長文か短文か というときのABZ理論
「長文が読めることは、もはや才能になってしまった」
と言ったのはちきりん氏ですが、自分がかなりの長文派だということに深く悩みながら本日も書いています。
スマホで読むなら特に、長文は読めない、という発言を、あちらこちらで目にするようになりました。
スマホで長文は読めない、というのは実感は自分の中にもちゃんとあって、
手もビリビリするし、目も痛いし、身体的に疲れるし、
Twitterみたいなものを流して読むのに向いている、圧倒的情報量をこなすための道具だと感じるし、
それが、スマホを使う周辺にある、ということは、体感として私も知っています。
ただ、知ってはいるものの、長文体質をなかなか変えられず、短文がいい、と見るたびに凹むわけなんです。わかっていても凹む。
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長文と短文、のように、真っ向から対立するものの、どちらがいいか?という問題が提起されたとき・・・・
Aがいいか、(逆の)Bがいいのか
右がいいのか、左がいいのか
黒がいいのか、白がいいのか
そういう論争になっている時って、
だいたい答えは「グレーもあるじゃん」っていう1つ上の次元みたいな回答が、円満に収まる回答だと感じています。
A⇔Bのとき、別次元の「Z」な回答が飛んでくる。
悩んでいる時って、大体 AかBか論にはまっているわけなんですが、
結局、長文か、短文かっていう時、どちらかが回答ということは、ないんですよね。
どっちでもいいし、どちらでもない。答えはそこではない。
答えに繋がる道は、一つ上の次元、Zにある。
私はこれをABZ理論って思っています。迷ったらZ。Z、Z、Z。Zを探せ。
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短文を目指しつつも、好きな物ほど、書けば書くほど、長く、強烈に、公害レベルに長くなっていくのがどうにも止まらなくて、それを、友人に愚痴って聞いてもらいました。
ページがめくれるような仕組みだったら、スマホでも読みやすいっていう、仕組みの問題もあるけどね…、
と友人は断った後、
「面白いなら読むよね」とのことでした。
「好きな人の文章で、面白いと、気が付いたら全文読んでたりするけどね。」
大変、正統派なZが飛んできました。
そりゃそうだ。私もそう思う。
次の一文が読みたくなる。すると、長文でも読んでしまう。
短文を書くことより、次の一文を面白く読ませることについて、悩んでみたらどうですかということですよね。
はげみます。
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