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珍しく、だめな自分を許せなかったのかもしれない

「多分、想像だけど、星が綺麗な気がする」って思い立って、出かける前の夜に荷物の中に三脚を入れていた。
いざ到着するとうっすら曇っていて、部屋から見える星は少なくて、見えないかなあ……ってちょっと諦めモードではあったけれど。

23時半からいそいそと外に出る。ちょっと見てみるだけ、30分だけ、って思いながら。

入り口の坂をくだると街灯がなくなり、たった数分で闇に変わる。見上げてみると、想像以上の星空。
それほど広角じゃないけれど、お借りしてからずっとつけっぱなしにするぐらいお気に入りの35mm。きっとこの子なら大丈夫。だって、使っていてほんとに気持ちがいいから。

タイマーを10秒、F値2.8ぐらいからかな、ISOどれぐらいだったっけ……って試してみる。
シャッターが切れるのを待つ間、空を見上げて伸びをする。不意に思い出すのはあの夜のこと。

「美しい」と思った光景すら満足に残すことができないのに、自分の写真に価値なんてない。だから、撮らない。

ずっとそう思っていた。それが1年でがらりと変わるのだから不思議なものだ。

*

2019年11月末、オンラインコミュニティ「#旅と写真と文章と」(略して、旅しゃぶ)のメンバーで星空を撮りに1泊で出かけたことがあった。

海が見たい、と思うだけで出かけたくなる夏とは全然違う秋、いや、もはや冬。
苦手な冬の訪れに、毎年恒例の「気が滅入る」真っ只中だった私は、少しでも気分を変えたくて軽い気持ちで参加した覚えがある。

当時使っていたのはCanonのミラーレス。SNSでよく見るようなボケが綺麗らしい単焦点レンズ、それからもう一本ズームレンズがセットになったもの。「型落ちで安いし、とりあえず始めたいならこれでいいんじゃない?」とすすめられるまま数年前に買ったもの。
(個人的にはほんとにおすすめしない、この買い方)

そんなだから、と言うのはただの言い訳だけど、ろくすっぽ調べることもなく、とりあえず撮るだけ、とりあえず記録に残すだけ、でしかなかった。
美しい、と思う景色やカフェで写真を撮っても、帰って見返すと全然テンションが上がらない。あんなにときめいたのに。“一生覚えておきたい”とさえ思った景色だったのにうまく撮れた試しがない。残しておきたい写真なんてなくて。
「センスがないから」と写真を撮ることをきっぱりと諦めていた。

それが、いきなり写真が好きな人たちの中に混ざって「星空を撮りに行こう」というのだから、いくら軽い気持ちだといっても、ジャンガリアンハムスターよりも軽い。軽すぎる。
そんな軽い気持ちが生み出した自分のぽんこつっぷりといったら……。
*
前もって「今持ってるカメラだとうまく撮れないから、このあたりから使うといいよ」と丁寧にいくつか教えてもらった中から、レンズとマウントアダプターをレンタルしてあった。数字とアルファベットの羅列は呪文にしか見えなかったのだけれど。

当日、カメラの準備を始める。マウントアダプターをカメラにつける。そうか、こんなものがあるんだなあ……、とレンズをつけようとする。ハマらない。くるくる回してみる、ハマらない。
借りていたのは、Nikon用のレンズ。当たり前のことだけど、Canonだと使えないのだ。(せっかくの20mmF値1.4……もう一度試してみたい、きっと空が広い。)

とりあえず、発覚した時の絶望感ったらない。
有名なメーカー名すらも区別できなくて、マウントなんて言葉初めましてだし。
周りを見渡すと、よく分からないけどみんなすごいカメラ使ってるし、設定もスムーズに進めている。場違いじゃない……?もうおうち帰る……?って年甲斐もない発想が浮かぶ。

ぶわっと溢れ出てくる情けなさと惨めさと。
何しにここまで来たんだろう。うっかり星空が撮れるかも、なんて思ったのに。やっぱり写真は携帯ぐらいでいいんだ、なんて目頭がじんわり熱くなったりして。

でも、旅しゃぶメンバーの優しさと「好き」の強さは、ただただすごかった。

「大丈夫!撮れるよ!一緒にやろう!」

呆気にとられてる間に必要な機材をほとんど貸してもらって(説明書見ながら組み立てようと雲台って何?これは何のパーツ?って迷ってる間にほとんどお任せすることに)カメラの設定もあっという間に終わる。

外に出てみると、あいにく雲が多い。山の夜は冷えて、雲が切れるまでの待ち時間は寒さでさらに長く感じる。

でも、あれだけ沈んでいた気持ちは少しずつ晴れて、いつのまにかじんわりと幸せだなって思っていた。

「雲切れろ」って祈ってた時間も、設定分かんないってそれぞれ話しながらが調整してた時間も、綺麗に撮れた人のカメラに集まってにこにこしてた姿も、「まだ粘る!」って夜更かしのお供にマシュマロを焼きながら暖をとったことも。

どれも、今でも鮮明によみがえる。
今なら星空撮影用の機材を貸してもらえたのが、どれだけ幸運だったか分かる。
それに「できた!撮れた!」って本気ではしゃげることも、楽しさを共有できる優しさ溢れる大人たちに出会えたことがどれだけ貴重だったのか、も。

*
すごく嬉しかったし、楽しかった、のだけど。
とはいえ、準備が不十分だったし、「センスがないから」って言えば終わると諦めていたりしたことも、何も知らなかったことが恥ずかしくて悔しくて。

長い時間待ったから、
雲が切れて星が顔を覗かせた。
何枚も撮ったから、
ピントが合った写真が撮れた。
同じ場所で撮った他の人の写真を見たから、
「撮れるんだ」と思えた。

ちょっとずつ試してみる。
そう決意した機会でもあった。

もし、
「正しく」レンズを借りられていたら、今頃はどうなっていたんだろう。
多分、「楽しかった」は覚えていると思う。でも、こんなに強烈な思い出として残ってるだろうか。

諦めかけて絶対に無理だと思っていた「とりあえず」のカメラには星空がちゃんと写っている。
今でもその時の写真を見ると、自分に対して「このぽんこつめっ」って思う。でも、あたたかい気持ちになって、初心を思い出すとても大事な1枚。

*

30分だけ、は気づいたら1時間が経っていた。
もうたくさん待つのも、設定を失敗するのも、何度も試すのも平気。だって、あの夜の記憶が支えてくれる。

今だって、私の写真に価値なんてない。
100枚撮っても200枚撮っても、見返したときに「好きかもしれない」って思うのはほんの数枚。

同じ場所を撮った他の人の写真を見て、「なぜこんなに違う……!」って視点の違いに感銘を受けたり、気づかなかった自分に凹むことも山ほどある。


でも、本当に少しづつ。

この色味、愛しい。この画角が好きかもしれない。F値撮り比べたい。設定間違えてくらげ全部真っ黒になっちゃった。背面液晶じゃなくてファインダー覗くの好きかも。この場面なら設定どうする?……


戻って、繰り返して、を繰り返しながらちょっとずつ重ねてきた。
誰に評価されなくても、自分が「撮りたいと思った」ことは消えない。それでいいんじゃないかな、なんて。

いつのまにか雲はすっかり消えて、流れ星が見えた。
明日もいいお天気になるらしい。

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maria
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