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神の「言」と人の「言葉」について

(新改訳)ヨハネの福音書 1章

1 初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。

2 この方は、初めに神とともにおられた。

3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもなかった。

4 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。

5 光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。

(口語訳)ヨハネによる福音書 1

1初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。

2この言は初めに神と共にあった。

3すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。

4この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。

5光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。

(新共同訳)ヨハネによる福音書 1

言が肉となった

1初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。

2この言は、初めに神と共にあった。

3万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。

4言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。

5光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。

ヨハネによる福音書の冒頭部分を新改訳・口語訳・共同訳で比較してみました。創世記の書き出しも「これはただの文章ではなく美しい詩ですよ」と教えて下さった先生がいました。

このヨハネの福音書の書き出しも美しい詩です。三つの訳を比べて顕著に違うのは「ことば」と「言」だと思います。日本語の美しさは文字自体に主張がありまるで一文字一文字が絵のようにかんじとれることだとわたしは思っています。口に出して美しいだけではなく、目で見て美しいのです。

神の口からでる「御ことば」をキリスト信者達は、人の口から出るものとは全く別物だと信じます。人の「言葉」とはしっかりと区別しているのが、この訳にも表れていると思います。

人は「言葉」を話しますが、それはとても虚ろいやすく儚く不確かなもので、まさに枯れてしまう「言の葉」です。神の発するのは確実で力があり命です。それで聖書翻訳者たちは葉を除いた「言」で神の発するものを表現したのだと思います。これは本当にセンスの良い選択だと思います。残念ながら一番新しい翻訳では平仮名で「ことば」になってしまいました。「言葉」と「ことば」を区別しましたが、インパクトが弱く感じませんか?

「言」は文語訳の時代から使われていた表記でした。

(文語訳)ヨハネの福音書

1 太初に言あり、言は神と偕にあり、言は神なりき。

2 この言は太初に神とともに在り、

3 萬の物これに由りて成り、成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし。

4 之に生命あり、この生命は人の光なりき。

5 光は暗黒に照る、而して暗黒は之を悟らざりき。

「命」を「生命」と表記するのも、とても素敵だと思います。

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