ぎふのーと(仮) プロローグ①海士町で迎えた誕生日
岐阜へ移住するからと、岐阜について知るためのnoteを始めました。
「どうして移住を決めたの?」
今回は重い腰を上げたきっかけのひとつ、海士町での旅について。
海士町から帰ってきた日に、メモに日記を残していました。改めて読み返すと、大切な気持ちが散りばめられていたので、そのままここに転記することにします。
◇ ◇ ◇
凪。波の影響を受けずにゆっくり進む船のようだ。いまの、わたしの気持ち。
今日、32歳になった。数え年では33で、厄年。迎えるまでは少しだけ、不安だった。
だけどいま、わたしの心は穏やかである。
島根県隠岐の島にある海士町。
わたしは今の会社に入るまで、海士町の「あ」の字も知らなかった。
海士町の存在を知り「とりあえず行ってみよう」と海を越えたのは2016年の冬。たくさんの人に出会い、雄大な自然におののき、ただただ海士町を感じた時間だった。
あれから6年。
「次は夏にくるといいよ。一面に広がる田んぼの緑がきれいだから。」そう言われたにも関わらず、懲りずにまた冬に訪れる。
冬の荒波を超え(これは比喩ではなく、本当に揺れて大変だった。離島に暮らす全ての人に敬意を感じる)訪れたのには2つの目的がある。
わたしが事務局を務めるさとのば大学の学生が海士町をもうすぐ離れること、そして同じさとのば大学の学生が彼らを訪ねに行くこと。それを聞きつけ、急きょ海士町行を決めた。
たぶん、この機会を逃したら、海士町に行かないと直感したから。
画面越しに関係性を築いてきた彼らとリアルで会うのは、やっぱり不思議な感覚だ。背が高いな、声は少し響くな、リアルの距離感はこんな感じなんだな。画面からは伝わってこない、彼らのありかたをまざまざと感じる。海士町という環境も相まって、普段はしないいろんな話をした。
もともと、オンライン上でも関係性を築いてきた。それでもともに海士町での時間を過ごすことで、ちゃんと話せた感覚が湧き上がってくる。クリックひとつで切り替えられないグラデーションがあるのが、リアルでの関係性なのだろう。
せっかく海士町にくるのなら。会いたい人に連絡をする。
もうひとつ、海士町にきた理由。それはこれからの生き方を考える時間をつくりたいからだった。
30代をどう生きたいのか。どんな風に暮らし、働きたいのか。退職が決まり次の道を模索している自分として、海士町で過ごす3日はそれをすり合わせる時間となる。
去年1年間、友人とピアメンタリングをしてきた。
お互いに今何を考え、何を感じ、そこから何を学ぶのか。苦しい時間も多かったが、その感覚を共有していたから、相手が楽しそうにしている姿がすごくうれしい。
いま、そのうちの一人は、自分の人生を形作る手ごたえを感じている。それは、土地からもらったものも多分にあるという。海士町という地でいろんな人の生き方に触れ、背中を見て、一歩踏み出す勇気をもらい、ここまできた。誰かの挑戦を応援する文化のある海士町だからこそ、こうして自分も挑戦することができている。
同じ言葉を、島前高校の学生からももらった。「ここにいる人たちは、やりたいことを全力で応援してくれる。そこに大人も子どももない。やりたいと思うことは、全部やってみればいいんだ」
キラキラとした瞳を見ながら、「いつから自分は、やりたいことにどんどん挑戦する気持ちを失ったのだろう」と驚いた。学生時代のわたしも、彼女と同じようにやりたいことをやる気持ちに満ち溢れていた。今の自分はなんと腰が重たくなってしまっていたのだろう。
まだ30代、人生100年時代でいえばまだ序盤だ。
住みたい場所があれば住んでみればいい。
やってみたいことがあれば、やってみればいい。
30代なりの挑戦の仕方もある。それでも、自分の根っこにあるきらきらとした何かを、忘れたくない。
自分の中にある、子どもなわたしを抱きしめることができた、2泊3日の海士町の旅。
さて、次の旅路はどこにしようか。30代の冒険がこれからはじまるのだ。