うつ病と生きるわたしは、今日も自分らしく生きているよ
高校1年生の時、精神科を受診したわたしは
「うつ病」と診断された。
でも、2018年現在でも「うつ病持ち」かは分からない。
あの時、精神科クリニックに通うことを放棄してしまったから。
そして、今は持ったままでも良い。
これがわたしなんだって開き直っている。
だから、今日も自分らしく生きているよ。
中退した高校は
本当に呼吸が苦しくなるくらいキツイ場所だった。
保健室登校をしても、学校のカウンセラーに話を聞いてもらってもダメだった。
学校に戻ること前提で話が進んでいたから。
ドンドン目が死んで行くわたしは、精神科を受診することにした。
木材で作られた受付や待合室。
イスのカバーはオレンジ。
温かみを出そうとしたのだろう。
ただ、そう思えたのは何年も経った後で
当時はそんな単純なことすら感じ取れなかった。
待合室にあった「よつばと!」「ケロロ軍曹」を
名前を呼ばれていることに気づかない程、読んでいたことだけは覚えている。
母親は病院までついて来てくれたけど、
診察室にはわたし一人だけ入った。
待合室の隣の隣の部屋。
おっもいスライド式のドアを開けると
いかにも病院って雰囲気。
真っ白なテーブル。
回転するイス。
先生の横に置かれたパソコン。
窓から見える綺麗な緑色をした葉っぱ。
消毒液のツンとした匂いがしないだけ。
そこで、うつ病の診断を受けた。
記憶力が乏しいので、どうやって判断されたかは忘れてしまったけど
カウンセリングだけだったと思う。
「あーそうだろうなー」と16歳ながら受け止めて。
とりあえず薬を貰ったんかな?
様子見ってことだろう。
もう一度受診することになった。
2回目以降も、具体的な話の内容は全く覚えていない。
ただ、これだけは覚えている。
「学校に戻ることがゴール」前提で話が進んだこと。
このことが不快でしかなかったのに
プロもそんなこというの?
この世から見捨てられた感覚に陥った。
16歳、1高校生の考えは、
社会にとって不適切なもののようで。
希望の光が一瞬で消えてしまった。
ただ、そっから腐りはしなかった。
高校を中退して、高認を取得することも
先生に内緒で勝手に決めていたから。
勝手じゃないな、自分の意志だな。
3回目では、はっきり言った
「高校辞めます。」
そこで先生とサヨナラをしたので
うつ病が完治したかは不明。
ただ、それでも良いやって開き直っている。
「うつ病」は、怪我と違って
見た目では伝わらないものだから
病気とは認知されづらい。
障がい手帳も支給されるケースもあるから
れっきとした病気なのですが。
これがわたしだって解釈している。
病気と考えていない。
病気はこれ以上いらない。
微小変化型ネフローゼ症候群と共に生きる>>>
自暴自棄になることも
感情の起伏が激しいのも
息が苦しくなることも
ぜーんぶ自分。
って捉えたら、少しは楽になりませんか?
人に迷惑をかけることも、もちろんある。
それよりも、自分を押し殺して生きることがキツイよ。
だから、だから、今日も自分らしく生きているよ。
「笑うこと」が苦手だったわたしは
自分らしく生きることで、自分の笑顔が好きになりました。
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