴリに起きていたので、全ての過程において意識がありました。「怖いから麻酔で眠らせてくれ!」って何度か頼んだんですけどね。聞こえないフリされましたね。
下半身から生暖かい己の血がザブザブと流れ出ていく感覚、バルーンを押し込まれる時の叫ぶほどの激痛、血液パックが届かないと電話で怒るお医者さんの声、ストレッチャーで救急課に爆走していく天井のライトの眩しさ、ガタガタと震える手で手術同意書に書くサイン、医者に「意識あるなら喋って!」と言われて「怖い!痛い!もうやだ!麻酔して!!」と叫んだ時の喉の渇き。
残念ながら、すべてすべて気を失わず覚えています。マジで死ぬんじゃないかとビビりまくっていた二日間、せっかく貴重な体験したので記録しておこうと思います。いつか赤子がグレたり夫が家庭を顧みなくなったらこの記事を元に説教しようと思う。
お産、全身麻酔を使えないのも腑に落ちてない。特に産婦人科は痛みに対して無頓着すぎる。江戸時代じゃないんだから痛い施術の前には麻酔をしろ!!!「母は強し」と何度も励まされたんですが、3回目ぐらいからふざけんなって思ってましたね。
※注意!
・出産前の妊婦さんは読まないでください。防ぎようのないレアケースです。ただイタズラにお産が恐ろしくなるだけだと思うので。
・出産を控えた家族がいる方は、ぜひ読んで下さい。お産とは命を賭けた挑戦である事が少しでも伝われば幸いです。
・意識はありましたが、細かい時系列はすでに狂っているかも。退院時に今回の事についてお医者さんから詳しい説明も頂いているのですが、医療に明るくない一般人の記録ですので誤りもあるかもしれません。
・患者の主観の記録のため、お医者さん向かって文句を言う気持ちもそのまま記録しますが、前提として赤子と私の命を守ってくださった病院の皆さんと現代の医療に心から感謝しています。ただなぜ全身麻酔にしてくれなかったのかだけは恨んでいる。
出産は近所の大学病院の産科で決めていました。総合病院なのでご飯はとても素朴(オブラート)だし、部屋は大部屋のみ、夫の立会は産後の2時間だけ、面会は一日15分2名までと大変厳しい。入院を考えるとテンション下がりまくりだったのですが、24時間無痛分娩対応なのと、何より37歳の高齢出産になるので安全を考えての選択でした。いや~~~~!ほんとICUある病院にしておいてよかった~~~~!!!
出産予定日を超過しても、子供が出てくる気配は皆無。お腹の張りもおしるしも前駆陣痛も一切無し。お腹の子は3000gを超過して、エコーで見る頭のサイズは毎回先生が測り直すほどにデカい。難産になるかもなと怯えつつ、無痛分娩であることだけを心の頼りに陣痛が訪れるのを今か今かと待っておりました。日に一万歩歩き、夜な夜なスクワットなどをするが、努力も虚しく41週を超えて、3月頭に入院と誘発剤からの分娩が決定。
出産前日の入院日。病院まで見送ってくれた夫に別れ際、「お産は命懸けだからね、私と会えるのもこれが最後かもよ」とプレッシャーを与えてたんですが、まさかそれが現実味を帯びる事態になるとはこの時は露ほども考えてなかった…。
入院初日
出産日前日の午後に病院入りし、すぐに内診。悶絶するほど痛い内診をしてもらうが子宮口は指一本しか開いておらず、広げるためにラミナリア(水を吸って膨らむ棒状の素材)を挿入。これがまた痛くて一本一本入れられる間中「痛い~痛い~」と叫んでしまった。冷や汗ダラダラの中、やっと終わった瞬間に内診した男性医者から、「〇〇さんは無痛分娩か~。満喫してね☆」って言われて(てめえの尻に今の棒を無麻酔でぶっこむぞ?)と殺意が湧いた。
その夜はその刺激で今更ながら前駆?微弱?陣痛。10分寝ては痛みで起きるというのを繰り返し、ほとんど眠れない。無痛分娩ってなんだ?
入院2日目(分娩日)
朝6時ごろに痛みに吐き気を催して、トイレまで間に合わず洗面所でゲロゲロに吐いてしまい、助産師さんからLDR(分娩室)入りを指示される。ねえ、無痛分娩ってなに!?
