教師を辞めようかと思ってる
教師という仕事を始めて9年目になる。
最初の3年間、正教員の時代は、毎月100時間残業に、慣れない土地、自分の実力への自分の無さから、割と毎日辞めたい朝が怖いと泣いていた。
そんなに嫌だった学校なはずなのに、転職先に選んだのもまた学校だった。謎すぎる。
そこから朝教員して夜大学院に行って深夜ラウンジ嬢をするなんていう文字にしたって無理すぎる生活をなんと2年くらいした。その間、ダンス公演の主催・振り付け者までやった。
メンタル倒れた。当然だ。
そんな無茶をしながら何とか教員も続行・大学院は卒業・資格取得・ラウンジも大学院費を無事賄い卒業・ダンス公演も成功となったのは、周りの人のおかげと壊れまくりながらも耐えてくれた胃腸のおかげである。
その後、私はまた現在まで続く三足の草鞋生活を始めた。6年目になる非常勤A校、3年目になる非常勤B校、4年目になる学童保育である。
ここまで子どもに関わる仕事をしていたら、私が
「生涯教育命!子ども大好き!学校LOVE!」
に見えるかもしれない。
たまに書く履歴書の経歴を見ても自分の歩んできた道と自分のキャラクターに乖離を感じて面白くなってしまう。
そんな私が何故今教師を辞めたいのか。
理由はたくさんある。
ただ、教師はやりがいが魅力と言われる職の中で私のモチベーションの火が消えてしまいかけていること。これが一番大きい。
教師を名乗る限りはプロでありたかった。
授業に対して熱心でありたかったし、子どもに対して真摯でありたかったし、子どもたちと答えの出ない哲学的・実存的問いを追い求める過程が好きだった。
でも、今それが消えかけている。
これは仕事始めたての頃の辞めたい、とは異質のものだ。色んな経験をしてその上で一度区切りをつけたいと思ったのだ。
原因は色々だ。この先将来を見据えてこのトリプルワークの働き方は現実的でないし、持病にも良くない。非正規雇用という不安定な働き方、扱いをこれからも続けることへの不安。
長年勤め続けた学校からの仕打ち。
子どもも欲しい。と言った生活面。
家族の死や色んな人生経験を通して感じたさまざまな矛盾や葛藤により、道徳・倫理・宗教を素直に探究したい気持ちが薄れ、考えるほどに辛くなる心情面。
私は思ってないことは言いたくない。
なぜならそれをすれば「綺麗な言葉」が「綺麗事」になるからだ。
自分の口から出る薄っぺらく感じる言葉たちが、熱を感じない発言が、嫌で、もう潮時かなと思うのだ。
勿論、辞めるのは怖い。
社会人生活において公式には学校教員と学童指導員しかしたことがない。(非公式にはコンカフェ嬢とラウンジホステス。振り幅。)
教師はもはや私のアイデンティティの多くを占めている。
それがぽっかりと空くのが、怖い。
この思いを、教師からの逃げではなく、新たな挑戦という形に色を変えてくれそうなのが、公認心理師の切符だ。
新しいフィールドでまた違う角度で、生死に向き合いたいと思う。
ただ、辞めると言っても、引退とか卒業とかという言葉は使いたくない。
アイドル風に言うなら無期限活動休止、これが一番しっくりくる表現だ。
私が現役教師でいられる時間はあと少し。
できる限りの時間を悔いのないように生きていきたい。