ここでひとりシエスタを_001
映画館で働くということ
映画館でアルバイトをすることにずっと憧れていました。社会人になって、会社員として仕事をしている今も、週末に劇場へ足を運ぶたびに自分がスタッフとして働く姿を思い浮かべたりしたりしちゃう。
例えばわたしが念願の映画館のスタッフになったとして、まずやりたいことは「チケットのもぎり係」なのです。高校生のとき、チケットをちぎるのが下手くそなスタッフの方に何故かよく当たっていた。「わたしならもっときれいに切り取って渡したいの」と思うことが多かったからなのか、自然とチケット係への憧れが募っていたのかもしれない。だけど、最近は大きな映画館ではバーコードのついたレシートタイプだったり、なんだか進化を遂げてしまって入場時はスマートな「見せるだけスタイル」になってしまっている。ちょっと寂しい。つまりは、わたしが働く場合は切り取り文化を残している劇場を選ばないといけないのです。
次は映写室。もちろん映写技師というカッコイイ肩書きでフィルムをセットしたい気持ちだってある。「ご職業はなんですか?」「映写技師をやっております」うん、イケてる。だけど、今どきは装置も進化していて、映写技師でなくともできるらしいし、実はわたしはそれでいい。技術面への憧れというよりも、小さな窓から「わたしが映画を上映しているんだ」という優越感がとっても魅力的。後ろの壁、上の方にあるあの小さな窓。そこから覗く自分の顔を想像するのは楽しい。それにしても映写室っていうところは、一体どんなところなのでしょう。映画館に何度足を運ぼうと、客であるわたしは観ることのないところで、未知の空間。自分なりにカスタマイズした「MY映写室」ってのも夢があるなぁ。好きな映画のポスターは壁に、お気に入りのステッカーは映写機にベタベタと貼ってさ。棚には映画の感想ノートを敷き詰めて、すきな人たちをこっそり招待するの。映写室という秘密基地。
そして映画館スタッフとしての誇りをもって、手書きのレコメンドカードを作成したい。わたしが行く小さな映画館にも上映予定作品の手書き紹介カードが貼られている。それを読んでは、自分も情熱を注いで書いてみたいと想いを馳せています。常連の映画フリークたちに一目置かれる存在になるのが目標です。
最後には上映が終了したお気に入り作品のポスターを頂いて帰りたい。なんとも厚かましい願いだけれど、これはずっと夢見てきたことなのです(本当に貰えるのかは知りませんが)。わたしが映画館スタッフになりたいって思ったキッカケは、きっとこれだったと思う。
あとは、「わたし映画館で働いているんです」って言いたかった。それでパーフェクト!
君の名前で僕を呼んで
この映画を観て家に帰ると、友人から手紙が届いていました。最後の方に「君の名前で僕を呼んでを観るのが楽しみ」と書いてあって流石だなぁと感心した。というのも、彼女からの手紙が届くタイミングはいつだって素晴らしいから。きっとなにか特別な才能があるはずっと思わずにはいられない、自慢のペンパルのひとり。
映画は淡々と観てしまったけれど、ラストシーンの余韻はしばらく続きました。なんだか美しかったの。わたしがこの映画を観て何が良かったのか。それは素敵なもので画面が埋め尽くされていたところ。主人公エリオ役のティモシー・シャラメだとか、夏の北イタリアのロケーションの美しさ、音楽の心地よさ、どのイメージも満足できちゃう。青々とした緑と、その間から漏れる夏の強い光は穏やかで。その影の下で過ごす彼らの爽やかなこと。サントラは、紙が散らばる小さなわたしの部屋をも繊細に見せてくれて、お気に入りでよく聴いています。そう、ストーリーよりも素材ひとつひとつにときめいて、まんまとファッション映画としてしまったのです。この映画を好いている方々、どうぞお許しください。だって、映画館を後にしてはじめに思ってしまったのは「ラコステのポロシャツ欲しくなっちゃったな」だったのですから。後日友人とLINEで散々感想を言い合ったハイライトも「私だってラコステのポロシャツ(もしくは、Talking HeadsのTシャツ)を着て北イタリアの夏を過ごしたい」に。
キレイなものを見せ続けられ、自分自身の心も洗われたはずなのに、結局お洋服を真似したいという憧れで締めくくってしまうこの適当な感性で四半世紀以上生きてきて、これからもこうやって映画を観続けることでしょう。
marica.
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