見出し画像

ヴェー・デー・エヌ・ハー パビリオンNo.1「セントラル」

ヴェー・デー・エヌ・ハー(VDNKh)(国民経済達成博覧会)は、世界
最大の展示会、博物館、レクリエーション複合施設です。
1939年8月1日にオープンして以来、名前は何度か変更されました。
現在の名称は、ヴェー・デー・エヌ・ハー(VDNKh)国民経済達成博覧
会です。


現在、ヴェー・デー・エヌ・ハーは、博物館や展示プロジェクト、国際
的なビジネス展示会や会議、フェスティバル等のためのユニークなスペースとして使われています。


今まで、ヴェー・デー・エヌ・ハーには数回行きました。
学生時代、初めて観光ツアーで行った時は、とにかく会場の広さに圧倒されてしまいました。
ソ連では、「大きいことはいいことだ。」と考えられていました。

そう言えば、日本でもそのように言われていた頃です。
とても広くて果てしなく歩かなければならない処だという印象が強く残りました。
そのため、私の気持ちの中で、そこに行くのが億劫になっていました。
また、ソ連邦が崩壊し、時代が変わり、いくつかのパビリオンの中に、様々な小さいお店が現れるようになりました。
パビリオンの展示物を見学するというよりは、何かを買いに行く処だという雑多な感じが出てきました。


ここ数年、友人から、修復工事が終わり、ヴェー・デー・エヌ・ハーが
綺麗になったから、是非行った方が良いよと言われていました。
そこで、友人のアドバイスを受け、やっと、重い足を引きずりながら、ヴェー・デー・エヌ・ハーに行くことにしました。

ヴェー・デー・エヌ・ハーへは地下鉄で行きました。
最寄りの地下鉄の駅は、ヴェー・デー・エヌ・ハーです。
地下鉄の駅から外に出ると冬の冷たい風が吹いていいます。
今年の冬は、暖かいようで雪もあまり積もっていませんが、風は冬を感じさせる冷たさです。

地下鉄の駅から出ると右側に、ロケットをトップにのせている流線形の印象的な建物が見えました。
宇宙征服者のオベリスク(Monument to the Conquerors of Space、ロシア語:Монумент«Покорителям космоса»)です。
世界初のソ連製人工地球衛星の打ち上げを記念して建てられた、高さ110メートルのチタン製記念碑です。

1957年10月地球初の人工衛星スプートニク1号が軌道投入に成功し、人類の宇宙時代の始まりとなりました。
そこで、記念碑のためのデザインコンペティションが行われました。
優勝したプロジェクト「The People Are the Creator」は、煙を上げながら上昇するロケットで、この作品は、建築家のアレクサンダー・コルチン、ミハイル・バルシュシュ、彫刻家のアンドレイ・ファイディシュ=クランディエフスキーによるものでした。


建築家と彫刻家が将来のオベリスクのプロジェクトに取り組んでいる間、宇宙産業では別の世界的に重要な出来事が起こりました。
1961年4月12日、ユーリイ ガガーリンは有人宇宙船で軌道に乗りました。
そこで、記念碑の名前をより具体的な「宇宙の征服者たちへ」に変更することが決定されました。
記念碑は、最初の地球人工衛星の打ち上げから7年後の1964年10月 にその雄大な姿を現しました。


記念碑の基礎部分に、宇宙飛行士記念博物館があります。
博物館が登場したのは 1981年4月。
その開館は、ユーリイ・ガガーリンの宇宙飛行20周年に合わせて行われました。

ヴェー・デー・エヌ・ハーのエントランスに着きました。巨大なアーチで
す。

ヴェー・デー・エヌ・ハーベーデーエヌハーには、北側入り口のアーチがあります。
このアーチは 1939年8月1日の展覧会の開幕に合わせて建てられました。
セルゲイ・エイゼンシュテイン通りに面した3連の凱旋アーチは、以前は全連合農業展示会 (VSKhV) の正面玄関として機能していました。


戦後、VSKhVを再建することが決定されました。
そのとき、今までの正面玄関が北側入り口と呼ばれるようになり、展示会場に別のアーチが現れました。
それが、現在の正面玄関です。