朝8時に先生が来て、誘発剤を点滴。子宮口がある程度まで開くまで陣痛に耐える。この間にも吐いてしまって、吐き気止めと生理食塩水も追加で点滴。「痛みが我慢できなくなったら無痛の麻酔入れますね」と言われるが、どのぐらいが耐えられない痛みなのかがわからない。何度も「今の痛みは10段階で言うとどのぐらい?」って聞かれるんだけど、10の痛みなんて知らね~~から!てか知りたくね~~から無痛選んでるんだわ!!
てかもう「無痛」って言うのをやめろ!「一番痛い時の痛みだけ一時的にとりますね、うまくいくかはわからないけど分娩」に名前を変えろ!
痛くて冷や汗はかいてるけど早くお産を終わらせたいし、子宮口が開くギリギリまで耐えようと我慢。しかしまもなく内診です、と言われて、内診の痛みが嫌過ぎてここで麻酔を入れてもらう。麻酔科の先生(マツエクバリバリの美女)が来るまでにちょうど耐えられないほど陣痛が強くなっていたのでナイスタイミングだったかも。
無痛分娩の背中(脊髄)への注射、ビビってたけどほとんど痛みを感じなかった。すうっとした感覚とともに、あっという間に痛みが引く。お腹の張りも感じなくなり、お産の進行が心配になるぐらい。
だいたい午後14時ぐらい、突然ここで異変が。内診した先生から「陣痛はしっかり来ているのに、子宮口開いていなくて、赤ちゃんもまだぜんぜん降りてきてないね」と言われる。長丁場になるのか、まあ麻酔効いてりゃどうにかなるか~と思っていたら、ここで予想しなかった一言。
「帝王切開しようと思いますが、いいですか?」
「え?????????」
赤ちゃんが骨盤まで降りてないのにお腹の張りがマックスなため、赤ちゃんの心拍が下がっていますとのこと。今すぐ帝王切開の同意書にサインをくれ、と言われる。股が裂ける覚悟はしてたけど、腹をメスで切る覚悟をしていなかったので呆然。てか、吐くほど辛かった昨夜からの陣痛、毎日の1万歩の散歩、腰痛の中やった階段昇降とスクワット、15万円の無痛分娩費用、全部無駄になるんだ…と思った瞬間にバラバラ涙が出てくる。
しかし赤子の命より大事なものはないので、泣きながらサイン。すぐに手術の準備。一時間後には産まれてますよ、と言われて、夫に慌てて電話。
あれよあれよとオペ室へ。意識がある状態で腹を切られるということが怖すぎて「どうにか全身麻酔になりませんか!?」「産声とか聞けなくても大丈夫なんで!」と訴えるが、駄目らしい。なぜ?いきんだりしないのになんかやることがあんの?
「じゃあ私は帝王切開の手術中に何をしていればいいんですか!?」
「う~ん、リラックスしていてください」
やることないじゃん!意識失わせてくれよ~!!
立ち会ってくれた麻酔のマツエク先生が良い方で、何度も励ましてくれて、手術から気を逸らせるために私のマシンガン雑談にも乗ってくれた。ありがとうマツエク先生。
帝王切開はあっという間。ビビっている内に大きな泣き声が聞こえて、赤子爆誕。3800gですよ、と連れてこられた赤子はマジでデカくて髪の毛ふさふさ。会えた感動よりも(これが腹に入っていたの…!?)という驚きの方がでかい。
子供を見たところで、麻酔追加してウトウトさせてもらう。が、なんか「胎盤が欠けている」「欠片ないかチェックして!」という怖い声が聞こえるが、私に出来ることはないので入眠。
半覚醒の状態で、分娩室に戻る。駆けつけた夫と合流。赤子と夫と3人で写真を撮ってもらう。「よく頑張ったね、お疲れ様」と夫に頭を撫でてもらって(ああ、ようやく妊娠が終わったんだ)と感無量。
「一度産後の処置をするから、旦那さんは外に出てね。また後でもう一度会えるから」と言われて、3分程度の面会が終了。下半身で人がいろんなことをしてるっぽいが、麻酔が効いているので余裕。が、なんかザワザワしだして、先生の数が増える。
「出血が止まらない」
そのセリフと共に産褥パッド(生理用ナプキンの5倍ぐらいあるパッド)を2枚外されるが、それがあふれるほどの血液を吸ってビシャビシャに重みを持っているのが見える。え、こわ。
枕元のお医者さんが、足元のお医者さんに「バルーン入れる以外になんかある?!私なら入れる!早く処置して!」とイライラ切れている。え、こわ。
足元の若いお兄ちゃん先生が「バルーンの容量って500cc?550までいれてみよう。それでも足りない?バルーン2つ入れるなんてしたことないけど…」と喋っている。え、こわ。
後から聞いたところだと、普通だと収縮するはずの子宮が縮まないために出血が止まらなったそう。傷口を圧迫するために子宮にバルーンを入れてたが、通常であれば一つで余裕で圧迫できるはずのバルーンを2つ入れるぐらいに子宮がガバガバの状態だったらしい。
何より怖かったのが、まったく感覚がなかった下半身に徐々にしびれが戻ってきているんですよ。自分の足が開脚されている感覚が戻り、足先に痺れを感じている。しかしお医者さんは開腹したばかりの私の子宮になんかデカいものを汗かきまくりながらぶっ込んでくれている。ちょっとまって、これこのまま麻酔切れたらとんでもなく痛いんじゃないの!?
