わたしとお酒とおかえり

わたしはまもなく29歳。
酒飲み歴はもうすぐ10年目。
酒飲みとしての私は
社会人で言うと若手くらい。
落語家で言うと二ツ目くらい?

…ただお酒を飲んでいるだけなんだから、
偉そうに誇ることではもないんだけれども。

そんなお酒とともにあったわたしの20代史を振り返ると、好きなお酒も一緒に飲むのが心地よい人も、場所も飲み方も確実に変わっていった。

ひとつずつ振り返っていきたい。


20歳とモヒート

大学生の頃、わたしは厳しめの女子寮に住んでいた。

敬虔なシスターである寮母さんの近くの共同の食堂で、お酒を飲むのは良い顔されずで、何となくバツが悪かったので、部屋にいそいそ缶ものを運んで飲んでいた。

ある日タダ酒目当てに一度だけ相席居酒屋に行って、たまたま上司に連れられてきたという男の人と飲んだ。

門限ギリギリで酔っていたからシスターは怒り気味で「…おかえりなさい」と言った。

好きなお酒はモヒートと言っていた。

カルーアミルクやカシスオレンジを頼むより何だか背伸びして大人に見える気がしたのだ。今でもモヒートは好きだが、なぜ大人の味だと思ったかは今のわたしには謎である。

20歳、居心地はそこそこ、でもしあわせだった。


22歳と白ワイン

それから、人生で初めて男の人と付き合った。
一回り以上離れた社会人の彼だった。

田舎から出てきたお酒好きな女の子だったわたしは東京の「しゃんとした」レストランやオーセンティックバーの美味しいお酒を知った。

好きなお酒はフルーティーな白ワイン。

彼の家に行く回数が増えるたび「いらっしゃい」が「おかえり」になった。

22歳、うかれてしあわせだった。


24歳と日本酒

お酒にはまり過ぎて、自他ともに大学卒業を危ぶみ周囲をハラハラさせながら、なんとか社会人生活をスタートさせた。

西の暖かい風育ちののんびり屋のわたしが、社会人デビューの場として降り立ったのは、ひょんなことから一年のうち半分は寒い雪国だった。

知り合いは誰もいなかった。

米所で酒造天国なのがわたしにとっての唯一の救いだった。

日常の楽しみは、退勤後のビール、週末のご褒美は家にストックしたお高めの四合瓶の日本酒をすこーしずつ飲むこと。

一人暮らしの冷たい部屋には「おかえり」がなかった。

24歳、しんどかった。


26歳とシャンパン

新卒就職先での「とりあえず三年神話」を、へんなプライドで守り抜き、東京へ戻った。

いくつか仕事を掛け持ちして食い繋ぐ中で、ラウンジのホステスを2年ほど経験させてもらった。

22歳の頃感動したお店たちより、もっとお高いお寿司屋さんやワインバーにも連れて行っていだいたはずだけど、申し訳ないほどに、お酒の味はほとんど覚えていない。

そんなに強くもないのに、お店でワインボトルを2本開けていただいて、不器用なわたしはほぼ一人で飲んで潰れていた。

好きなお酒は「シュワシュワする…アレが飲みたいなぁ」と言っていた。

潰れた夜、やぶれかぶれに自宅のインターホンを押すと、同棲していた彼がため息混じりに「…とりあえずおかえり」と言ってくれた。

26歳、必死だった。


28歳と晩酌

アラサーと呼ばれるようになる頃、ようやくわたしは少しだけ、大人になった。

飲みたい時に、飲みたい人と、飲みたいものを、飲みたいペースで飲む幸せが、お酒の一番の幸せだという当たり前のことに、気づけるくらいには成長した。

そして、20歳で相席居酒屋で出会い、22歳のわたしに美味しいお酒の味を教えてくれ、24歳のわたしに東京から会いに通って一緒にご褒美日本酒を飲んでくれ、26歳の飲み過ぎたわたしを呆れながら介抱してくれた彼は今、夫婦の晩酌の時間を一緒に楽しんでくれている。

わたしの中のお酒の存在も変わったが、それ以上に、彼の存在はわたしの中で確実に変わり、ついに家族になった。

酒飲み夫婦には好きなお酒が多すぎる。
一緒に酒屋からるんるん帰ってきて「ただいま」「おかえり」「おかえり」「ただいま」と言い合う。

28歳、おだやかにしあわせだ。


酒飲み史の行方

20代ラストイヤー29歳。
わたしはどんなことに「ここで飲むしあわせ」を感じ、どんな「おかえり」を経験するのだろうか。

そんなことを考えながら、ほろ酔いでこの文章を書いている。
それが、今日の「ここで飲むしあわせ」。

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