■赤い花で『心を伝えたい』だけだった
💖熱量高めで
あなたを真反対の世界へお連れする💖
お手伝い心理カウンセラー・
マリチャンヌです。
わたしは現在、
心理カウンセリングを通して
心のボタンの掛け違いをゆるめてほぐし
未来を思い出すお手伝いとい
お仕事をさせていただいています。
不登校気味になっていた頃だったので
16、7歳の頃だったと思います。
新聞の折り込みに
「もうすぐ母の日」と
毎年おなじみのあのセリフが
書いてありました。
なんとなく、
ただ、なんとなく
それこそ
「ふと・・」
お母さんに、カーネーションを
あげたいなあと思ったんです。
自己満足だけど
ちょっと、世間っぽいことを
やってみたかったんですね。
だけど、その年齢の時点で
必ずしも、そういうものを
喜んでもらえないということが
「経験値」として相当あったので
『花を買う前に』そっと聞いてみたところ
「そげなもん(そんなもの)より、
山椒のほうがいいわ」
・・でした。
当時は、言語化できない気持ちが
身体中をもやついていたり
この状況自体を把握できなかったんですが
今となればよくわかります。
わたしは、
わたしの思い通りに動いて欲しかった・・
も、決して
なかったわけではありませんが
一番奥にある思いが
「通じていない」というところに
絶望的な悲しさがあったんです。
母は、根は優しい人間ですが
・・これもまた
「無条件の愛」を差し出した相手
(母の祖母)から
「してくれて当たり前」という
育てられ方をしていたそうで。
凍ってしまう人の心、それも
仕方がなかったじゃないかと、思うのです。
いっときであれ、物で満たす。
「愛を受け取るって、何?」
「ギブアンドテイクではない、
信用の仕方なんてあるの?」
幸せの定義が外向きになってしまうのは
母なりの処世術だったと、
今ならよく理解できます。
(本人とも、よく話すのですよ)
ほしい形の愛情ではなかったけど
母は、母なりの
何らかの、伝え方ではあったと思います。
今でも、しっかり育った山椒の木の前で
「これはあんたがくれたやつだよ☆」と
嬉しそうに言うのを聞くたびに
びびょーな気持ちにはなりますが
しょうがねえなあーと共に
感じるものと
丁寧にお付き合い出来るようになったことは
自分のなかでは大きな変化です。
この件で、責任転嫁しなくなったし、
自分を責めることもなくなりました。
ものわかりのいい振りもありません。
うんと時は経ちましたが、
この時のくだりは、10年くらい前
すべて母に話しました。
「悪かったねぇ・・」と
しんみり、謝られました。
でこぼこしながら
母は母と、わたしはわたしと
仲直りしていくのかもしれませんね。
好き嫌いの話、
「難しい子」と呼ばれた話が
ひっくり返った話など
メルマガにも書いています。