「あの、麻酔が切れてきているみたいなんですけど…」
と訴えるが誰も私の話なんて聞いていない。加えて体がガタガタ震えだす。ものすごく喉が渇く。出血による脱水だったみたいです。
お兄さん先生の携帯が何度も鳴るので、横の助産師さんが代わりに出る。
「あの、◯科の人から急ぎの確認らしいんですが…」
「今これより急ぎのことなんてないから!!」
すご~~~~い、医療ドラマみたい~~~!
ありがたいけど、え、私そんな緊急にヤバい感じ?血が止まらないと、人ってどうなるんでしたっけ??
腕にブスブスと点滴が刺される。血管が細いらしく、何度も失敗される。下半身は無痛だが上半身は有痛。すごく痛い。私、先端恐怖症で過去に注射で気を失ったことがあるぐらい注射や針が苦手なんですけど、なんかもうそんなこと言い出せない雰囲気だったので震えながら黙っていた。血液パックやなにかの点滴が両腕から追加される。
一時置かれて、バルーンの水が抜かれる。その瞬間、感覚が戻ってきた下半身から生暖かい液体がザブンと溢れ出る。これ、もしかして私の血液?
「何cc出血してる?」「もう一度バルーン入れて!」
「輸血パックまだ!?」「さっき催促の電話したんですが…」「もう一回電話して!急がせて」
先生たちの緊迫感が怖い。もうやだ、心の方が耐えられない。先生から「子宮から出血が止まらないため、子宮動脈の血を止める手術か、それでも止まらなければ子宮全摘の可能性がある」と説明を受ける。マジか、と呆然とするがとりあえず赤子が無事に産まれた後で良かった、と思う。
とにかく私に出来ることはない。全ての医療措置に同意しながら、「怖い」「麻酔して」「もう眠らせてほしい」と朦朧としながら訴える。そもそも昨夜から寝てない。ずっと陣痛と戦ってて、帝王切開の恐怖に耐え、ようやくお産が終わったところなのになんでまた怖い目にあっているのか。このあたりでだんだんと痛覚が復活してくる。「痛い!麻酔して!」と訴えるがみんな無視。
「あの!!背中に無痛分娩の麻酔ルートあるから!それ使ってください!」
痛すぎるために、具体的に真横の先生にキレたところ、「麻酔科の先生呼びましたから」と慰められる。一刻も早く頼れるマツエク先生がやってくるのを待つ。
ふと気付くと新たな先生が枕元に登場。救急の先生らしい。
「子宮動脈の血を止めるために、これから足の根元の動脈から子宮へ血を止める手術を行います。同意書書けますか?」(もっと説明してくれてたけど、詳しく施術を聞くと怖すぎて同意できなさそうだったので意識的に聞かないようにしてたので覚えてない)
ガッタガタの文字で名前を書きながら、「その手術痛いですか?」「全身麻酔してもらえますか?」と聞く。痛くはないが局所麻酔だと言われる。まだ起きてなきゃいけないのかよ。もう耳栓してくれよ。
救急に移動するため、再度バルーンを挿入。麻酔が切れて本当に痛い。
「痛い!」「もうやだ!」と叫び散らかす。が、37歳の理性(今更)から、こんなに頑張ってくれるお医者さん方に罵声を浴びせるなんて…と罪悪感が芽生える。
「すみません、騒いで…」
「いいよ!意識あるなら喋っていて!」
と逆に促される。生来のお喋りマンなので、喋っている方が楽になることもあり文句を垂れまくる。
