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ショパンの音楽がある場所に、自分がただいる。

今回は、いつもと違う話題です。
YouTubeで配信されている第18回ショパンコンクール。

ショパンコンクールは遠い存在すぎて見るつもりはなかったのに、Facebookで角野隼人さん推しの投稿を目にしたのをきっかけに視聴するようになり、日々時差で寝不足です。


日本人コンテスタント中心に聴いて、印象に残る演奏、気に入りの演奏はたくさんあったけれど、中でも印象的だったのは、

3次予選での角野隼人さんが演奏する「葬送行進曲」(↓下記動画38分頃)

(同じ曲の反田恭平さんの演奏はこちら(41分頃から))


演奏そのものも素晴らしかったけれど、驚いたのは何よりその表情です。

トップの演奏者さんが演奏中に何を思っているのか、以前から興味がありましたが、角野隼人さんの3次予選後のインタビュー(下記)は興味深いものでした。

回を重ねるごとに、自分の感覚として、自分が弾くというよりも、ショパンの音楽がある場所に、自分がいる、ただいる、っていう感覚にどんどんなっていて、だから、1次くらいの時はすごく緊張していたけど、緊張も全くしないし、ただそのホールの中でショパンの音楽が鳴っている喜びを感じている。ま、それは自分が弾いているんだけど、っていうその自分が無になるような感覚で、本当にその音楽に集中している、みたいな感覚を今日は味わえたので、すごく特別な経験でした。

ショパンの音楽がある場所に、自分がいる
弾いているのは自分だけれど、自分が無くなって、ただ音楽の喜びがある

私は子どもの頃からピアノを弾いてきて、成績はパッとしないながらもコンクールなどに出場していました。自分の演奏・・・自分の表現・・・常に「自分の」ばかりを意識してきました。

このインタビューを聞いて、かつて共にピアノを習い、今では世界で活躍するキーボーディストとなった幼馴染が、とあるインタビューで過去の演奏体験を振り返り、「曲の中に自分が入る」「自分が無くなっちゃう瞬間」があった、と答えていたことを思い出しました。

スピリチュアル的な表現になってしまいますが、インタビューを聞かずとも、角野隼人さんはあの場でショパンのスピリットと共にあったように感じました。


ショパンに限らず、音楽って、作曲者だけのものではないのかもしれません。

楽曲が作曲家の人生を反映しているのは当然ですが、作曲家というのは、彼らを通じて生まれたがっているたくさんの音を表現し、世に届けるパイプのような存在なのかもしれません。

これは音楽に限らず、あらゆる芸術や人生の本質にも通じる普遍的な真理なのかもしれません。


こんな大舞台で、ただ音楽の喜びとあることを経験された角野隼人さん、本選出場は逃されたものの、「おめでとう」しかありません。
心震える演奏をありがとうございました。



ショパンコンクールは本選が始まり、時差の壁で、リアルタイム視聴がますます難しくなっています。

一次予選での進藤実優さんのバラード3番(13分頃)
三次予選での小林愛実さんの24の前奏曲
などもリピートしています。


親への反発心から、ピアノなんて嫌いだと思っていた時期がありました。ピアノを弾いてきたことさえ忘れて暮らした時期もありました。しかし結局、ショパンもピアノも大好き!ということを改めて自覚した、今回のショパンコンクールでした。


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