修士論文要旨

この文章は、筆者の2018年度修士論文の要旨です。全文はこちらから読めますので、よかったらご覧ください。

https://digital-archives.sophia.ac.jp/repository/view/repository/20183302830


子どもの生と死への問いと学校教育
~中学校「生と死の道徳授業」実践からの考察~ 論文要旨
 
 本論文は、青年期前期にあたる中学生が生と死についてどのような問いと思いを抱いているか、その問いに学校教育ではどのように関わることができるのかを考察したものである。「いのちの教育」「生と死の教育」の分野に関しては、昨今道徳の教科化が始動し「考え、議論する」道徳を実現するための具体的な教育転換が求められており、生と死の両面を子どもたちに主体的に考えさせる教育が必要であるという時代背景が存在する。しかし、先行研究では子供たちが生と死に関してどのような認識をいだいているか、どのような授業が効果的であるかという授業開発の研究はあるものの、子どもたちが抱えている生と死への問いおよび思いに学校教育がどのように関わるかという研究は見られなかった。子どもたちに生と死を主体的に考えさせるためにはまず、彼らの中に既に存在する生と死に関する考え・問い・声を明らかにし、それに基づいて教師がともに考えを深める姿勢を提示することが必要なのではないか。これが本論文の背景である。
 本論文の目的は、主に三つである。
①中学生を対象とした生と死をテーマにした授業の生徒の感想が書かれたワークシートを主な資料として、中学生の子どもたちが「生きること」「死ぬこと」についてどのような考え思いや問いを抱いているかについて明らかにすること。
②中学生が生と死を考える時に出てくる、自己の存在への問いや思い・苦しみ・訴えはどのようなものであるかを考察すること。
③①②の子どもたちの思いに対して学校教育ではどのようなかかわりが可能であるか検討すること。
以上の三点を通して、生徒自身がもつ問いに根差した教員のかかわりを考察することで、生と死を見つめた「いのち」の道徳授業の指導について示唆を与えることが期待できると考える。また、友人や家族との人間関係で困難が生じたときや自分の存在について内省するようなときにおのずと湧き上がってくる自己の存在への問いについて記述することで、子どもたちのスピリチュアリティに対する理解を深めることができると考える。
 第1章では、生と死の教育に関する先行研究の知見に対する考察を述べた。生と死を扱う教育による心理的悪影響の懸念がこの教育の課題であった。しかし、カリキュラム整備を行い授業を行う上での準備や調査をしっかりと行うこと、語り伝える相手の心理的、物理的状況へ十分配慮し場面設定とタイミングを見計らうことで、授業における心理的悪影響を避けることが出来ることが明らかとなった。生と死について子ども達自身が考えたいこと、気になっていることを発端として授業を進め、子どもたちの日常の疑問を引き出して自分なりに言葉にすることを目指す授業を展開によってこの教育の課題を解決できるという考察を得た。
 第2章では青年期の生と死の問いについての先行研究を考察した。青年期の生と死の問いには「生への問い」として「誕生の問い」「生の意味への問い」があり、「死への問い」として「死の意味への問い―なぜ人は死ぬのか」「死の自己決定権への問い―なぜ人は死んではいけないのか」「死後への問い―人は死んだらどうなるのか」が存在することが分かった。そして、子どもたちの生と死への問いを引き出す授業のためには、「生徒たち自身が主役となって考えていくことを促すこと」「教師がファシリテーターとして授業を先導すること」「オープン・エンドの方式をとっていること」が有効であることが明らかになった。
 第3章では、第1章第2章での考察を踏まえて、今回の調査のために筆者が行った授業の概要について述べた。
 第4章では、今回の調査で生徒たちから回収したワークシートの内容を分析、分類した結果をまとめた。その結果、子どもたちの生と死への問いは「目的、方向性」「生の価値」「存在根拠」「死と価値」「究極の意味」「生き続ける理由」「生まれた理由」「死後の生」「死の不確実さ」「死を前にした時の感情」の10項目に分類された。
 第5章では、今回の調査で明らかとなった青年期前期の子どもたちの生と死への問いと思いについて考察を述べた。その結果明らかになったことは、二点ある。一点目は青年たちの生と死についての記述は、生を大切に全うしようと指向する表現と生と死の問題を軽視するような表現の両方を含んでおり矛盾しているように見えるが、それらは「現実の生きづらさ」の中でなお「生きたい」という思いの表れであるということである。すなわち、「生への問いかけ」や「死への問いかけ」は彼らの「生きたい」という思いの表れでもあるのであるということが考察として得られた。そして、二点目としてそれぞれが生と死に対する複雑な思いを抱きながらも、青年たちが生と死に対してとる態度には四つの異なる態度があることが明らかになった。その態度とは「受け止めようとする態度」「考えないようにする態度」「異常に悩み考える態度」「生と死の問題は自分には存在しないとする態度」であった。
 本論文で明らかになったことは、四つある。
一つ目は青年たちの生と死の問いを10項目に分類できたことである。
二つ目は、生と死への態度には、「受け止めようとする態度」「考えないようにする態度」「異常に悩み考える態度」「生と死の問題は自分には存在しないとする態度」があり、これらは愛着形成ともかかわりがあるのではないかという示唆を与えたということである。
三つ目は生と死について考え、どのような問いがあるか向き合うと、現実と欲求のジレンマによる矛盾した思いが見られ、生きづらさや怒り、訴えや叫びといった子どもたちの思いが引き出されたが、それらの「生への問いかけ」や「死への問いかけ」は彼らの「生きたい」という思いの表れでもあるという考察を提示したことである。
これらの思いに学校教育ではどのようなかかわりが可能であるか検討することが当初の目的の一つではあったが、この授業の先のフィードバックやケアまで今回の研究で言及することは出来なかった。しかし、青年たちが日ごろ言葉にせずに抱えていた生と死への思いを、言語化して表現し思いを引き出し自分自身の思いに気づかせることが授業を通してできたことも彼らへのかかわりの一つではないだろうか。
結論として、子どもたちの生と死への切実な思いや胸の内に耳を傾ける姿勢を持ち続けて教育にあたり、子どもたちの苦しみや葛藤の中にある彼らのニーズを見出し気づかせることが必要なのではないかと述べた。そうしてはじめて、結果的に、「考え、議論する道徳」や「生きる力」を養う教育が可能となるのだと述べて、本論文をまとめた。

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