「昨夜からずっと痛い」「怖すぎる」「寝かせてほしい、先生たちの会話が怖い」「なんでずっと麻酔してくれないの?」
存分に喋る。一人でハラハラするより話した方が腹が据わってくる。気付くと喉がからっから。お腹も空いてる。「お腹すいた」「アイス食べたい」と喋ったら、お医者さん達が笑った。あ、笑う余裕あるんだよかった。ちょっとホッとする。私に出来ることは医療を信じて耐えることだけなんだ、と気が抜ける。
救急の先生がその間に輸血をポンピング(なんか手動の空気入れみたいなので早く血を送りこんでいる?)してくれていたのだが、血液パックがブシュッと破れて血が勢いよく飛び散る。私の顔と近くの助産師さんと壁に血飛沫が飛ぶ。縁起悪すぎるから口には出さなかったけど、殺人現場みたいだった。めちゃ謝られたが「気にしないでください。痛くなきゃなんでもいいです」と答えてた。
そこで麻酔医登場!と思ったら、マツエク先生じゃない!イケメンじゃない観音坂独歩みたいなお医者さん(失礼)がやってきて、無言で麻酔を入れる。去ろうとする独歩を引き止めて、これは何分後に効く?自分で追加麻酔を押せるスイッチは何分後に使える?どのぐらいの強さ?などアキネーターばりに質問攻めにする。さすがに帝王切開時ほどの強い麻酔は入れてもらえなかったが、激痛はだいぶ緩和。追加ボタンもあるのでしばらく使える!やった~!
再度のバルーン処置が終わって、救急に移動。せーの!の掛け声でストレッチャーに移されて、点滴と輸血のバーと共に院内を爆走。医療ドラマみたい…。点滴が痛くて、バーがどこかにひっかかったり倒れたりしないかがとても心配だった。何度か壁にぶつかってたし。
救急に到着。出血箇所を特定するCTを撮影するために造影剤を点滴。腕痛い。この辺からあんま痛くないしもうヘトヘトでウトウトしている。
その後、右鼠径部から管を通して、子宮動脈の破裂箇所に止血するジェル状の粒みたいなのを入れるとのこと。怖すぎるので施術方法はよく聞かず、麻酔をちゃんとしてくれ、と言い含めて、またウトウトしてしまう。
ウトウトしている合間に手術開始。ぼんやりとした意識の端っこで、医師の何人かがセクハラ問題について雑談していたのが聞こえていた。
「あれは先生アウトになるんじゃないかな」「まあリスクは犯さないほうがいいよね」みたいな雑談だった。目は開けられなかったが、緊迫するほど私の状態が悪くないんだと思ってホッとした。この辺おぼろげとしてたので完全に夢かもしれない。
「よし、撮影します、みんな外出て~」
と声がかかって何人かの足音が遠のくとバシャン!とシャッターの音と自分の体がじわっと熱くなる。CTで撮影しながら手術しているみたいだった。撮影がある度に何度か起きたけど、だいたいはうたた寝していた。
ふと目を覚ます。喉がカラカラ。横の女の人に何時ですか、と聞くと、もう深夜の3時ですよ、と言われる。そんなに長い手術だったのか。
産科の先生がやってくる。ぼ~っとしてたら、また股に何かを突っ込まれて激痛で目が覚める。
「痛い痛い痛い!!!!!」
再び叫び散らかす。手術の麻酔は鼠径部にしか効いてないらしく、股は普通に痛い。産科医に抑えられてまたバルーンが入れらる。知ってたら麻酔追加プッシュしたのに!産科医はいつも麻酔を軽視する!!
