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40年来通い続けている焼き鳥屋


40年来、通い続けている焼き鳥屋があります。路地裏にひっそりと佇み、看板も暖簾もなし。ネットにも情報は載っていませんが、そこには昭和の面影が残る、どこか懐かしい時間が流れています。創業から半世紀を超え、入店できるのは紹介者のみ。カウンター7席ほどの小さな空間には、炭の静かな香りと、鶏が焼けるかすかなか音だけが漂います。

焼き鳥は、素材の持つ純粋なポテンシャルと、火入れの技にすべてがかかっています。「タレはごまかせるが、塩はごまかせない」。店主がそう語るように、塩で仕上げた串には一切の誤魔化しが効きません。使うのは信頼する生産者から届く朝締めの鶏。温度管理、下処理、串打ち、すべてに妥協はなく、火入れには最高級の紀州備長炭を使い、じっくりと遠赤外線で旨味を引き出しながら焼き上げます。そして仕上げに振るのは、フランス・ゲランド地方で生産される天日塩。この塩が、鶏の持つ繊細な旨みを際立たせ、脂の甘みを引き出します。

今夜、その焼き鳥と向き合うグラスに注がれたのは、パスカル・マンシン キュヴェ・プレステージです。品種構成は、シャルドネ80%、ピノ・ノワール20%。グラスに注ぐと、きめ細やかな泡が静かに立ち上り、柑橘の爽やかな香りとほのかなブリオッシュのニュアンスが広がります。ひと口含むと、シチリア・シラクーサ産フェッミネッロ・レモンを丸かじりしたような鮮烈な酸が、舌の上を駆け抜けます。

この酸は、ただ脂を切るためではなく、むしろ、味わいの輪郭を研ぎ澄ませ、解像度を一段階上げる役割を果たしています。焼き鳥の塩とこのシャンパーニュの酸が重なると、鶏肉の持つ繊細な甘みが際立ち、旨みが幾重にも広がります。特に、ねぎまの焼き立てを頬張った瞬間、皮目の香ばしさと塩のミネラル感が、シャンパーニュの持つ上質な酸と調和し、味わいの次元が広がる感覚に包まれます。

パスカル・マンシン キュヴェ・プレステージもまた、知る人ぞ知る銘酒。一度その味わいを知れば、心に深く刻まれるでしょう。華やかさだけではなく、力強さと静謐(せいひつ)さを兼ね備えたシャンパーニュです。グラン・クリュのぶどうを使ったプレステージ・シャンパーニュにも匹敵する奥行きがありながら、その名が大々的に語られることは少ないからです。限られた人だけがその価値を知り、静かに楽しむ。まるでこの焼き鳥屋のようです。

塩か、タレか。この問いに対するこたえは、単なる好みの問題ではなく、なにを信じるかという哲学の問いともいえます。ごまかしのない世界に身を置くと、余計なものが削ぎ落とされ、本質だけが浮かび上がるということなのでしょう。

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