「なんとなく」の嫌な感情を無視しない
自分の直感や、なんとなく感じた嫌なこと。
これに蓋をしないでおこうと思う。
先日、とあることに興味を持ってその体験会的なものに行ってみた。
そのことを教えてくれる方が色々話してくれるが「なんとなく」ピンと来ない。
「なんとなく」納得できない。
「なんとなく」信頼できないのである。
「なんとなく」これ以上そちら側に踏み入ってはいけない気がしていた。
一種の宗教的勧誘を受けたような感覚のような。
確かに効果があるのだろうし、私も試そうと思っているのだけれど、この人の側でやるのは「なんとなく」違うような気がした。
「なんとなく」が連呼しているが、この感覚って私はけっこう大事だと思っている。
すごく楽しかった!また行きたい!と思うときの私は、すごく心がワクワクしてフワフワした感じで帰宅するのだけれど、この日はなんだかずーんと沈んだ。
体験後はその場でアンケートを記入、その場で確認をされた。
もう嫌でも良いことを書かなければいけない雰囲気に後頭部が痛くなった。
「あ、これはあかんやつだ」
私は自分が違和感を感じたり、無理をしているときに必ずと言っていいほど後頭部に鈍痛が起こる。
数年前まで心療内科に通っていたことがあって、当時のお世話になっていた先生に聞いてみたら「拒否反応を起こしている」とのことだった。
そうだろうとは思っていたけど、答え合わせが出来てからは無理をしないようにしている。
いつもいつも出来るわけではないけど、少しでも自分が感じた違和感を無視しないように。
この日は社交辞令的に会話を済ませ、社交辞令的に「また来ます」と言って、そそくさと帰宅をした。
今後そこに行くことはないけれど、自分のやりたいことはやりたいので、自分なりに情報を探したり、信頼できそうな人をまた見つけていきたいと思う。
自分の「なんとなく」の違和感、無視しないようにしよう。