救急のベッドからまたストレッチャーへ移動。救急の先生に「無事おわりましたよ」と声をかけてもらったので、「叫んですみませんでした…」とまた謝ったら「いやいや~男なら意識失う痛みですからね~母は強いですね~」と言われて、「意識、失いたかったです」と嘆く経産婦(37)。
今度はゆっくり目のスピードでガラガラと移動。個室のベッドに移る。時計がちょうど目の前に見えて、時間は夜3時半とかだった。産科は大部屋しか使えないって聞いてたけど、個室使わせてもらえるんだラッキーと思いながら寝る(当日は気づいていなかったが、産科ではなくICUの個室だった)。我が子の誕生日、私にとって人生で一番長い一日が終わった。
入院3日目
はっと目が覚める。時計は7時。室内は朝の光で明るい。
身動きしてみるが、いろんな管がついていて動くのが怖い。右に点滴2本。左に一本。鼠径部にでっかいチューブ。背中に麻酔。あと鼻に酸素チューブと尿道カテーテルと両足にマッサージ機みたいなやつ。特に腕の点滴が何度も失敗した挙げ句にちょうど肘の内側、腕を曲げる箇所に両方とも刺されているので曲げられない。直立不動の体制のままぼーっと時計を眺める。
と、ポコン、ポコンと体が動く。それがすごく胎動に似ていて、お腹に子はいないのに!?と、ぎょっとした。どうやらベッドの座面(?)が体を揺らすように全身ボコボコと動いている。床ずれ防止ベッドとかなのかな?
ウトウト寝落ち。体がポコポコと揺れるせいで、お腹にもう一人赤ちゃんがいてまた出産をしなきゃならないっていう夢を見る。もうやだ~と思うけど赤ちゃんのためならまた手術するしかないのか、って絶望している夢だった。
目が覚める。看護師さんが来て、今日の担当です、と挨拶をしてくれる。喉がカラカラで、水がほしいと訴えるがお医者さんのOKがないと飲めないらしい。乾燥で唇の皮がベロベロにめくれていて、それを拭いたかったけど腕が曲がらなくてできなかったのでモグモグしてどうにかした(経産婦37歳)。その後、足から採血をすると言われて何度もぶっ刺される。失敗したところにバツ印が書かれて、足の甲に油性ペンで何個もバツができた。
救急の先生がきて、昨日の手術について教えてもらう。無事止血できたかどうかはこの後にバルーンを抜いて確認するとのこと。私は「バルーンを抜く時に麻酔を追加プッシュする。麻酔が効くまで15分かかるから、バルーンを抜く15分前に教えてほしい」と訴える。(必死)
産科医の先生が数人やってくる。最大で麻酔を追加プッシュしておいた。が、普通に激痛だった。「痛い痛い痛い!」と騒ぐと先生は「大丈夫、大丈夫」と言う。ほんと産科医は痛みを根性で越えさせようとするところが嫌い!ゼエハアいいながらバルーンが抜かれると、ジャバッとなにかがあふれる。400ccぐらい血が出たが、そんな重大な量ではなかったよう。しばらく様子を見て、止血されているみたいだと言われて心のそこからホッとする。まだ予断は許さないけど、とりあえず子宮全摘回避できた。子宮をまた使う勇気があるかどうかはわからないけど、とにかくもう一度手術とか無理だったし、きっと家族は私の臓器がなくなったら悲しむと思ったから、良かったと思った。
最後にぐいっとガーゼみたいなの突っ込まれて、処置が終わる。産科の先生に「大丈夫だったでしょ?」と言われて(大丈夫じゃね~~~わ!)と思ったけど言い返す元気がなかった。その後、先生から昨日からしてもらった処置と私の体の状態について丁寧に説明してもらう。このあと体に異常がなければ夕方には産科に戻れるとのこと。
夫に私の無事を知らせてほしい、と頼むと、昨日の救急手術が終わった時点でお医者さんから連絡はしてあるとのことだった。ICUには携帯が持ち込めないので、お医者さんの電話を借りてその場で夫に電話もさせてもらった。何を喋ったんだったかな、「元気だよ…いや元気ではないけど」みたいな事を言った気がする。その後、ポコポコ動くベッドに直立不動でじっと過ごす。順番にいろんな先生がやって来た。
