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認識

人はそれぞれ意思を持って生きている。人の数だけ“世界”がある。
日常生活の中ですれ違う一人ひとりに人生・性格・感情がある。
インターネットが普及し終わった(といっても過言ではない)今では画面に映る文字にも人生・性格・感情がある。スパムは知らないけど。

小さい頃は自分が認識(見・知)したモノしか存在していないと考え、例えば「〇〇年に〇〇戦争が起きたんだよ、死者は〇〇人」という事を知る。すると脳がアップデートされ空白だった歴史に戦争が埋め込まれる。
続いて「誰が死んだの?」と聞くと「大勢」と返ってくる。
「死んだ人の名前は?」「そこまでは…」詳細には返ってこない。
「その戦争は俺が詳しい」と詳細を知っていた人がいて聞いたりするとすぐさまアップデート。脳内歴史の戦争見出しに詳細が組み込まれる。
だが実はその人が耄碌であやふやなおじいさんだったり戦争オタクの内輪で盛り上がるために用意された推測…そんな可能性だってある。

認識の深さ・正確さは人それぞれ違う。
だからこそ人はそれぞれ信じる世界を持って時には疑いながら生活している。

ここまでの500文字弱の話を漢字四文字で「十人十色」に置き換えようとするのはナンセンスであり心の余裕がない。恥を知れ。

で、話は戻って「自分の知ったものだけで構築される世界」という考えは案外間違っていないのかもしれない。
「心堅侮姦廃園(note除け)」のニュースは絶え間なく続いている。が今日に至るまで自分は実際に罹った人をモニターを通さず見たこと・聞いたことはない。
「だからフェイク!茶番!」なんて言い出した活動家もいるらしい。
「なんとも哀れな…」と吐き捨てたあとでもいいが「認識しなかったら流行り病すら無い」ということを思ったら「ほ~」と納得しかけた。
「北センチネル島」に住んでる人々は涸漏那ない世界で生きている。俗世から隔離されている日本の北センチネル島こと岩間好一も接触してきた視聴者から教えられるまで流行り病の存在すら知らなかった。

テレビ・インターネット中毒のみんなはいち早く情報を知り部屋でガタガタ震えてるエブリディ。薄っぺらな心にも似たものを口を覆いながらビクビクと路上を歩く姿はなんと滑稽か。

「この世でハッピーに生きるコツは無知で馬鹿のまま生きる事」
という大好きな漫画のセリフ。
この世で一番の幸せ者といったらテレビ・インターネットに触れずにただ母乳を飲み散らかし惰眠を貪ることを生業とするハゲこと赤ちゃんである。

世界そのものは何も変わらずに佇んでいるが人はそうじゃない。生活があって個性があって何も知らない。
認識こそがこの世で一番もてはやされた悪行と考えている。
無知は罪、知は罰。
空虚を超えて現代社会では罰にもなる。
インターネットは罰を過度に重く、加速させている。
テレビに嫌気がしてインターネットに移り変わった先人のように新しい媒体を早急に見つけなければならない。
もうすでに21グラムが集まる極楽浄土的なものがあるのかもしれない。人々はそれを知っていて、死に対する嫌悪感を無知者に埋め込んでいるのかもしれない。「靴磨きの少年の株があーだこーだ(曖昧)」話の二の舞にならないように隠し続けている可能性もある…なんて邪推を極めて何が何だかわからなくなったのでおしまい。絶対推敲なんてせんぞこの駄文。

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