海原の月
何の仕事を選ぶかうんぬん…でぐるぐるしてる今日この頃。
仕事どころじゃなく、何が幸せなんだろうか?なんて漠然としたことを考えている。
叶ったら楽しいだろうなあ、とぼんやり考えることはたくさんあって、数年前に手帳に書いていたことと不思議と変わっていない。
横浜に住んで毎日野球が観られたら…
大好きな場所を含めて多拠点で生活できたら…
ちょっとぶっとぶかも知れないけど、ハワイやバリでヨガインストラクターが出来たら…
ふと、ここで思考が止まる。
それが叶ったら……幸せなの?本当に?
あんなに「わくわくすること」を考えていたはずなのに、なぜかちっともわくわくしてこない。
今の生活が変わること、一歩踏み出すことが怖くて、動けなくなっている。
選んで動く勇気もないくせに、知らないうちに疲れてきてしまった。
かといって、現状がいいと思っている訳でもない。もう我ながらややこしいなあ。
「目の前のことを楽しむこと、自分でやりがいを見つけることは才能だよ」
事あるたびにこの言葉を思い出して、その度に、本当に才能がないんだなあ、って打ちひしがれている。
もっと毎日笑っていられたらいいのにって、昔からどれほど願ってきただろう。
その度に、笑うことから遠ざかって、表情を手放して、人といるのもつらくなって一歩下がって、勝手に苦しむ才能だけが開花していった。そのうちに、どんどんつらくなって、もやもやした負の感情の重さに耐えられなくなって何度も泣いた。
何で私は私なんだろう、他の人だったら良かったのにな、って。
きっと自分で自分を受け入れられなくて、選択1つにしても自信がない。これでいいよ、楽しいよって思い込もうとしてきたけど、望む結果や感情に手が届かなくて、正解か分からなくて確証が持てない。その繰り返しでどこまでも不安を背負ってきた。
多分不安とさようならするために、今、本当に必要なのは理想の暮らし方や夢よりも、安心感や希望なんじゃないか。手に届くぐらい近くにいるあたたかさ。一度手にしたら離したくなくなるような春の陽だまりの様な。
幸せ、なんて漠然とした物を目指しているからどこまでも欲張ってしまって、どこまでも底がなくて、どこまでも深く潜って、溺れて沈んでしまう。
「あったかくて、ときにはじんわりとした」
日常にも、文章にも、そんな感覚を求めたいと最近気づいた。沈みそうになっている自分に見えるぼんやりとした光だとどこかで分かっているからなのかもしれない。
幸せを求めて沈むなんてまさに今だな、なんて笑っちゃうけど、きっと数段飛ばしで前に進もうとしているのは確かだ。
「これさえ変わればきっと人生は素敵なものになる」「明日起きたら理想の自分になっている」「これが叶ったら、きっと毎日が楽しい」
そんなシンデレラストーリー直行の切符はあいにく持ち合わせていない。平々凡々が私だとそろそろ認めよう。
ついつい欲張ってしまう。
きらきらした毎日は永遠に続いてほしいと願ってしまう。
でも、そんなことはないんだ。
同じように辛い事も永遠じゃない。毎日陽だまりを見つけながら歩いていくしかないし、それが遠回りの様で一番近道だと信じたい。
「何だ、思ったほど幸せって怖くなかったね」そう言えるようにこれからも歩くしかないのだ。
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