まず一番最初に鼠径部のチューブが外された。ビビっていたが痛くなかった。今後いろんなチューブを外されるが、刺すのはどれも痛いけど抜くのが痛いチューブはなかった。不思議。
抗生剤の追加点滴がきた。3本点滴のルートがあったけどどれも埋まっていて、追加でまた点滴ルート取られそうになったのをやめてくれと懇願。だってもう腕が紫あざだらけなんだもん!結果、生理食塩水みたいなやつがもう終わりそうだったのでそのルートを使える事になり追加針は回避できた。訴えるの大事だな…。
ようやく口を湿らせるぐらいなら飲水してもいいと言う許可が出る。氷を入れた水をストローで飲ませてもらった。感動するほど美味しかった。
助産師さんがやって来て、母乳を見ましょうと言われる。それ今ここでやるんですか!?胸をひん剥かれて乳首を捻られる。痛い。ポタポタと母乳が垂れる。帝王切開だったし、産んでから赤子と指先でしか触ってないのに、母乳でるんだ。人体って不思議だ。
夜から食事も取れると言われる。うれしい。消化器官は元気だったので、とにかく飲み物とご飯が恋しかった。
16時ごろ、産科の助産師さんがやってきて戻りましょう声をかけられた。背中の下にでっかい板を入れて、滑るようにしてストレッチャーに移動。同行してくれたICUの若い看護師さんは「私産科来るの学生以来です~」と喋っていた。産科からICU行く人少ないんだな、と思った。
産科のベッドに戻る。個室使えるかと思ったけど、普通に元の二人部屋だった。携帯を返してもらえて、夫にテレビ電話する。
夫は私に100回言われなきゃ結婚指輪をつけない人で、つけたとしても家に帰ったら即外してケースにしまう男なんだけど、自宅のソファに座る彼の指に指輪がついてるのを見て、心配かけたんだなと思った。その後実母にもテレビ電話して無事を伝える。義実家にはラインした。
赤子がココットに乗って運ばれてくる。ベッドに横たわりながら、すやすや眠る我が子を見る。産後10分ぐらいで離れていたので、産んだことが夢じゃなかったことにホッとする。デカくて丸くて、いかにも健康そうだ。うらやましい…。
助産師さんに、授乳をしろと言われて白目。腕がうまく動かせなかったけど、赤子の食欲というか吸い付き力が半端なくて、なんとか飲んでもらうことができた。
晩ごはんが来る。指には酸素メーターみたいなやつ、両腕には点滴があったが、箸でぶっさしながらモリモリ食べる。総合病院のご飯は味が薄くてぜんぜん美味しくない。ふりかけが荷物に入っているけど自分では出せないし、出してと頼むのが恥ずかしくて我慢。ずっと大汗かいていたので
自分からホームレスみたいな匂いがするのが辛かった。そのまま就寝。意外と爆睡できた。
入院4日目
美味しくない朝ごはんを食べてたら助産師さんが2名やってくる。
「歩行訓練しましょう」
マジ…??呆然とする。トイレまでの15mを往復するらしい。
足のマッサージ機を外して、いろんな管を助産師さんに支えてもらう。足の付け根が涙が出るほど痛いし、帝王切開の傷もズキズキする。背中の麻酔が効いていて、足の感覚が鈍い。2人に支えてもらいながら半泣きで立ち上がり、分速1mぐらいでトイレを往復。
トイレまで歩けた、という事で尿道カテーテルと足のマッサージ機を外される。ついでに点滴も一本針だけ残して他は外してもらう。腕が動かせるようになってかなり自由になった。トイレに歩けるか不安だと言ったら、しばらくは車椅子を出してもらえるとのこと。
その日の午後は運ばれてきた赤子に授乳。車椅子でシャンプーした後、身体中をタオルで拭ってもらって生き返った。パジャマは血まみれだったので捨ててもらった。ちなみに顔と首を拭ってもらった時に例の血飛沫がまだ残ってて、「これ血?」と首を傾げる助産師さんに「あ、それ私の血じゃないです」と凄腕の殺し屋みたいなセリフを素で言ってしまった。
夜、晩御飯が不味すぎて、1人で震える足で立ち上がり、バッグからふりかけを出した。食欲のおかげで1人立ち達成。山口の紫蘇わかめ、すごく美味しいのでおすすめです。