新しい入り口の建設は、ソ連の建築家イノケンティ・メルチャコフによって行われました。
彼はスターリン主義帝国様式でアーチを考案し、それを5スパンにし、それに側翼とアーチ状の本体 (円周) を追加しました。
このため、正面玄関の建物は幅300メートル以上に広がっています。


正門のゲートの高さは、中央のアーチ型のスパンを通って近づくと、パビリオン No.1「Central」が完全に見えるようにデザインされました。


アーチの頂上には高さ8メートルのコンクリート彫刻「トラクター運転手と集団農場の女性」が設置され、エントランスをさらに記念碑的なものにしました。


新しい正面玄関の建設は、1954年の第2回全ロシア農業博覧会の開催に合わせて完了しました。
現在、正面玄関のアーチは VDNKh の主要なシンボルの1つになっています。


パビリオン「セントラル」

この建物は、建築家のゲオルギー・シュチュコとエフゲニー・ストリャロフの設計に従って、以前の木造建築に代わって 1950年から 1954年に建てられました。



新しいパビリオンはスターリン様式で建てられました。
頂上には星をあしらった尖塔が設置され、ファサードにはソ連の国章と連合共和国の紋章が入った16個のメダリオンが両側に置かれました。
1963年まで、このパビリオンは「メイン」と呼ばれていました。


建物の外観だけでなく、内部にも歴史が感じられます。


パビリオンの扉を開けた時に目に飛び込んでくる、絵に圧倒されました。



ロビーでは芸術家パーベル・ソコロフ=スカリの絵画「冬宮殿の嵐」を見ることができます。


1990年代には、展示ホールは中2階によって2つのフロアに分割され、パビリオンの全スペースが小売店で埋め尽くされました。そんな時代もありました。


年月を経て、修復を重ね、パビリオンは、蘇ったことを感じました。

パビリオンには、テーマ別ホール (中央 1 ホールとそれに接続された 展示ホール) があります。


今回訪問時にパビリオンでは、「VDNKhにおけるトレチャコフ美術館展」が行われていました。
この展覧会は、中央パビリオンのために特別に準備されたプロジェクトであり、大規模修復後に公開されたパビリオンでの最初の美術展となりました。


最初のホールは、現代美術家ウラジーミル・ドゥボサルスキーとアレクサンダー・ヴィノグラドフの解釈によるロシア美術の教科書作品のパノラマです。
四季を表す絵画の中で、見たことがあるロシアの絵画の一部を見つけることが出来ます。


このパビリオンの中で最も印象的なのは、彫刻家エフゲニー・ヴチェティッチによる大規模な作品「平和の旗手、ソビエト人民に栄光あれ」 でしょう。


2014年春に VDNKh の大規模改修が始まりました。
この作品は、パビリオンのホールから無関係な商業建物が撤去され、見つけられたものです。
木製パネルの下に何十年も石膏の高浮き彫りが隠されていました。
修復業者は約1年をかけて、元の姿に修復しました。


中央のホールの真ん中にはヴェラ・ムヒナの有名な作品「労働者と集団農場の女性」が立っています。
周囲にはこの有名な巨匠と 1930年代から1950年代の彫刻家による他の作品が展示されています。


中央のホールでは、ソビエト国民の幸福な生活をテーマにした4枚のパネルが展示されていました。
様々なアーティストによる4つの絵画の内、今日まで残っているのは2つだけです。 A.M. ゲラシモフ率いるアーティストのチームによる「ソ連国民には教育を受ける権利がある(モスクワ州立大学の新校舎近くの学生たち)」と、オトロシチェンコ S.B.の「ソ連国民には休暇の権利がある(黒海沿岸の別荘にて)」です。


これらの芸術作品だけでなく、パビリオンのさまざまな処に見えるインテリアの美しさには、心を打たれるものがありました。



ここまで読み進んで頂き、誠にありがとうございます。

私なりの目線で捉えた動画です。ぜひ動画をお楽しみください。


いいなと思ったら応援しよう!