正直過ぎる行動
先日、職場の事務員さんが退職をされた。
60才を過ぎた方で勤続20年での退職。
再雇用後の退職かな?と思っていたら、退職理由は「精神的に辛い」とのことだった。
なるほど。
彼女を見ていると分からなくもない行動がたくさんあった。
自分が接したくない相手は、周りがびっくりするくらいの避け方をするのだ。
外を歩いて別の建物へ移動するとき、同じ社内の人とすれ違うときがある。
予想される行動としてはお互いに挨拶をする、もしくは挨拶をせずにそのまま通り過ぎるパターンが多いだろう。
しかし、彼女の場合は相手が数メートル先に認識した瞬間、顔を下に向け早足で道を迂回しながら通り過ぎる。
さらに夏場になると日傘を差していることが多かったので、日傘で顔を隠しながら小走りで通り過ぎる。
さらに物陰に隠れられそうな場所があれば、そこに隠れ、相手が通り過ぎるのをひたすら待ってから通る。
私も彼女から「接したくない人」認定をされていたので、はじめてこの行動を取られたときびっくりした。こんなにあからさまに避けられたことがなかったので、だいぶショックを受けた。
その後、よくよく彼女を観察してみると私以外にも同じ行動をしていることがわかった。
どういう基準で彼女の「接したくない人」になるのか?も併せて考えてみた。
逆に彼女が「接しても大丈夫な人」はどんなタイプか?
彼女が朝挨拶をする人は決まっていた。
それは私から見ると寡黙な人や自分よりちょっと下に見ていそうな人たちだった。
やっぱり、自分の中である程度の人間ヒエラルキーを作ってしまうのはしょうがないと思う。
人間だもの。
私にもあるもの。
でも、その気持ちとうまく折り合いを付けながら最低限自分ができるコミュニケーションを取るのが世間との関わり方なんだろうなと思う。
業務中も会話をしているところをほぼ見たことがない。
急に振られた仕事は全て断り、自分がすべき仕事のみをするようだ。
むしろ清々しい。
彼女の場合、嫌なこと、負の感情をそのまま相手にぶつけることでしかコミュニケーションが取れなかったのだろう。
それはコミュニケーションではなく、一方的な感情の押し付けか。
ちなみに退職する当日、誰にも挨拶をすることなく去っていったそうだ。
周りから腫れ物に触るような接し方をされていた彼女。
彼女の中では「なぜこんな人たちしかいないのか」と「精神的に辛い」状態だったのだろう。
私はなんとなく彼女の行動も理解できなくはない。
私も人とはあまり接したくないタイプなので、自分ひとりで淡々と過ごしたい。
さらに、私の職場はちょっと風変わりな個性的な人がたくさんいる。
はじめはびっくりした。
私もなるべく接したくはない人は一定数いる。
でも、やっぱり周りに助けられることもあるし、私が助けることもある。
こうやって相手との関係を築いていく中で信頼が生まれたりするし、自分の負じゃない感情が少しずつ育んでいったりする。
彼女は自分の気持ちに正直過ぎたのだろう。
「自分」を優先することは大事だけれど、そこに「相手」がある以上、私は「相手」のことも頭にいれて行動をしたい。
でも、彼女の行動も分かってしまう自分もいる。
今後、彼女が少しでも楽に生きられるように陰ながら祈りたいと思った。