入院5日目
立ち上がると肺が引き攣って上手く呼吸できないな…と思っていたら、輸血と点滴のし過ぎて肺に水が貯まってしまったらしい。怖い。
分娩前日に内診した「無痛満喫してね☆」のお医者さんが顔を出す。「大変でしたね、大学病院じゃなきゃ死んでましたよ」と言われて震え上がる。この医者本当にデリカシーないな…どっかで絶対炎上するぞ。「ハハ、生き残れました」と乾いた笑いで流したら「◯◯さんの生命力だね、生命力☆(私を指差しながら)」と言いながら去って行って、なんかイラッとした。
点滴の針が痛過ぎて看護師さんに診てもらったら、漏れてるそうで刺し直し。また何度もやり直しされて泣く。あと採血と血栓防止の注射。朝っぱらからどんだけ刺すねん。
帝王切開の傷のシールを貼り替える。そちらの傷は経過順調らしい。
昼前に急にレントゲン撮ることになって車椅子で院内爆走。帰ってきたらお昼ご飯…と思いきや食べながら赤子を渡されて、伸びるうどんを眺めながら授乳。さらに翌日にMRIを受ける説明と同意書、やっぱり肺に水が溜まってるので排尿を促す点滴追加される。その間もうどんは伸び続けた。
そしてこのタイミングで、トイレに1人で行く訓練をすると助産師さんから言われる。これからトイレ頻発するのに…?延びたうどんをかっこんで、ヨロヨロ歩きでトイレに。部屋に帰ってきたら抗生剤点滴開始。さらに赤子とを母子同室開始。いきなりの激務。
ご飯食べ終わっってちょっとホッとしたら、薬のせいでトイレに行きたくなる。けど部屋に赤子だけ置くのは禁止だし、まだ抗生剤の点滴が終わっていない。
泣きながら立ち上がり、点滴棒と赤子ベッドを震える足で押しながら、ナースステーションに赤子を預けてトイレに。漏れそう。しかし点滴棒が高過ぎてトイレのドアを通過できない。尿意限界!!点滴棒を無理やり縮めて駆け込む。因みにトイレ座るのも痛いし、排尿も痛い。尊厳の為に必死。
無理やり点滴縮めたせいで、点滴が逆流して怒られる。いや、突然激務すぎるだろ!!
半泣きで赤子を再び回収してお部屋で世話。立つのに5分、座るのに5分かかる。泣かないでくれ…と天に願いながら赤子を見守っていた。
鼠蹊部の診察。血栓は出来てるけどまあ通常の範囲。1〜2週間は普通に痛いらしい。これのせいで屈めないし歩くの辛いし、階段も登れない。家でどう過ごせば……。
夜、背中の麻酔を外すためにマツエク先生がやって来る。「翌日出勤したらICUにいるって聞いてびっくりしたよ」と言われる。マツエク先生の無痛のルートのお陰で麻酔追加してもらえたし、帝王切開の傷は殆ど痛まなかったと感謝する。「大変だったね、頑張ったんだね」と言ってもらえてジーンとする。私は派手な美女に弱い。
入院6日目
朝から抗生剤点滴、レントゲン撮影のため車椅子爆走。レントゲン室は一階にあるので外の景色が見えて、雪が降ってるのが見えた。
MRIの造影剤のため、新たに点滴をブッ刺されそうになるが「今ある抗生剤のルート使えないんです!?」とゴネたら、ベテラン看護婦さんがパーツを変えてくれて追加針回避!慣れたもんですよ…。
MRI後、最後の点滴針を外してもらって、ようやく全身から全ての管がなくなる。
帰ってきたら再び赤子と同室。この日はギャン泣きで、新鮮な魚ばりにビチビチと跳ねる赤子にギブアップ。早々に助産師さんに預ける。
夜の回診で、今日のレントゲンとMRIに異常が無ければ明後日退院できると言われる。急だな!?慌てて夫と義実家(車持ち)に連絡して退院の手配を取る。
入院7日目
MRIの結果が出る。胎盤のかけらが子宮内に残る、「胎盤遺残」とのこと。あ~そういえば帝王切開のオペ中になんか言ってたねそういえば…。ね~~~~~もうやだ~~~~~!
産後2ヶ月は大量出血の可能性があると言われて白目。自然と剥がれることを期待する経過観察になって、再手術は不要とのこと。
レントゲン結果、肺の水も減少してるので問題ないとのこと。良かった!
この日からかなり顔色が良くなり、助産師さん達に驚かれる。
入院8日目
退院日!血液検査、オッケー!よーし、退院だ…と思ったら突然「血圧が高いので降圧剤を出します、経過観察いるので入院延長です」と言われる。
血圧って…新顔じゃん…。無理やり帰ることもできるけど、血圧が上がったら即再入院、その時に赤子は入院不可と言われたらもうどうしようもないじゃん…。
予想しなかった事態にまとめた荷物を再び広げながら、夜はお寿司だったのに、今夜はお七夜だったのに…と号泣する。
血圧下げるには休息しかない、と言われて開き直って、コンビニでお菓子を爆買いして食っちゃ寝。ここで突然、ものすごい頻尿になり一夜で4回トイレへ。
入院9日目
翌朝、太ももが突然軽くなり、立つのも歩くのも楽になる。体の水分が抜けて、浮腫が急激に取れた模様。肺の呼吸も完全に楽になる。微動だにしなかった体重が突然5キロ減る。どれだけ水分溜め込んでたんだ…。
特にすることもなく、赤子のほっぺを揉み続けて1日が終わる。
入院10日目(退院日)
朝の血圧をクリア!退院決定!!
限度額適用認定証をもらってなかったので、馬鹿みたいに高い費用になるだろうと思ってたら、マイナカードを保険証にしていた為に自動で適用となり、最低額の支払いで済んだ!ありがとうマイナンバー!
帰宅して、夢にまでみた待望の寿司。
震えるほどうまかった。勝利の味。
というわけで、人生初入院・初出産の記録でした。お股だけは無事でしたが、それ以外のお産の痛いことはだいたいフルコースでやったんじゃない!?
ちなみに私、健康診断オールA、視力1.5、趣味は登山とホットヨガの健康優良ミドサーです。人生って何が起こるかわかんないな〜って思いました。
ちなみになんでこんな事になったんだ、という原因ですが、「現在の医療ではまだ分からない」とのことでした。予定日超過で子供が大きかったこと、不妊治療してたこと、高齢なこと、帝王切開だったこと、胎盤が欠けていたこと、個人の体質、どれも可能性としてあるがだからと言って該当者が出血しているかというとそんなことない。
そもそも子宮動脈塞栓術も10年ぐらい前からの新しい技術で、それより前のお産だったら子宮全摘一択だったそう。ここから10年で原因究明の研究がなされると思います、というのがお医者さんの談でした。
れ、令和に総合病院で産んでよかった…。
振り返って思うのは、「死ぬかも」「子宮なくなるかも」って感じた時に「子供を無事に産んだ後で良かった」って心から思えて良かったな、ということ。一歩間違えれば「妊娠なんかするんじゃなかった」って思ってしまってもおかしくなかったけど、後悔を抱かずにいられたことは、今までの選択が私の心に背くことがなかったからだなと。
あと、無痛分娩がとやかく言われる時に「痛みを感じた方が子供が可愛い」という馬鹿みたいな論がありますが、人より多めな痛みを感じた今はっきりと言えます。痛みを感じない方が子供は可愛いに決まってます。母体の余裕が違うし、お産思い出してダウナーな気分になる事もないし。
全てのお産はもっと楽になるべきで、全ての出産後はもっと手厚く介護されるべき。産科医って「痛くても立って動いたほうが早く治る」論をお股ボロボロ新米母に言うけど、ほんとかな~休んでる方が体に良いに決まってると思うけどな~~~~。
というわけで、2年半の不妊治療、つわり地獄、お産で死にかけた私の出産は、無事かどうかは知りませんが終わりました。努力の結晶の赤子は元気いっぱいで、もうそれだけで十分だ、という気がしています。
あ、でも赤子は元気なだけでいいけど、夫には一生私に大感謝してほしいです。必死で育児してもらおう。
これ読んで「おつかれ」と思ってくれた方、もしよければぜひ献血に行っていただけたら大変うれしいです。4L失血し7Lの輸血を受けたそうで、ご恩返しに元気になったら行こう!と思ってたのに、輸血歴あるともうできないらしく…。
とりあえず、私に大感謝すべき夫には毎年献血行ってもらおうと思います。
は~~~~~~、それにしてもがんばったな~~~~~!
現代医療がなければ私は妊娠できてなかったし、妊娠したとしても出血で死んでいたのか~と思うとマジで現代に生きててラッキ~!!
お産を支えてくださった全ての医療従事者の皆様に大感謝!(でももっと麻酔つかってください)(あと利尿の点滴と歩行リハビリと点滴棒と赤子の世話を同時に開始するのはやめてください)
80億の人類を産んだ全母に、感謝とおつかれさま!!!
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